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「貰う」と「直す」は知っていても、「買う」を知らないジジとババ

最近、私の祖父母と釣りに行った。
こんな時勢だから大ぴっらに言うことでもないかもしれない。
難しい世の中。

話の種は釣りでも、コロナでもない。
ジジババの日常風景

釣りから帰って一休みしていると、祖父の方が何かしている。
見ると釣りに持っていた保冷バックが壊れていたみたい。
肩掛けの紐がバックから外れてしまったらしい。本来はバック本体に縫ってあったもの。
「本業を始める」とか言い出し、裁縫箱を机の上に。

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紐とバックを縫い始めた。その出来栄えは、とても大人のやった所業とは思えないほど酷いもの。小学生の時の私だってもう少しマシにやる。というのも、裁縫が得意だった。家庭科の手伝いに来ているママさん達にはよく褒められたもの(ジェンダー問題を含む言い方かもしれないが、未だ内在する男女の役割と認めた上での記述)。
野球をやっている人に伝わるだろう。
バットケースのケツの部分にはよく穴が開く。
お下がりか貰いもだった私は常に中古品だったので使っている間に壊れる。すると裁縫箱を持ち出し、縫った。親からはブラックジャック先生とあだ名された。考えてみれば祖父の影響を受けている。

保冷バックに書かれていたのはMets、KIRINとあった。
そのとき、初めて貰いものだと知った。貰いものでも大切にする。

聞いてみるとあれもこれも貰いものらしい。
ジジババの言い訳はこう。
冠婚葬祭などイベントごとには必ずお金を積んでいる。
それより価格的には安いものを貰う。自分たちも同じだが。
それだけでも十分生活してけるらしい。直して使っていけば。
ハビトゥス論など持ち出さずとも、親の影響を受けるものと知っている。
私は祖父母といる時間が長かったため、その影響を強く受けているらしい。
「ものは大切にしなければいけない」と根についたものがある。

最近読んでいる齋藤幸平の『人新世の「資本論」』。
脱成長を求め、資本主義からコモンへと変わることが重要であると解く。
その詳細はいずれ記事にするだろうが、その中で相互公助なる言葉が出てくる。
式ごとにお金を積み、そのお礼で生活していく。まさしくではないか。
私が脱成長と共鳴するのも、コモンへ多少の理想を置くのも祖父母に由来するのだろう。
齋藤幸平にとってのカール・マルクスは、私にとっての祖父母らしい。
何かの賞を得ずとも、有名な大学に入らずとも、思想ばかりは生きている。

そんなこんなで「貰う」と「直す」そして「あげる」ことしか知らない祖父母の影響で、「買う」や「売る」にはどうも食指が伸びない。ぴーちゃんとの意見の食い違いが起こるのも仕方ない。彼女は物欲が強く、というとマイナスイメージだが、便利さを求めることが好きらしい。関係性を保つにはどちらかが譲歩するか、双方が譲歩し合わなければいけないだろう。ただ、その前提に互いの自由を置けば“両立すれど分離”になる。さながら民主主義、自由を保ち資本主義を捨てるという難題が私の前にはある。

齋藤幸平に聞けば、マルクスに聞けばヒントをくれるか。それとも彼らにとっても難題か。


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