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国立大学生が伝える料理の力

全文を読んで欲しくて、投げ銭方式を採用しました。今までは①真似る力までしか読めない設定になっていましたが、全文読めるようにしています。面白かった、違うのも読みたいという方はぜひ投げ銭してください。

はじめに

私は子供の頃から、それこそ保育園生のころから料理をしていました。
和菓子屋を営んでいた祖父母の家が生活の中心であったことも理由の一つかもしれません。
料理を趣味の一つとして続けて、かれこれ10数年。離れてる時期もあったけど、今は結構楽しんでます。小学生の頃の夢は千葉の富津で料理屋を営むこと。なぜ富津かというと旅行に行って気に入ったからというすごく子供じみた理由。

最近はハマっているのはイタリア料理。
これまでも中華、本格カレー、手打ちうどん、ピザにハマりました。作り方はさまざまだけど、どれも夢中でやってました。まだまだ道半ば。中華は黒酢の酢豚。ホイコーロー、ナスの味噌炒め(と言ってもオイスターソースベース)、チャーハン。レパートリーが少ない。本格カレーといってもスパイスはすでにできているもの。調合するところからやってみたいけど、少しずつ買うと高くつくスパイス。いまはちょっとできないな。手打ちうどんは苦戦した。好きなうどん屋の味を真似ようとした、かなり近いところまで行った。ただ、麺の練り方の問題か、出汁の取り方か。あんなシンプルだけど、同じにならない不思議。ピザは美味しい。たしか大坂なおみの試合を観ながら、祖父母と食べたことを思い出す。本格ピザの味を知るまではこれで満足。

料理から多くのことを学び、日々の幸せをもらっています。
料理好きの人たちにはその効用を再確認していただき、
料理が嫌いな人はその楽しみと学びを、
料理をしたことがない人にはいかに損した人生であったかを。

そんな記事になることを祈っています。

① 真似る力

全ての学びは真似ることから始まります。子供は親の真似をすることで成長していきます。言葉使いや日々の様相。趣味嗜好も親に似るモノです。先にも言いましたが、私が料理好きなのは祖父母の影響です。

周囲の人たちに料理の話をすると「レシピや動画を見てもうまくいかない」という話をされます。これは繰り返しやることで培われる能力なんです。レシピも動画も当たり前ですが、全てを説明しきれていません。“言わなくてもわかるだろう“的な穴がどうしても出てくるもの。その足りない情報の穴埋めは自分でやらなければいけません。

レシピを見て、動画を見て、真似をします。繰り返し真似をすることで、元に近くなっていきます。しかし、本物にはならないモノです。

日本のシェイクスピアとも呼ばれる劇作家・井上ひさしの文章上達法について書いたエッセイにも似たことを見出せます。

好きな文章家を見つけたら、彼の文章を徹底して漁り、その紙背まで読み抜く。別に言えば、彼のスタイルを自分の体の芯まで染み込ませる。そして次に、彼のスタイルでためしにものを書いてみる。
そんな書き方をしては、お手本の文章と似てしまうのではないかと首をおかしげの方もおいでだろうが、これが不思議と似ないのだ。できあがった文章にはあなたの個性も刻印されているはずだ。

骨みに染み込むまで繰り返し真似したとしても完璧に同じにはなりません。これは料理でも同じです。繰り返し真似て自分らしい味に近づけていくという逆説。

料理の場合にはその時々で異なります。
それは食べたいものも日々で異なることと同じで当たり前です。すこし今日は塩加減を強めたり、落ち着いた優しい味に仕上げたりすることもできます。

ここでちょっと談話。最近の料理はコモディティ化してきている。コモディティ化とは経済学の言葉ですが、ここでの意味としては「どこで食べてもいつ食べても同じ味になるようにしてある」という意味です。ファミリーレストランでもそうですし、スーパーでも同じことです。料理から季節が失われてしまいました。自炊をすると気づくことですが、季節に合わせて作るものを変えることで安く済みます。旬のものを選べば安く美味しいからです。食事に季節を取り戻す」。これもこの記事の目的の一つです。

話を戻します。
得られる情報からできる限り本物に近づけようとするなかで、自分らしい味、色合い、香りを見つけていく。小さなことを一歩ずつ。繰り返し繰り返し。

「一夜漬け」なんて言葉があります。翌日の試験のために、前日の夜だけで挑む。
試験をやりたい料理に見立てれば、その日だけで合格ラインに達することなんてできません。夕ご飯に何食分ものボロネーゼは食べられませんよね。

② 観察力〜視覚は情報の8割


私は理学部に所属しています。専門は生物学です。
生物の実験を思い出すとどんなことが浮かびますか。
さまざまな記憶が呼び起こされると思います。全く記憶ないという人もいるかもしれない。私は現役で、毎週、実験をしています。毎週実験レポートに苦しめられていますが。生物の実験で最も必要な能力は観察力です。分析や、統計のスキルなどもありますが、それを得るのは観察から。これは生物の実験に限った話ではないはずです。

