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まじめな時間をまぬけな時間が補う

 ありゃりゃなに書こうとしてたんだっけなぁ。

 さっき風呂に入るまでは「今日の日記は○○について書くか」というなんとなくのお題を決めてた気がするんだけど、noteを開いたときにはもう忘れていた。入浴剤をぶちこんだ浴槽に体を沈め、のんびりリラックスできたことと引き換えに記憶を一つ洗い流してしまったような感覚。うーん、午前中に一度思って、また風呂入る前くらいも思いついたお題だったから、わりと自分にとっても大事なものな気がするんだけどなー。いかんせん思い出せないし、思い出そうとして脳のどこかに力に入れても結局なにも出ずにしんどくなるくらいなら、まあ最初から何も思いついてなかったと思って、適当にキーボードを叩いて今日は終えるかな。

 そういえば、前に88世代について綴ってたけど、あれ、話をしたい/聞いてみたい人を知り合いベースでちょっとずつリストアップしている。企画の仮題として『88人の88な人』というのをなんとなく思いついたので、どれだけ時間かかるかわからないけど、現状はとりあえず同世代を88人くらいピックアップできたらいいってことにしておく。

 普段からあれこれ考えてはいるけど、”それ”に考えごとしてるときは”それ”についての閃きが一つもないくせに、気の抜けた全然関係ないシチュエーションのときに閃いちゃったりして、思いつくときは一瞬だ。まじめな時間をまぬけな時間が補ってうまくバランスとっているのが人間なのかもしんねぇな。閃いたその時々で忘れぬうちに直ちにメモせねばだ。


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