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ケケケの日記

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日記(のようなもの)
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#働き方

ビジネスモデル崇拝で「仕事する」とか「お金を稼ぐ」とか

イヤイヤながらでも仕事をしていると「ビジネスモデル」という言葉に出くわす。 のことを指すらしいが、社会人になって15年が経った今でもあまりピンと来ない。そもそも「モデル」という言葉に重きを置ことする姿勢があまり好きになれない。 物事は、真似から入って、学びに変え、身につけ自分のものにしていく。そのためには手本・見本となる「モデル」は大事なのだろうけど、「そのモデルをなぞらってさえいれば、もうすべて大丈夫です」といった論調をこの頃は感じる。ネット広告で甘いささやきのように流

今年は冬眠(1ヶ月)できました

休めるときに休んだほうがいい。もうなんなら休めるなら休めるだけ休んじゃって、「休む」が飽きるくらいまでいききったほうがその裏側にある「働く」おもしろさに気づける。 鳥取に拠点を移した1年目(今は7年目)は、ニートのような暮らしをしていた。貯金を切り崩しつつも、飽きるまで休んでみたから、やっぱり休むって大事だわと実感できた。冒頭の価値観は、そんな経験から形作られたものである。 そして、今住んでる家は、休むのに適した家だとつくづく思う。住み開きするなかで訪れる人たち(学生、仕

週6×4時間の暮らしができあがるまで。

肉体的に健康かはさておき、精神的には健康な生活を送れている。そう感じるのは、数年ぶりに夜型の生活に戻ったからだ。3~4時頃に寝て、10~13時くらいに起きる生態が定着してきた。よろこばしい。 それが習慣といえるほどになったのは2024年になってからだけど、そのための生活実験として2~3年ほど前から試していたことがある。仕事のコアタイムを14-18時にぎゅっと固め、週6日×4時間という働き方の調整を行なっていた。とはいえ、実際には繁忙期などは午前中に打ち合わせ等入ることはあっ

会社は”コント”、個人は”漫才”、という「分人」の再解釈。

「分人」を自分なりのフィットすることばとして考え直してるところです。 20代のときの自分の仕事におけるモヤモヤの原因は、突き詰めていくとシンプルで、ただの「こだわり(と自意識)」であり、必要/不必要なこだわりと如何にして向き合っていくかの線引きだけだったように思います。 それが四苦八苦を積み重ねたのちの30代に入る前には、少しずつ自分なりに消化できるようになり(ある意味、割り切れるようになり)、複業的に働く自分のあり方のバランスが取れるようになってきました。もちろん、未だ

クリスマスと資本主義とガールズバー

本来であれば、25日、しんみり地域の方々としめ縄づくりとクリスマス会をするつもりだった。が、雪の影響をおそれて早めにきてしまった東京。街は、びっくりするほどに、クリスマスが過ぎる。 昼間から、武蔵境なのに、こんなに人いたっけ?くらいの群衆が駅周辺をうろうろしている。カフェに入ろうにも(いつもならスッと入れるのに)ほぼ満席。ロフトもユニクロも長蛇の列ができている。わお、こんなんならゆっくり過ごせるところにいかなくちゃ、と週末は総武線止まりの西荻窪へ。気になってた松屋の寿司形態

文化祭×はたらく

むやみやたらにノートに思考としての文字を吐き出す「モーニングページ」。今日もそれとなくやってたら、「こ、これだ!」というバチッと心境にはまるフレーズが姿を現した。 「文化祭のようにはたらける人」 どんな人とプロジェクトできると合うのか。妙なマッチングにならないための自社の求人について考える日々がつづくなか、「文化祭」と「はたらく」の組み合わせは、しっくりきた。 文化祭前日のようなヒイヒイ・ヒリヒリした空気に包まれながらも、どこか”イヤ”だけでは終わらない、愉しみ(いい意

ゆるい時期と緊張の時期、それとお金、1年間でバランスをとる。

いわずと知れた秋である。特に「秋といえば」という意識するものもない。しいていえば、運営に関わる「なわほ(旧保育所)」には、入口に大きな銀杏の木があって、この時期になるとたくさんの実を落とす。オープンデイという開館日には、この掃き掃除から業務がはじまるのが「秋がきたなぁ」という感じる瞬間で、いつの間にかぼくにとってくっさいあの匂いが体内に秋を知らせるベルとなっていた。一つ気づいたのは、おならしながら銀杏に近づくと不思議とくさくないということ。今世紀最大のライフハックである。

