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31歳で始めたアルバイト

最近、アルバイトを始めた。頻度は月に1回くらい。
どんな仕事かというと、大好きな大好きなバレーボールに関する仕事だ。

簡単にいうと、バレーボールのコーチだ。
バレーボールをうまくなりたいと考えている人の練習を手伝いながら、アドバイスをする。
子供から大人まで色々な人が受講してくれて、真剣にバレーボールのことを考えている。うまい人も初心者もいて、バレーボールというテーマだけで繋がった人と接するのはとても楽しい。天職?と思うほど、あっという間に時間が過ぎていく。


色々な人と会えて楽しいというところは当然として、「あ、俺は大人になったのだ」と感じたことが自分にとって新鮮だった。
私は小学校3年生くらいからバレーボールがしたいと考えるようになり、(中学生のころ北関東のある県で2位だったという絶妙な実力の)母に教えてもらいながらバレーボールの力を磨いた。中学では部員3人だったけど、高校では関東大会に出場、大学では全国大会出場者から初心者までが入り混じる独特のチームで技術を磨いてきた。
自分にとってバレーボールとは、成長過程に楽しんでいたもので、ちょっと冷たい言い方をすると「子供の遊び」だった。

社会人になって、バレーボールはほとんどやらなくなった。
理由は簡単だ。練習時間が確保できず、うまくなれないから。
仕事が忙しく、自分にとって最も大切な”上手になるため(=成長)"の練習量を確保できないのがつらかった。
ボールを触っても手から離れるような感覚、思い通りにいかないボール捌き、力の足りないスパイクやサーブ。その一個一個に悔しさが募った。これまで飛びこめていたボールに飛び込めず、目の前で床にボールが落ちる。悪夢だった。

たまにバレーボールをやるのは、高校や大学にOBとして行く時くらいだった。私が卒業した高校も大学も、自分にとっては好都合で、OBの急造チームが勝つことができるくらいの実力だった。
だから悔しい思いはしないし、うまくない自分にもなんとなく折り合いがつく。だけど後輩たちが現役時代の自分くらいの実力だったら、確実に負けていたし、顔を出さなくなっていたと思う。悔しいから。

そんな自分にとっては意地を張りたい、「子供の遊び」であったバレーボールとの距離感がわかってきたようだ。
コーチをやっているときはバレーボールで練習の補助に回り、自分が培った知識を与えて、うまくなる人たちを見るのが楽しい。
「今のいいですね〜!綺麗なフォームでした」「打つ力強い。私も取るの必死でしたよ」「そのサーブは絶対に点取れる!」と、単純にバレーボールを楽しむ言葉をかけられる。前だったら「今のじゃ決まらない」「フォームあってる。反復していこう」とか、シビアな言葉しか出なかっただろうに。


なんだか、大人になったのだなと思った。
これまでは、失敗し成長すること、知らないことを知っていくことが一番大事であると考えていた。人生のためになることを経験して、どんどん吸収していこうと思っていた。
今でも大きなところではその姿勢は変わらないが、「自分が培ってきたものを誰かに与えていこう」という視点が生まれてきた気がする。

今はバレーボールが一番、やりやすい形で誰かの力になれる気がする。
だけどマスコミで働いていた経験だって、シェアハウスで学んだ気遣いだって、友達と話してきた恋愛や人間関係のことだって、もしかしたら自分が経験を積んでいくことだけじゃなくて、誰かに伝えて役に立てるのかもしれない。ちょっぴり自信が持てた。

経験を重ねて、それを誰かに伝えていくこと。
最近成長につながらないと考えてギスギスしたり、自分の取り分にばかり目がいったりしていることがあったな〜と反省が頭をよぎる。
自分の経験を誰かのために還元する。そんないい循環が自分から生まれたらいいな。


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