何の仕事にしてもそうですが、先輩のやっていることを見ることで学ぶ。それが当たり前ですよね。繰り返し見て自分のものにしていくのだと思います。

料理でこの能力は必須。
先に動画を見て料理を真似ることの効用を説明しました。
「見てそこから何を得るか」、これが観察力だと考えています。

料理の場合、真似るための観察力だけでなく。失敗しない、美味しく作るための観察力も必要です。この観察力には見るだけではダメ。匂い、そして聴く能力も使います。つまり、変化を感じる能力とも言えます。
五感から入ってくる情報をしっかりキャッチする。

色合いの変化、香りの変化、そして焼ける音の変化が料理の常です。
イヤでも料理をすることで上達していく。これが二つ目の料理の効用です。

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③ 成功の擬似体験〜失敗という当たり前


料理の中で切りたくても切り離せないの。それが失敗です。
何回も作った料理ですら、ちょっとしたことで失敗します。

この前の失敗は大好きな茄子の味噌炒めを作った時です。
完成品を食べるとあり得ないほど辛い。前もって料理好きの同志たちに断っておきますが、塩と砂糖を間違えたわけではありませんよ(笑)。

本格的な味にしたくて中華味噌をおばさんからもらってきました。
いつも通り使いました。あとでその味噌を味見したら普段使っている味噌よりめちゃくちゃ塩っけが強い。入れる量を間違えたのですね。本当は新しく調味料を変えたら味見をするべきだった。何度も作った料理だからと過信したのがよくない。
猿というか”小猿”も木から落ちる」といったところでしょうか。

よく失敗するのが恥ずかしいということがあります。特に小・中・高生が手をあげる勇気を出せない。失敗を恐れて。
料理をしていると失敗なんかザラですから、失敗することに恐怖心は無くなります。かといって、いつも失敗していいわけではないですが。
繰り返し失敗を重ね、自分の口にあった料理になるまで。
ゴールへの鍵は失敗しても繰り返しやることです。何度も作ることで自分の弱点に気づけます。どう工夫をしたらいいかがわかってきます。ポイントは繰り返し試すこと。

④ Try and Error〜実験の気持ちで


前節で料理には失敗がつきものだと説明しました。
この失敗と表裏となる挑戦することについて書きます。
料理は失敗とともにいつも挑戦です。私の祖母は70代後半。体は健康ですが、難聴が深刻です。そんなおばあちゃんに銀座に志かわの食パンには生クリームやバターが入っていて、甘くふんわりとした美味しいパンになっていると伝えました。翌週には「作ってみたからぜひ食べて欲しい」と言われました。その歳でも新しいことを見つけては挑戦する。これは料理だからこそ、何十年来続けてきたからこそできること。料理とは生活の一部です。これは必要不可欠なものです。挑戦というと敷居が高く感じます。新しいことへの挑戦と。しかし、料理は毎日しますし、同じものばかり食べるわけにいきませんから、日々が挑戦になるのです。

PDCAサイクルというのが流行った時期があります。
Plan(計画)〜Do(やってみる)〜Check(評価)〜Action(次はどうする?)
このサイクルをすることでより良い事業を生み出せる云々。
ただ、今見てきたようにこれって料理では当たり前なんですよね。Pは献立、Dが実際の調理、Cは味見あるいは実際のご飯どき、Aは明日の料理。とまぁこんな感じ。
食卓を担ってきた女性の人たちに、ふんぞり返った経営者たちが「PDCAってのがある」。なんていったらきっと笑って、「私たちはいつもPDCAよ」って言うんじゃないですかね。

雑談。大学は理学部ですが、「大学で何を学びましたか」という質問には生物とは答えません。多分、社会学とか哲学とか自ら調べ、考えたものを言います。その中でも一番心振るわせたのがフェミニズムです。現代に男女の格差は無くなった。そういう言説が増えていますが、とんでもない。今でもガラスの天井はありますし、所々に男性基準が存在しています。この話は長くなるのでまた今度にしますが。
料理は元来、女性のものという認識は誤りで、有名レストランのシェフは男性が多いですよね。力仕事もあるからという人がいましたが、本当は「家庭を守るのが女性」。このイデオロギーが市民権を得ていたからです。もしかすると、「私」一人称を使っているから女性だったと思いの方がいるかも知れません。私は男ですよ。料理好きで男性優位の社会へ憤懣を持つ男です。男女の問題も社会として扱うべき問題なのです。第二波フェミニズムのスローガン「個人的なことは政治的なこと」でこの節を終わりにします。

