腐れ縁でも運命の人になり得るのか
「運命の人」って信じますか?
少し大袈裟な言い方になってしまいました。
「運命の人」とはよく使われる言葉です。
恋愛で言ったら赤い糸ですが、それだけじゃなくて、
自分の人生の転換期に出会う人とかもそう言います。
ちょっと平たく言うと「ご縁」がある人。
私自身はスピリチュアルに詳しいわけではないのですが、
何となくそう言うのもあるのかなと感じます。
だから「運命の人」を信じるかと聞かれたら、
半分くらいかな、が答えです。
なぜ半分かと言うと、一般的には「運命の人」ってあるように思うんですが、
私自身、自分が「運命の人」と思った人はほとんど偽物だったという苦い経験から半分しか信じられないのです。
「運命」は確かにあるのかもしれませんが、その「運命」を感じる自分のセンサーを信じていないって言う事ですね。
そもそも自分が「運命の人」と思っていても、相手は何にも思ってなかったりしたもんで…
だからこの「運命」って自分側だけの尺度でしかないのかもしれません。
「縁」と言うと「腐れ縁」と言うのもあります。
ほとんどネガティブな印象のこの「縁」。
くっついては別れ、別れてはすぐくっつくを繰り返す「縁」です。
これも何となく「運命」的な感じもしますが、そうではありません。
腐れ縁を繰り返すタイプの人のことを「思い出が美しすぎて症候群」と誰かが言ってました。
そうなんです。
合わなくて、しんどくて、嫌になって別れてもすぐ寂しくなる。
そして、楽しかった時のことや良いところを思い出して、自分から連絡取っちゃったりするんです。
「運命の人」は割と自分側だけの尺度(感覚)なのに対して、「腐れ縁」はお互い似通った尺度(感覚)の持ち主です。
だからとことん繰り返す。
でもこれが本当の「ご縁」かと言うと、そうでもない。
どんなに嫌なことがあっても、慣れ親しんだ人の方が安心する心理ですね。
このまま誰とも「縁」がなかったらどうしようという不安に耐えられなくて、新しいことにチャレンジできません。
あとすぐに比べちゃったりします。
出会ったばかりの人とは、そんなに思い出が作れていないのに、
楽しかった頃の昔の人との思い出と比べます。
そして「やっぱりこの人じゃない」となりがち。
つまりは手近で見知った範疇から脱出できないから「腐れ縁」が続くわけです。
また「運命」とか「縁」とかを感じると、すぐに頭がお花畑になって思考が停止する人がいます。
しかし思考が停止すると「運命」とか「縁」が流れている川に流されてしまいます。
本来、「運命」は自分が引き寄せるものです。(本物をね)
自分の足でしっかり立っていないと、引き寄せた時グラグラしてひっくり返っちゃうかも。
そうならないためにも、自分自身をしっかり持っていたいものです。
感覚だけ、思考だけという極端な偏り方をせず、程よいバランスをとるように心がけましょう。
これを読んでいただけたことは、私にとって大事な「ご縁」だと思っています。
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