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楽して日記をつけるとき

 システム化しておくと楽っちゃ楽。自分が意識すべき「型」があれば、まずはそれを「守」ることから始めればいい(「破」「離」はそのずっと先に)。

 2年ぶりにほぼ日の日記を再開して、書きやすさを優先するときに、ときどきやってる方法を書き留めておく。

 「文章の設計図をつくる」「ネタはぼんやりとした感情から」ということを書いてきたけど、その最後として、「感情始点の日記の設計図」についてまとめてみたい。

 あまり難しいことはなく、たった3段構成である。

①出来事・・・何が起こったのが事実について記録
②感情・・・その出来事のなかで生じた感情について記録
③考察・・・その感情がなぜ/どのように生じたのかについて分析

 あえて、言うなら「⓪導入」「④オチ」みたいなものがあったらいいなぁ、と思うけど、正直あってもなくてもいい。

 実際に起きた出来事からひも解けばいいだけなので、今日何があったか(特に印象的だったこと)を思い出しながら、書いていけばいいだけだ。

 たとえば、この日記については、次のような構成となっている。

⓪導入・・・コロナをきっかけに本を読むことが増えた
①出来事・・・山崎ナオコーラさんの本を読んだ
②感情・・・「逃げ場にしていいんだよ」に深い思考とやさしさを感じた
③考察・・・「戻る気があれば」が問いと選択肢を与えているんじゃないか
④オチ・・・不良品を買ってしまった

 毎日30分を日記時間にとっているが、あまり小難しいことを考えずに「とにかく日記をつけよう」と怠けたい人は、この型を使っている(というか、いつの間にか使っていた)。

 ただ、注意点もある。

 この型は、あくまで日記という内向き(対自分)なときだけ有効であって、読み手がはっきりとしたメディアのような外向き(対他者)の記事を書く場合には、正直向いていない。

 メディアなどで書くときには主に”情報”が求められるが、日記であれば情報(客観性)よりも情緒(主観性)に重きをおいてしまっても問題ないからだ。ですます調なのかである調なのか、また媒体ごとに異なる”表記ゆれ”などのトンマナも気にしなくていい。

 ちなみに、上記2本は過去にボクが書いた記事(取材・レポート)だけど、noteで日記をつけるときの意識とは180度違う。簡単に言えば、ボクの主観(主張)などほとんどないし、基本的に編集者との共作だし、リライトもしている。

 「媒体に合わせて人格を分けて書かなければいけない=『書く』のが好きなだけじゃしんどい!」ライターという仕事については、またどこかでやれたらいいなぁ。

 今思い出したけど、これも中途半端に終わってるので、内容的に絡めれられるように(忘れっぽいのはほんまあかん...)。

 とはいえ、文章の書き方については、わかりやすく現役のすごい編集者やライターの方がまとめてたりするんで、そういうのを一読するのがおすすめです。日記をブラッシュアップする用に参考にできるといいかも!

(このnoteにエモさもサビもなかったのは言わない約束)

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