⑤ 段取り力〜物事順調に進める


料理を上手く作るコツ。その一つが段取りです。

パスタの話をしましょう。
パスタを作るとき、作業を分けると二つになる。それは麺を茹でる。ソースを作る。それぞれが完成する時間が同じであれば熱々で食べられる。美味しくなる。これがバラバラだと冷えた麺。あるいはぬるいソースになって香りもイマイチ。そんなことが起こるとも限らない。

ここが段取り力の見せ所。
まずはイメージ図を見てください。

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パスタは茹で時間が決まっています。もちろん、ソースと和える時間によってすこし早めにあげたりもするが。これを基準に考えていく。例えばソースがボロネーゼなら15分くらい煮詰める。こんなときには煮詰め出してからパスタを茹で出すんでいい。たいしてペペロンチーノはニンニクを刻んで、オリーブオイルに香りがつけばOK。下準備の段階からソースの完成までパスタの茹で時間と同じくらい。ただ、日高シェフのペペロンチーノを見るとオリーブオイルへの香り付けを丁寧にやっていた。これを採用すれば10分以上かかってしまうだろう。そうなるとパスタの茹で始めを気にかける必要が出てくる。


段取り力があると美味しくなる。そんな視点で書いてみたが実際のところ、繰り返し似た手順を踏むと最善の方法がわかるものだ。そして数回作っただけでもこうすればスムーズにいく。がわかってくる。これこそ段取り力を鍛えるということ。

⑥ 要約力〜流れと骨格を捉える


料理の話をすると必ず聞かれる。レシピ。
「どうやって作るの」
ぱっとできる答えとしてはYouTubeのリンクを伝えること。
ただ、これではあまりにも無愛想。というか、レシピ全部を聞こうというわけではない。
「あなたにとってその料理にどんな記憶がありますか」
これが、レシピを聞くときの本質だと思います。料理教室とかは別ですが。

つまりレシピの質問をされて、手順を間違えなく伝えることが大切なのではありません。
「こんな風に作っている」。その要約された手順にその人の料理に対する心が現れると思います。
例えば、アクアパッツァの作り方。
塩をした魚を狐色になるまでソテー、半身浴で煮ていく。ポイントは強火で沸騰状態を保つことと、絶えずお魚さんにお湯をかけること。一煮立ちでアサリを入れて、開いたらトマト(生の場合)、パセリをいれて、仕上げに塩とオリーブオイル。

どうでしょうか。流れはわかるかもしれませんが、実際に作れと言われれば難しいでしょう。分量が気になるのかもしれません。

ただ、私の頭にはこのような作業行程で記憶されています。この流れをもとにどの料理も段取りをします。実際に作るときはその時々で分量を変え、アレンジを加えます。

料理を作るときは、「このレシピでやる」みたいな定まったもので考えてしまうと、遊びができなくなります。すこしの柔軟性を持つには手順を流れで、あるいは骨格で捉えることが大切です。
例えるならその料理の作り方とは一本の木です。流れは太い幹。枝葉が細かい実際の作業。

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以上で説明してきたように要約には二側面の能力があります。一つはまとめる力という良くいう要約力。もう一つは要約したものから実際の作業を呼び起こす力。骨から身を作る力。料理で言えば、頭の中にある流れから少しずつ遊びをする。トマトを縦に切るか横に切るか。塩加減はどうするか。醤油に変えてみたら仕上がりはどうなるか。いろんな遊びを許すのがレシピを流れとして掴むことです。

⑦ 無駄にしない〜モノを大切にする


最近のハマりがイタリア料理であることはすでに伝えました。今の一番作っているのはリゾットです。
リゾットの簡単な作り方を紹介すると。
オリーブオイルで玉ねぎを炒め、そこに米(とがないのがポイント)を入れます。ブイヨン(水でもOK)を足していき、好みの硬さのちょっと前で仕上げにチーズを入れる。

このブイヨンを作るときに私はコンソメを使います。そこに野菜の端材も追加します。じゃがいもの皮、茄子やトマトのヘタなどなど。それ専用のタッパーを冷凍庫に入れています。
このように料理の方法を知れば食材は無駄なく使うことができます。食品ロスなんてことをよく言いますが、みんなが自炊をすれば、この無駄にしない知恵をえれば食料問題の半分が解決すると思います(そんな簡単ではない、という話は次の章で)。

食材だけでなく、料理をやっているとものも大切にしなければいけません。
料理人と包丁は鬼にとっての金棒、野球選手のグローブとバット。現代人にとってのスマホ?。なくてはならないものです。ただ、その手入れを怠ると自分に災難が降りかかります。よく切れる包丁の方が怪我をしません。というのも切れないと余計な力を入れて手元が乱れるからです。よく手入れをして切れる状態を保つ。すなわちものを大切にすることで、料理もいっそう楽しく快適にできるのです。仕事やスポーツのように。

