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オールナイトニッポー0808

「直観とは、青春だ」

この日の胸に宿ったことばなのだが、これについてはあまり細かく書くつもりはない。とりあえず、例のごとくニッポーを。

朝からなわほへ。「そーじのわ」の日だったが、コロナ対策で(町のイベントガイドラインに沿って)中止となった。FacebookやLINEではその情報を流せてはいたが、回覧板でまわすには時差があって、最新情報を知らずにもしかしたら来る方もいる。ということで、待ち構えた。

いや、実際にはそもそも「そーじのわ」は自分たちがちゃんと施設整備をやる日をつくらねば、と思ったのがきっかけでもある。その取り組みを、どうせなら地域の方も巻き込めるといいかもね、とオープンにしただけだ。人が来ようが来まいがせっとせっと掃除・片付け・改修は進む。

この日は、「オープンデイ」のときよりも入念に、玄関とリビング(カフェ)、そしてトイレ掃除を行った。他のメンバーは、土管周りの草抜きなどを。

トイレ掃除をしてると、ふと、バーテンダー時代のこと、またゲストハウスでヘルパーをしていたときを思い出した。

バーではお店を開ける前のトイレ掃除。鏡には指紋一つないように、また見えないところを如何にきれいにするか、などを気にして掃除するようにと徹底的に教えられた。営業中のお客様の行き来を観察したうえでの定期的なトイレチェックに加え、とても大切にされた空間であった。

ゲストハウスでは、お客様のチェックアウト後に、一気にベッドシーツやらをはぎ取り、施設全体の掃除がはじまる。掃除機をかけ、雑巾をかけ、と。ぼくはバーテンダー時代の名残があってか、わりとトイレ掃除が好きで、進んでやっていた気がする。

あのときのトイレ掃除の時間って、今思えば、ごしごしとブラシを動かしんがらも、自身を振り返るための時間でもあったんだよなぁ。心を整える時間というか。もちろん「おもてなす」という精神性も含め。最近は、ちょっとその部分を少々サボってしまっているかもしれない。

たかがトイレ、されどトイレ、ってことすかね。

そうそう、なわほでやれたらと思ってできないことが一つあったんだったや。トイレにまあまあ空きスペースがあるから、そこに本を置こうと思ってたんでした。「厠文庫」プロジェクト。ちなみに、文庫とウ●コをかけているんすけど、そのダブルミーニングは全然要らないすね。笑

さて、午後からは小っちゃな事務仕事をしつつ、約束してたTwitterスペースへ。

予告した通り、中村さんとの「労働とかローカルとか妖怪とか」についてのトークである。なんだかんだ当初の予定よりものびて、2時間くらい話しただろうか。

「アートと商いのどちらの意識か」「仕事で擦り減った自信を、労働で取り戻す(自己肯定感UP)」「一個人と社会構成員という分人性」「(ハンナ・アーレントにおける)仕事と活動が重なるとき」「しくじりをバラエティではなくガチで面白がる社会像」などのキーフレーズを拾えて、個人的には大満足な時間だった。

冒頭の「直観とは、青春だ」というのは、直観と論理のどちら側に立って物事を考えていくか、という話の流れで、自分がふと口にしたこと。

直観こそが自分たるものであり少年のような感覚で、対して、論理は大人になればどんどん妙に身に付いちゃって、その論理に直感が埋もれてしまい、自身に鈍くなってしまうことがある。

それがぼくにとってはえらく恐怖なので、直観と向き合うことをつねに意識しており、その”闘い”がぼくにとっては青春である。という、長ったらしい文脈である。

いったん、「青春ノイローゼ」だった自分を乗り越えたと思っていたが、また戻ってきていた。ポジティブな意味で。ここらへんについては、また中村さんとしゃべりたいし、文章にしたいことでもある。

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