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出力をもとに生活を調える。

 意識というより、その実践として、”出力”志向の生活に切り替えてから、しばらくが経つ。

 好奇心をくすぐられ、学びたいことを見つけたら、インプットのみで終わることを恐れ、アウトプットすることを前提にして学ぶことを許すようにしている。月一で発表する「自由研究学会」をはじめたのもそういった経緯からだった。

今日から始まった #noteフェス 「僕たちに『企画』はいらない」での編集者・柿内さんと漫画家・羽賀さんのトークのなかに「キャッチ&リリース」という言葉があった。じっくりと練って練って企画をつくるようにも、日常的に仕入れた情報をとにかく早く吐き出してみたら? という提案だったように思う。

 以前、書いたようにボクのボク自身に対する理解としては、「やはりポンコツでまなけものだから」書いたりしゃべったりで出力しないといけない、なのだけど、やはり「鉄は熱いうちに打て」のような鮮度感で出力したほうがいいことをお二人の立場の言葉から、違った角度で再認識することができたのはありがたかった。

 最近、一日の時間の使い方について「選択と集中」の視点で、何をやるか、それ以上に「何をやらないか」についての棚卸作業をしていて、「インプットのみで終わりそうな時間(行為)」は削ろうという結論に至った。

 それで、”表現”なのか”記録"なのかその線引きはよくわからないけど、仕事でもなんでもない”出力”をもとに生活を調えようとするなんて.....と自身の内なる変化にちょっぴり驚いている。

 じつは #noteフェス になんら期待していたわけでもなかったのだけど(note主催ならおもしろいことの一つ二つはそりゃ見つかるだろうとは思ってはいた)、今の関心ごとにド真ん中ストライクの拾いもんがあってよかった。明日以降も、のぞけるだけのぞいてみようかと思う。

 とりあえず、今日も明日も書いたりしゃべったりの繰り返しである。そのためにも、大きな物語の中にはない、世界の隅っこにある小さな小さなの物語の中で一体どんなことを拾えるのか。目を見開いて聞き耳を立てて、ただ過ごすのみ。

 

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