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そこで暮しているかぎり

 やる気があろうがなかろうが地域には関わっていく。というか、関わらざる得ない、というほうが正しいのかもしれない。

 基本的にボクは「地域」とか「まちづくり」に関心がない。そういう言葉をあからさまに使ってくる人たちが苦手だったりもする。

 振り返れば、学生の頃、NPOとかでインターンして「良いことしてるんすよ」的な輩が嫌いだったし、意識高そうな人が語る「地域ってさ~」みたいな話には「反吐が出るわ!」の想いも。それくらい拒絶反応があった。

 けど、今、地域/まちづくり(関連のプロジェクト)に関わっている事実がる。それは、「地域で暮らしているから」という理由だけでしかない。都会(の傾向)にあるような隣近所のことがよくわからなくてもいい環境とは違って、現在は良くも悪くも狭いコミュニティの中で過ごしているわけで、ご近所の顔ってのはよく分かるし、自分の半径うん十メートルのことに精を出すだけで、自分の暮らしの質が上がる感覚があるし、逆にそこを怠ると暮らしづらくなる予感もある。

  つまり、自分の暮らしを良くしていくことと地域環境を良くしていくことはダイレクトに繋がっているので、地域で自分がよりよく暮らしていきたいと思ったら結果的には地域/まちづくりまで辿り着いてしまう。

 それこそ、上記記事にあるような、「自分ごと」→「みんなごと」→「世の中ごと」の個から地域への拡張だとも思う。

 地域がどうとか、社会がどうとか、そういう”主語が大きいこと”はよくわからないし、興味もないし、やる気もない。だけど、自分のことには関心が高く、あれやこれやと考える。そうやって、自分について考える延長線上で、地域というものに関わっていく。

 てか、これが普通なんじゃないか。むしろ、「意識低いっす」みたいな人とかが参加することによって、本当の意味での地域/まちづくりってのは始まっていくんじゃないか。

 とりあえず、重ねて言うように、ボクはやる気がなくて、基本冷めているので、その立ち位置だからこそ(+職能的に)できることで役立ちたいと思っている。主には、やる気がある人たちのアシストだったり、彼らが熱くなり/意識高くなりすぎて温度差がある一方的なものになっちゃてるなぁってときに、冷めてる人の気持ちを汲んだりして「根本、それって楽しいんすかね」と問いかけたり、活動の見せ方(発信、デザイン)を調整するなど。

 もちろん、ボクみたいな立場でも成り立ってるのは、情熱をもって動こうとしてくれてる人が第一にあるから。とはいえ、想いだけで地域がひょいひょいといい方向に変わるわけじゃない。客観的に、ファクトベースで物事を考え、よりよく改善していく冷ややかさもいくらか必要だったりするわけで。そのヒンヤリ部分をボクは担当してるだけだし、どうにか役割を持たせてもらっている。

 だし、「地域に関わる」のグラデーションは幅広いほうがいいだろうし、ボクはその中のワンオブゼムでしかないと思う。で、もっと根本でいえば、「地域に関わる/関わらない」は意識的なもんでもなく、そこで暮らしてる以上は関わるざるえないわなぁ(ネガティブな意味はなく)という雑感をまとめただけでした。

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