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価値とモノの見方は自分で決まる

先日、勉強のためにカフェに行った。
私はコーヒーが好きだ。目的は勉強だが、行くからには美味しいコーヒーがある店に行きたい。少々勉強するだけに高いコーヒー代を払うなんて勿体無いという人もいる。

もし金銭的な面を重視するなら、家で勉強する、もっとドリンクの安い場所(ファーストフード店など)で勉強するという選択肢もあるのだろう。

しかし、行きたい場所、満足度の高い場所というのは自分自身もよい方向に導いてくれると私は考えている。また、そうした場所に行くと自分の気分や身なり、行動も変わってくる。素敵な場所に行く場合、新しい服を着たり、メイクを変えて少しおしゃれをして出かける時もある。その日も実際、お気に入りの服を着て新しいメイクをし、買いたてのPCと新品のカバーをお供にわくわくしながらカフェに向かった。そんな姿で行くと、気持ちもしゃきっとし、より学習に身が入る。

価格が安くなろうとも、ファーストフード店はあまり好きではない。店内はざわついているイメージだし、ドリンクより圧倒的にフードを頼んでいる人も多いので服に油っぽい匂いがついてしまう気がする。
なので色々考慮するとやはり価格よりも自分が一番リラックスし、満足して過ごせる場所がよいと思うのだ。

それが自分にとってよいのだと思うのは一日の成果を見た時だ。勉強も捗り、色々な考えがまとまる。
先日は苦戦していたフランス語の単元も理解でき、習得することができた。コーヒーの豊かな香り、静かな環境、ゆったりとした音楽、そんな中でする勉強や考え事をする時間が何より幸せだった。
こうした時間や空間が自分には必要なのだと痛感した。

きっと物事はなんでもそうなのだと思う。
一見、勿体無く感じることでも周り回って素晴らしい結果や価値を生み出す時がある。これがモノの対価なんだと感じる。

もちろん、安くて早いが良い時もある。経済や時間の余裕を考えるとそれが重要な時もある。しかし、少し価格が高くとも、良質なものを選ぶとそれに見合う結果が得られる時もある。

私は現在、留学を目標に生活している。留学ではフランスでチーズを学びたいと考えている。留学に関しても周囲からは、今の仕事や収入など恵まれた環境や安定を捨ててまですることなのか、それで今後何か良い結果は得られるのか、そんなことする歳ではないのではないかなど、ネガティブな意見も多くある。

みんなの言い分もわかるし、納得する部分もある。自分自身、正直不安も多くある。だけれど、一度しかない人生、後悔しない生き方をしたいという気持ちがそれ以上に強い。

学生の頃から、ずっと留学をしてみたかった。
でも、留学して何を学びたいのか、どんなことをしてみたいのかずっと明確ではなかった。

パートナーにも留学をしたいという思いを何度も伝えたことがある。
その度に反対された。きっと私と物理的な距離ができるのが嫌だから反対しているのだろう。言われるたびにそう思った。
けれど、「留学して何をしたいの?」そんな質問にうまく答えることができなかった。なので、反対されて悔しいのに反論もできなかった。

しかし、大好きなチーズをもっと知りたいと思って勉強を始め世界が変わった。フランスにチーズを学びに行きたいという目標ができるようになった。

勉強を真剣にしてからパートナーに留学の話をした際、反対は全くされず、むしろ応援してくれた。私がしたいことを全力で応援すると言ってくれた。自分が何をしたいかが明確になり、その思いが伝わったことが嬉しかった。きちんとした考えがあると熱意や気持ちは周囲に届くのだと感じた瞬間だった。

学生の頃、どうして無理矢理にでもお金を工面して留学に行かなかったのだろうと思った時期もあったけれど(もちろん金銭的に難しかったから諦めたのだけれど)、振り返ると目標や学びたいことが明確になった今、留学をする方がよっぽど価値がある気がする。時間はかかったけれど、周り回って自分はやっとやりたい学びを見つけられた気がする。
やみくもに何かやるよりも、何か目標があってやることのことのほうが自分も頑張ることができるだろうし、得ることが多い。しかし、ある程度決まってからは見切り発車でいいと思う。ここでいうのは全てをガチガチに決めろというのではなく、ある程度掲げるものがあるとそれに向かって頑張ることができるので良いということだ。

思い立ったが吉日。
やってみたかったことには挑戦して、悔いのない生き方をしよう。
若くはないけれど、人生まだまだこれからだと思う日々。毎日はきらきら輝いている。





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