スマホも同じで使い方さえ間違えなければ大変便利です。しかし、依存するとなると自身の身体をも脅かすほどの力があります。ものは使うからいいのであって、使われるようではいけませんね。


1000円くらいの包丁を1年交代で使うなら、1万円を出していい包丁を買いましょう。鋼の包丁は手入れを怠らなければ一生ものだということも言います。

新機能が搭載された器具をすぐに買い足す。便利さは買えるでしょうが、スキルまでは買えません。できないことも少しずつ、繰り返すことでできるようになります。自分のスキルも使っているものも大切にしてあげれば、磨かれ切れ味が増すものです。

⑧ 食料システム論を考えてみる


大学で食料問題について考える時間がありました。どうして食料が不足するのか。目下の答えは「先進国の肉食習慣」になるようです。それ専門ではないですが、一料理好き。食べ物のことを考えるのが好きな私には無視できない問題です。この短い紙面で料理の効用をできる限り全部お伝えしたつもりです。ですが、料理の裏にある影の部分について何も触れないのはどうかと思います。最後にこのことについて概略ではありますが話します。

その前に、大学の講義でもあるようなワークをやります。
「イタリア料理と聞くとどんな印象を持ちますか」。
高級そうですか?やるには手間がかかりそう?ちょっと敷居が高そう?
ちょっと自分なりの答えを出してみてください。
イタリア料理を勉強させていただいている日高シェフに聞いても「これが答え」なんてものはないと思います。

イタリア料理にハマってからかれこれ1ヶ月以上が経ちます。この質問への私なりの答えはイタリア料理は「イタリア各地の家庭料理」。和食とその根本的なところは代わりがない。できる限り手間はかからないほうがいいし、高い食材よりその時々で安く手に入るものがいい。こんなところです。

ペペロンチーノは誰でもできる簡単料理ですよね。リゾットだって基本は同じ。オリーブオイルにニンニクの香りをつけて米を入れて炊いていく。ソースとパスタを一緒に作ってしまう。そんな感じ。アクアパッツァだって水煮でしょ。そんなこと言ったらイタリア料理好きに怒られちゃうかな?

ここから少し考える時間です。上記の問答でいくつかの問題に気づきます。
まずは偏見、バイアスについて。「イタリア料理はこうでしょ」みたいな固定観念を持っています。実際は違うのに。ただ、これはよくある話で。例えば、料理好きで「私」の一人称で書いているのが男の子と思う人たちは少ないかもしれませんね。これも一つのジェンダーバイアス。人はこのバイアスを持たずには生きられません。だからこそ、差別は残り続けるのですね。ただ、自分のバイアスに気がつこうとすることはできる。「これは偏見だったな」は恥ずかしいことではなく、大切な一歩です。

この節のタイトル。食料システムについての気づき。イタリア料理にハマっていると吹聴している私。しかし、日本にいながらイタリア料理を嗜好できることは当たり前じゃない。落語を良く聞きます。内陸に住む人たちは生涯、魚を口にしなかったかもしれない。そんな時代もあった。ここで伝えたいのは「どこの国のものであっても、日本にいながら、あるいは地元にいながら食べられる」というある種異常な状態。そしてそれを支えるのは様々な企業、農家であること。そんな人たちに感謝しましょう。は小学生の子たちに伝えればいい。その実が搾取つまり不当な取引であることや地球の資源や環境を消費していることが伝えたいわけです。

詳細に書くことは避けるが、食品がいかにして作られるか、またその食産業はどのように成り立っているのか。ドキュメンタリー映画『フードインク』(Amazon Primeにあるので会員の人は是非)。そして生活を質におかれ、Noと言えない労働者像をえがいたスタインベックの『怒りの葡萄』を勧めてこの記事を締めたい。


誰のせいとは言えないほど絡み合い、複雑な問題。私たちは常に問題に対してオシレーションを起こし続ける、あるいはバトラーの言葉を借りれば撹乱し続けなければいけない。そんな言葉を残しておきます。

終わりに

ここまで読んでくださった方はおそらく指の本数で足りることと思います。まずは感謝の言葉を伝えたいです。有料記事を書くというのは不安です。「こんなものにお金を出す人がいるのかな」と思うからです。そしてお金を使って読んだことを後悔する人がいるかもしれないからです。ですから、是非とも率直な感想、評価をコメント欄に書いて欲しいです。

料理ってホント楽しいですよね。今の目標はお金を貯めてイタリアに1ヶ月くらい料理の勉強に行くことです。料理人になるわけじゃないと思いますが(笑)。

この記事を書いて料理の新しい側面も見えてきたように思います。
ただ、色々な力を説明してきて、何より大切なことは「繰り返すこと」。これに限ります。
料理だけではないでしょうが。高望みせず、コツコツと進んでいく。私のnoteもそうありたい。

2021年7月17日 まめきち

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