フリーランスって、目指すものではないのかもね。
「フリーランスになる方法が気になりすぎてる人はフリーランスには向いてないんじゃ......?」
ボクの性格があまり良くないせいもあるのだろうけど、「どうやったらなれますか(できますか)?」という質問を安易にする人、そういうハテナを自分のなかで一度も揉みこんでない人は、そもそも難しい気がしてしまう。
彼らが”フリーザー(思考停止をしてる人)”に見えてしまうのだ。自分で考えてみたり、動くこともなく、とにかくハウツーを追いすぎる。そういう情報を貪れるイベントにばかり顔を出す。けど、なかなか行動には移らない(何を待ち構えているのか/何を始める条件としてるのか、が不明)。
自分の周りのフリーランスな人をみてみても、別に”フリーランスの学校”みたいなものに通ってたわけでもない。なんか始めちゃって、その動きに合わせて、その時その時で足りないフリーランス的な何かを学び、埋め合わせ、用意周到にやってのけてるというよりは、毎度毎度どうにかやってのけてる印象ばかりがある。
フリーランスなみんなの根底にあて、共通するところって、「自分で考えて動く/動かす人」であること。この一点に尽きる。たとえ何かを調べるにも、まず自分になりに考え、仮説を持ってから、それに必要な材料としてのリサーチをする。テクニックはやりながら、どうにか身に付けていく(仕事の仕方・型もやりながらつくっていく)。
あと、「フリーランス」というと、なんとなく憧れを覚える人もいるかもしれない。”新しい働き方”だの、”好きな場所で好きなことをして生きれる”だの、そういう怪しい文句がネットに多すぎるせいか、うまくいってる人がフィーチャーされ過ぎるせいか、何かフリーランスが良いもののように扱われている気もする。
そうじゃない、とボクは思ってしまう。あえて断言させてもらうと、そもそもが、普通の会社員ができなかったからフリーランスになった人たちばかりなのだ。言ってしまえば、その働き方にしか生きる抜け道がなかっただけというか。
今じゃネットにいくらでも文章にしろ映像にしろ情報アーカイブは腐るほどに落ちているわけで、そんなハウツーを学ぶようなイベントやワークショップに参加して"INPUT"ばかりしててもしょうがない。
フリーランスになっちゃう人は、すでに”OUTPUT”してるものがあったり、世間”一般的に”どこか不適合者で、目指さなくても、いつの間にか、生存戦略的に、そっちに向かってる人なんじゃないかと思うのだ。
そこを目指してたわけじゃなく、単純に、道に迷っただとか、好奇心のままにうろうろしていたらなんか道を見つけただとか、”積極的退却”としてあえて道をして逸れてみたら辿り着いちゃった(てへぺろ)みたいな。
ボク自身は完全に「道に迷った」系としてフリーで動き始めてもう7年目くらいになるんだけど、「いやぁ、やっぱり会社員になりたいよ!(福利厚生とかいいじゃない)」といつも思ってはいて、ただこんななまけもので「働くのは週3、百歩譲って4が限界っす」みたいなやつがまともに働ける会社などあるわけがない。だから、あきらめて、日々のらりくらりどうにかやっている。
なので、フリーランスってのをへんに目指して、やたら情報ばかりを蓄積してはいるけど動けてない人は、会社員としてのダイバーシティをもうちょい探ってみるといいんじゃないかと思う。コロナ禍の影響もあってか、少しずつそのバリエーションの可能性は増えてるだろうし。
まぁ一個人の意見にしかすぎないけど、あんまりフリーランスは目指すもんじゃないと思うんすよ。よし、とかく働くか(今宵もムチを打ちながら...)。
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