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ゆるい時期と緊張の時期、それとお金、1年間でバランスをとる。

いわずと知れた秋である。特に「秋といえば」という意識するものもない。しいていえば、運営に関わる「なわほ(旧保育所)」には、入口に大きな銀杏の木があって、この時期になるとたくさんの実を落とす。オープンデイという開館日には、この掃き掃除から業務がはじまるのが「秋がきたなぁ」という感じる瞬間で、いつの間にかぼくにとってくっさいあの匂いが体内に秋を知らせるベルとなっていた。一つ気づいたのは、おならしながら銀杏に近づくと不思議とくさくないということ。今世紀最大のライフハックである。

さて、もはや書きたいことを書き切ってしまった気もするが、日記を続けるとしよう。

ここ2~3ヵ月をふり返ってみると若干バタついて気がする。そんなときほど、迫りくるミッションに吞まれそうになるので、”目的の周辺”に目を向けられるようにしたい。

さて、バタついてしまってる、という情けない状況について考えてみる。あまり良くないよなぁ、とは思うがしかし、ぼくの場合、1年間で”いそがし”に憑かれるのはたった3~4ヵ月ほどであった。

1年というスパンでみれば、毎年1ヵ月は休暇をとってるわけで、スーパーゆっくりしてる時期があるのだ。そう考えると、ギュッとせわしなくなる時期があるのは当然と言えば当然である。「この繁忙期さえ抜ければ…」という未来永劫に続くわけないトンネルを通っているだけのこと。

感覚的には、文化祭に向けた準備を、毎年一定の期間やってるわけで、その間に新しい技術を身に付けたり、新しいプロジェクトを開拓したり、楽しみはそこそこに脳みそがせわしくあれこれ考えてるだけ、みたいな。

ちなみに、だいたいこの期間に1年間で最低限必要なお金も稼ぐことになっている。いろいろ整理してみると、年間いわゆる世の中的に”働いてる”時間は半年にも満たないんじゃないだろうか。残りの半年ほどを、気になることを調べたり、ライフワーク的にできることを増やしたり、猫と昼寝したり、友人と(迎えて)過ごしたりに費やしている。

逆にいえば、毎月・毎週といった一定の周期でせわしく動くのが超絶苦手なのだ。苦手というか飽きるというか。それを20代前半で気づいてしまったので、今みたいな暮らしになるように20代後半から整えてきた(まだ完成とは思ってないけどだいぶ形は見えてきた)。

ようは、1年間という全体でみたときにバランスとれればいいじゃん、終わりよければすべて良しマインドでのらりくらりやっているのである。

今まさにバタついてしまってる原因の一つであるこの企画も、ゲストといっしょに「いかに仕事と生活のバランスをとるか(その手段として〚住まい』や『情報の見える化』をどう扱うか)」というトピックに触れるはずで、自分の暮らしを再考するのにもむっちゃよくて進行がんばろうと思う。

点でみるのか、線でみるのか、はたまた面でみるのか。角度やら距離(引き・寄り)を変えれば、同じことでも評価は変わる。

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