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週6×4時間の暮らしができあがるまで。

肉体的に健康かはさておき、精神的には健康な生活を送れている。そう感じるのは、数年ぶりに夜型の生活に戻ったからだ。3~4時頃に寝て、10~13時くらいに起きる生態が定着してきた。よろこばしい。

それが習慣といえるほどになったのは2024年になってからだけど、そのための生活実験として2~3年ほど前から試していたことがある。仕事のコアタイムを14-18時にぎゅっと固め、週6日×4時間という働き方の調整を行なっていた。とはいえ、実際には繁忙期などは午前中に打ち合わせ等入ることはあったし、深夜に資料づくりなどを進めないといけないこともあり、すべてが上手くいってたわけではない。

試行錯誤しながら分かったことは、やはり分散させることなく短時間でまとめて「ここで仕事するぞ」と決めちゃったほうが、だらだら行かなくていいし、自分の体質に合ってるという実感。繁忙期とか関係なく、14-18時のコアタイムでやらなきゃいけない仕事は片付け、もしやりたくなる仕事があればそれは好きにやればいい。作業にも優先順位があるから、まあそれを見極めることが大事だし、自由業っちゃ自由業だからこそ「休む」というか「ここで休んでおけ」という許可をバランスよく与えておきたい。

ちなみに、今だと休みは火曜日に設定しており、曜日ごとに手を付けるプロジェクトは極力分けるようにしているし、それらを考えたり手を動かすにも場所を変えるようにもしている。

つまり、仕事を「曜日」と「場所」で分けながら進めている。マルチタスクなんて、できているようでできてない(できていると思い込んでいる)ことが多い。一つのことに絞って、集中したほうが作業効率は上がる。少ないメモリのなかで、他のことに惑わされてだらだらやるほうがもったいない。そういうスタイルに徐々にシフトしていったのも、夜型の「体質」であったり、注意散漫な「気質」であったりするからでもある。恥ずかしい話、世の中として大多数を占め”ふつう"といわれる働き方が合ってない(あこがれてはいる)だけではあるのだけど、生存戦略としてどうにか絞り出してきた工夫の結果が14-18時だった。

時折、そういう話をすると「いいね〜」とか「うらやましい」とか心無い言葉を返されるが、「すぐに手に入れたわけじゃねぇからな」と脳みそピクリと反応してまうときはある。20代でみつけた働く違和感をつつきながら、あーでもこーでもないと調整(拠点を移したのも含め)を数年間続けたから、今があると思ってはいて、お金を払ったら受けられるサービスのようなものではないのよと小さく主張はしたい。

とどのつまり、働き方をどうこうするってのは、自分という人間との付き合い方をサボらないようにすることが前提にあって、小さく実験を繰り返していくしかない。求めても、頭だけで願っていては、求めるものを引き寄せることはできない。たとえ意思があっても、意思に反して巻き込まれる要因があるなら、対抗するべく環境づくりで工夫するしかない。もちろん自分の身の程に合うものじゃないといけないのだけど。他人のいいは、自分のいいが直結しないことはみんな知ってることだろうから。

そういえば、真夜中の時間はもっぱら本を読んだり、動画を観たりすることが多いのだけど、最近では劇場公開されてる映画に合わせて『ガンダムSEED』をまた1話から観直している(3周目なのにストーリーがあいまいすぎて)。

「情けないことしかできないのは、俺もお前も弱いからだろう」
「意思がない者には何もできんよ」

作品中に放たれる台詞なんだけど、いやぁ、働くってのもそうなのかもしれないっすね。意思をもって、強くなりてぇ。

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