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読了「おれの墓で踊れ」真っ当な『人の欲望』の定義はわからないけれど、真っ当な『人の欲望』を持って生きることは人として真っ当だなと思う

明日死んでもかまわない、的な生き方をしてたよね。15とか16とか17歳18歳とかね。楽しい、好き、したい、見たい、行きたい、触れたい、手に入れたい…そのためには何だってする。あの時死んでたかもしれないシチュエーションのいくつかは思い出せるけれど、多分数えきれないほどあったと思う。
潔いね。若いって。バカとも言われるけどさ。

今はどうかって?
毎日毎日、責任背負って仕事に行って、責任果たすべく体力知力想像力と技術を駆使して(もちろん笑顔も元気も心配顔もちゃんと相手と状況に合わせて使いながら)出来うる限りのパフォーマンスを発揮して、ボロ雑巾みたいになって家に戻って、ご飯食べてこと切れたごとく寝落ちして、午前2時前後に目覚めて風呂入って歯磨いて家事諸々必要に迫られているぶんだけやって、それもやりたくない時は本を開いたり映画を見たり週に一度は何かを約焼く。たとえばマフィンとか、大量に作ってストックしてある(たまにプリンを作りたくなるから)カラメルソース入りのシフォンケーキとか。
そして6時になったら、豆挽いてコーヒー淹れて一口飲んではぁ~って息つくのさ。
そこからは身支度して毎度のことながら車のキーどこだっけ?ってひと騒ぎして自分のスマホと仕事用のスマホを持ってバタバタバタ…

今の私を動かしているのは「責任」という漢字二文字に他ならない。
なんてつまらない日々。
大事だとか必要だとか素晴らしい仕事だとか、そんな美辞麗句じゃあ、もう誤魔化せないくらい長い間やってきたし、責任背負った仕事現場でいつだって最高のパフォーマンスを発揮すべく努力するのは当たり前のことだと体に染み付いている。
ただね、これがね、いつまで続くの?ってのが問題。
経営者ってのがとことん向いてないんだよね。
聞こえ良く言うならクリエイティブな(より分かりやすく説明するといろんなことに興味があってやってみたいことがたくさんある)私が「責任」を頭の上に掲げて何十年も生きてるなんて!!

ココロの傾いた先に転がって行くことは状況が許さないから、本を読むの。でないと私は多分石ころになる。そして痛みと引き換えの若さがフラッシュバックする中で想像もして考えもするの。いろいろなこと。過去と過去と過去とあるかもないかもしれない未来について。そして、今、私はどうしたいのかについて。
叶えることは絶対にできないのだけれど、考えるの。考えずにはいられないの。「責任」にまみれながら。

でもね、「後悔」はできないの。だって、後悔を嘆く時間も「責任」が許さないから。

って、読了後にしばらく考えてるwww


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