主夫になりたかっただけなのに

「ワークライフバランスってどうなってますか?」 最近、10コ近く年の違う知人に不意にそんな質問をされて、思考が一瞬にごった。「ワークライフバランスかぁ…」。手触りのない言葉に対して、どう答えるのがベストなのか、ぼくからすれば言い淀むべきクエスチョン。 そもそもの話! 鳥取大山に来てから、近所付き合いの延長線上で、地域プロジェクトに関わりはじめ、できちゃった婚のように会社までできて、活動するようになってしまっていた。恥ずかしながら、志なんてものはさしてない。 自分の暮らし

複業のようなアカウント

@0mijaと@radi0mija、個人でTwitterアカウントを二つ使い分けてるけど、よくよく考えてみると、どちらかがサブアカウントってこともないんだよなぁ。 A/B面という認識で使ってるわけだけど、音楽でいえばSMAP『オレンジ』がすげー名曲! ってのがあるように、力の入れ方が違うだの、優劣があるわけでもない。 つまりは、どちらも本アカウントなんだけど、その吐き出し方が違うというか。@0mijaは基本エンタメ関連のことをつぶやいてるし(こっちのほうが使用歴長め)、@

仕事づくりは、暇づくり

 先日の”憑かれ”について原因を考えてみた。いや、正しくは「考えてみた」という能動的なかんじでもなく、朝起きてトイレに行き顔を洗おうとしてたらふと「気づいちゃった」という自然発生的なかんじ。  最近は、「休む」という意識を持って仕事をしてなかったなぁ、ということである。自由業かつ地域で動くとなると、たしかに公私の境界線というのはわりと曖昧で、どこで働きどこで休むのかっていうのがごっちゃになりやすい。  休めるときに休んで、やれるときにやる/リアクション次第ですぐに動く、み

しごとでデッドオアアライブ

 やらなきゃいけないことのおかげで、ギリギリ保ててるものがあるなぁ、と、ときどきふと我に返る。  根本的には、世の中のほとんどのことには興味ないし、仕事なんてサボれるだけサボりたいに決まってるし、べつに円滑にやることが進められるのであれば(偉いとか偉くないだとかの)ポジションにだってどうだっていい。やらなくていいのであれば何もしたくない。仕事に前のめりなほうではない。  そう、それは、何にも縛られることのない個人の感情であって、組織やプロジェクトに巻き込まれて動くとなると

点と点をまとめる天狗

 ”点”を集約できるプラットフォームをつくれたら。  目がバキバキだ。週に1日はこんな日がある。前日休みで寝すぎで夕方に起きたせいで眠れずその勢いのままに1日を過ごす日。午前中はへっちゃらなのに午後から急に眠けがやってきて瞼が重くなる。そんななか、目をかっぴらいてPC作業を進めていると、案の定、目がバキる。昼寝をしようかとも思うが、一度寝るとまで寝ちゃいそうで恐ろしい。それに、ここでグッとこらえて、夜床につけば超快眠できるのは間違いない。深い眠りにいざなわれたし。  と、

まじめに、なまける

 自分でもイヤになるくらい、性根がまじめで、むだに力みがちで、よく失敗する、だから、気張りすぎないように。そういう思いから、ひねり出したスローガンが「まじめに、なまける」だった。  そう、「なまける」ことに対して「まじめ」になろうよ、という自身への提案である。まじめという性質を邪魔せずに、そのベクトルをまなけるに向けさせるのは我ながらいい言葉を見つけたろ思う。  なんでこんなことを書いてるのかといえば、わざわざ・平田さんが説明することに近いなぁ、とふと思ったから。「力み

フリーランスって、目指すものではないのかもね。

「フリーランスになる方法が気になりすぎてる人はフリーランスには向いてないんじゃ......?」  ボクの性格があまり良くないせいもあるのだろうけど、「どうやったらなれますか(できますか)?」という質問を安易にする人、そういうハテナを自分のなかで一度も揉みこんでない人は、そもそも難しい気がしてしまう。  彼らが”フリーザー(思考停止をしてる人)”に見えてしまうのだ。自分で考えてみたり、動くこともなく、とにかくハウツーを追いすぎる。そういう情報を貪れるイベントにばかり顔を出す