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これまでの全てが繋がって奇妙な線になる

最近、結婚式に行く機会が多い。
20代半ば過ぎ、友人関係が1番活発だった時期に挙げた自分の式は、友人を会場にできる限りたくさん呼んで、ワイワイやった。
自分の式に限らず、当時足を運んだ友人の結婚式は、いつもガヤガヤ賑やかだった気がする。

そう考えると、最近参加する結婚式は割と落ち着いているように思う。
みんな30を過ぎて飲み方が控え目になってきたり、コロナの影響だったり、色々と理由があると思うけど、式自体の参列者が少なくなって、二次会に行くことも減った。

だからこそ、呼んでもらったときには数合わせ感がなくて嬉しい。
特に、連絡もご無沙汰しているような友だちが呼んでくれると、「思い出してくれたんだなあ」と感傷的になるし、付き合いが濃かった頃のことをたくさん思い出す。
数ヶ月前に参列した高校のサッカー部の同期である永山の結婚式は、まさにそんな式だった。


永山は、高校時代のサッカー部のキャプテンだった。
弱小高校だったけれど、永山は実力があった。
選抜チームにも入っていたし、高校一年生の頃から三年生のチームでレギュラーになったていた(僕はその頃ベンチにすら入れていなかった)。
永山はいつも先輩たちと連んでいたし、頭も良くて(僕より成績はかなり上だった)、結構近寄りがたい存在だった。

永山としっかり話すようになったのは、チームが自分たちの学年中心になってからだったと思う。
僕もやっとレギュラーになって、永山と一緒にプレーするようになった。
永山とは、いつも練習の時にペアを組んでストレッチをしたり、パス交換したりしていた。

だけど、僕らの学年は絶望的に弱かった。
技術的な未熟さはもちろん、精神的にも未熟だった。サッカーに対しての熱量がかなり低かったと思う。
そんな中で孤軍奮闘する永山を他所目に、僕は他のチームメイトと一緒に練習でめちゃくちゃ手を抜いたり、走り込みや筋トレをする日はサボったりしていた。

高校時代の僕は、全ての物事を斜に構えて見ていた。
素直さとは程遠くて、面白いと思っていることをつまらないと言ったり、好きなものを嫌いと言ったりしていた。
サッカーもその一つで、本当はサッカーのことばっかり考えているのに、「サッカーは今はあんまり好きじゃない」と言って、一生懸命にやることが恥ずかしい、みたいな本当にダサい言動を繰り返していた。

ただ、自分がサッカーが好きなことを隠しきれないのは試合の時で、負けるのが嫌いで、試合中に突然熱くなって怒鳴り散らすときがあった。
普段練習をサボっている奴が、試合になっていきなり真剣になって喚き散らすんだから、周囲はかなり困惑していたと思う。



そんな僕のダメっぷりが象徴的な出来事は、とある日の練習試合で起こった。

怪我明けの僕はスタメンで試合に出ていたけれど、開始早々に途中交代させられた。
監督は、怪我した脚を庇うような仕草を何度か見せていた僕を、練習試合だからと大事を取って休ませてくれた。
だけど試合モードで頭が沸騰していた僕は、ブチギレてスパイクを投げ捨ててそのまま無断帰宅してしまった。

試合の翌日、僕は途中交代したときの興奮そのままに監督の元に行って「あんな扱いされるのマジムカつくんでやめます」と言った。
監督は呆れた顔で「お前の怪我を心配しただけなんだけど、来週の秋の公式戦だけは出ろ。その後はもうお前に任せるよ」とため息をついた。

秋の公式戦当日。
逆ギレしてチームを乱したにもかかわらず、僕はスタメンだった。
監督は度量がある人だった。

試合開始のキックオフで、僕はセンターサークルに永山と一緒に向かった。

ずっと真剣にサッカーをやっていた永山は、おそらく僕にめちゃくちゃ呆れていたし、なんなら殴ってやりたいぐらいに思っていたと思う。
少し気まずい思い出キックオフの笛を待っていると、永山がこんな言葉を掛けてくれた。

「太と一緒にもっとサッカーがやりたいから、できるだけ勝ち進もうぜ」

僕はその試合、永山の言葉がずっと頭から離れず、涙目でサッカーをした。

結局、その後の数試合で秋の公式戦は敗退してしまった。

試合後、反省会を終えてから、永山に「本当にここで辞めちゃうの?」と聞かれた僕は、「ここで終わりたくない」と涙を堪えながら言った。
永山は嬉しそうにしてくれた。
後日、僕は監督に頭を下げて、最後の大会までサッカーを続けさせてもらった。


サッカーがヘタクソな分際で、チームにたくさん迷惑をかけた僕は、高校を卒業してからも永山に対しては相当な罪悪感を持っていた。
本当は直接謝りたかったけど、会うのも少し緊張した。

だからこそ僕は、自分の結婚式に永山に来て欲しいという連絡をするときに緊張した。
来てくれることになったときは嬉しかったし、当日永山に渡したメッセージカードには、高校時代のことをひたすら詫びる文章を書いた。

自分の結婚式以降、一度も永山とは連絡を取っていなかったから、式の招待をもらったときは少しびっくりした。
僕が招待したからそのお返しということもあったとは思うけれど、当日永山が呼んだ高校の同期はほんのわずかだった。
僕よりも仲の良い奴はもっといたように思えたし、そのことにも驚いた。

当日、披露宴会場の座席に永山からのメッセージカードが置いてあった。
カードをめくると、細かくメッセージが書かれていて、こんな文章が目に入ってきた。

「辞めると言っていた太が引退まで続けると言ってくれたとき、本当に嬉しかった。不甲斐ないキャプテンで、迷惑かけてごめんね」

あの日の試合の時みたいに、涙が込み上げてきたけれど僕はグッと堪えて、披露宴会場に入場してきた永山と奥さんの晴れ姿に、拍手を送った。

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<太・プロフィール> Twitterアカウント:@futoshi_oli
▽東京生まれ東京育ち。
▽小学校から高校まで公立育ち、サッカーをしながら平凡に過ごす。
▽文学好きの両親の影響で小説を読み漁り、大学時代はライブハウスや映画館で多くの時間を過ごす。
▽新卒で地方勤務、ベンチャー企業への転職失敗を経て、今は広告制作会社勤務。
▽週末に横浜F・マリノスの試合を観に行くことが生きがい。

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