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命短しポイせよここで

 たった5分で終わることなのに、それを始めるまでに1週間以上の時間を使ってしまう。ほんのちょっとのことなのに、脳が身体が拒否反応を起こし、その物事から目を逸らせ、忘却にまで追い込むなんていうこともある。特にひどいのは、その一連の流れを無意識的にやってしまってるときだ。

 頭で考えればイージーモードなのに、動くとなるとベリーハード、場合によっては無理ゲーなこともある。意識と修練と反復によって克服できるものならまだいいのだけど、無理ゲーなとき、あるいは克服に想像以上に時間がかかりそうだと判断したときは、その作業を手放してみるという手もある。

 「手放す」にも二つある。

 一つは、その”作業”がそもそも必要な作業だったのか、その構造(システム)を見直してみる。じつは、その作業をやらずとも事が進む抜け道はあるかもしれない。目的と手段の、「手段」を精査してみることで手放す。

 二つ目は、その作業をアウトソースしてみること。自分が苦痛なことは、それを苦痛と感じない、あるいは「得意だ」「好きだ」と思う人に振り分けてみる。ちょっとしたことでも、そこに気を取られ、得意なことが封鎖されている状況はコスパが悪い気もする。

 どんな状況であっても、自分のパフォーマンスが最大化するための攻めの環境づくりは諦めちゃいけないだろうし、パフォーマンスを低下させる因子があれば排除する守りのコミュニケーションは不可欠だろう(程度はあるだろうけど)。

 完全に一人で進めなくちゃいけないことって、じつは自分が思ってる以上にあまり多くはない。どんなことも身近の人の助けを借りれば、苦手や嫌いを手放すチャンスはぐんと増える。一人でやってて1mmも動かないことがあるなら、「ヘルプ!」と声をあげて、頼める範囲で作業をパスしちゃったほうが物事はびっくりするほど進んでいく。

 俗に言う「ボールを抱え込まない」ってのは、やっぱり大事なわけで、そのボールと思ってるものは、どんどん大きくなっていく爆弾であり(ボンバーマンの溜めボムのごとく!)、ずっと抱えておくと爆発してヒャー&チリチリだし、爆発しそうなタイミングになって誰かにパスするのも迷惑がかかる。

 できないなら、できないと早めに判断して、自分がやらなくてもいいシステムを考える、あるいは、他の人にやってもらう。その振る力、協働する力も含めて、能力なのだろう。

 こんなことを書いてるのは、ボクが苦手ものが多すぎるから、爆弾を一人で抱えて自滅しがちだから、徐々にシフトしていくよ! という宣言でもあるわけで...。

 命短し恋せよ乙女、いやまーべつに恋はしてないし乙女でもないから、命短しポイせよここで、のマインドおじさんにでもなるか。

 時間は有限、あと何年生きられるやらで、苦痛なことをイヤヤイヤヤと時間をかけてゾンビのようりずりずり進むよりも、できるならば、有り余るエネルギーは、より燃焼率がいい方向で、ダイナミックに使っていきたい。

 なまけものなんだから、そういうところ、うまくやらなくちゃ。あと、なんでもかんでもオールマイティ(平均的)にやれなきゃいけないよ、という時代はとっくに終わってんだろうしさ。








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