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手書きのクラス通信

 小学校の時の担任の先生は、手書きでクラス通信を作っていた。通信のタイトルもあり、各コーナーの題字や、決めていたイラストがあったのだろうか、毎回決まったイラストをあちこちに貼り付けて作っていた。
 がっちりした体型の、一見怖そうな男の先生だったが、書く文字は丸くてかわいらしい文字だった。時間をかけないと作れないだろうな、と子供心に感じる通信だった。配られると、クラス中が静かになって読んでいた。みんな読みたかったのだと思う。先生が配る通信を楽しみにしている生徒たち。ときどき、毎日の宿題だった日記が載ることがあった。日記の一部を抜粋して載せ、イラストとともに先生のコメントが付いていた。日記が載った子は、嬉しそうにしていたのを思い出す。
 この先生は、文を書くのを大事にする先生だったと思う。毎日の日記を一年の終わりに集めて、一冊の分厚本にして渡してくれたのだった。日記には、先生がいいと思った部分なのだろう、文の横に赤線が引いてあって、小さく花丸してあるものや、日記の終わりには、必ず何行かコメントを書いてくれた。クラス中の生徒全員の毎日の日記を読んで、しっかりコメントしてくれる。学校での「親」のようになろうとしてくれていたのかもしれない。
 学校の先生が黒板に文字を書いているのを見るのも好きだった。先生によって書く速さも違うし、話しながらスラスラと書く先生、一文字ずつ丁寧に書こうとする先生。字の書き方で、先生の機嫌が分かったりした。中学、高校となるにつれて、丁寧に黒板をまとめる先生は減っていったように思う。ゆっくり授業を進められるのは、小学校の頃だけだったのかもしれない。
 手書きの印刷物は、あまり見かけなくなった。手書きは、見ると親しみを感じる。皆の前に立って話しているように思える。
 小学校の頃にもらったような通信は、いまどのくらい発行されているのだろうか。じっくり読みたくなるような、おもしろいものを見てみたい。
 

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