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後悔と向き合うことで見えるもの

私は後悔というものに支配されることが往々にある。
恋愛も仕事も友達とのことでも。
でもこの後悔があるから、もっと良くしていこうと思えるではないかと考えるようになった。

記者をやめて1年半が経つ。
何度も後悔をしてきた。
「記者を続けていればこんな取材ができたかもしれない」
ニュースを見るたびにそう思う。取材もできず、世の中に発信できない自分の今の立場に歯痒さを感じている。

そこで私が始めたことが二つある。
一つ目は情報公開請求だ。
ニュースを見ていて、なぜ?と思うことが増えた。
自分の記事を発表する場がないから当事者に取材をすることができない。
正確にいうと取材はできるけど発表する場がなく、取材をすることが相手の時間を奪うことになってしまう。
でも知りたい。
何かできることがないかと考えたとき、ニュースの元となる情報を自分ができる限りの範囲で集めることだ。

例えば、日本学術学術会議で選任される有識者が首相の一声で外されていた問題。
その意思決定過程が不透明なままとなっていることに疑問の声があがり、連日の報道が続いていた。
では、この意思決定過程に関する資料が本当に省庁に残されていないのかと考え、関係省庁に情報公開請求をした。

そこで見えてきたのは、意思決定過程における資料がほとんど残っておらず、簡単な資料のみで決定がされていたということだ。
これでは他の誰が見ても意思決定過程はわからず、政策の決定プロセスがわからない。これでは正当性の判断さえできない。行政を司る機関がこのようなことをしていたら、他の政策、例えば戦争が起こったとしても検証したり、反対したり、省みることができない。
この情報公開請求をもって、私も「問題だ」と考え、友人らへ話すことができた。
記者ではないけれど、国民や市民であれば誰でも利用できる制度をもとに、社会問題へのアクセスがかなった瞬間だった。

そして二つ目として、友達たちと社会問題を話し合い、それを音声メディア(ポッドキャスト)として配信することだった。
ポッドキャストの配信は今や誰でもすることができる。誰に届くかもわからないし、誰にも届かないかもしれない。
でも、この方法を通して自分の手が届く人たちと社会問題を話し合い、社会に向けて発信するという行動をとることができた。
自分とは違う意見を持っている友人の考え方を聞き、単純に自分の勉強にもなっている。

記者をやっているときは、取材して記事を書き、上司に推敲・校閲をしてもらい記事を発信してきた。
それと全く同じ活動ができているわけではないが、その記者という肩書きを失ってもできることを考え実行してきた。
それが社会的に大きな意味合いを持っているかはわからないが、そうやって後悔と立ち向かって向き合ってきたからこそ、自分なりの自分が今できることの模索につながったのだと思う。

そして世間的には意味があるかわからない活動でも、自分にとってはとても有意義なのだ。
記者をやっていたときではなかなか触れることができなかった問題に対して、できる範囲でのアプローチを通して社会を知ることができ、記者として忙しい生活をしているだけではなかなか出会えない友人らの意見に触れることができたのだから。

今思い返してみれば、後悔を燃料にして色々なことに新たな挑戦をしてきていた。
例えば大学で入った男子バレーボール部での活動。
高校の部活ではなかなか仲間との関係にうまくいかず、引退試合では満足できる結果がでずに敗戦した。
その後悔がもととなり、大学では仲間との関係を大事にしながらも勝ちにこだわる集団を作り上げることに、心血を注ぐことができた。

また、例えば就職活動。志望していた出版社の試験に落ちた後悔により、面接の感じや筆記試験に関する勉強法を見直し、新聞社では第一志望だったところに合格することができた。

また、他人の後悔さえも糧にしている。
両親と不仲で亡くなってから大事さに気づいた人の体験談。
東日本大震災で大切な人の命を亡くした方の話。
親の介護で切羽詰まった人の話。
友人との距離の取り方に失敗してしまった方の話。
それらを摂取して、自分はその人たちの分にも後悔のない人生を歩もうと歯を食いしばってきた。
そうやって自分の人生を豊かなものにしようともがき、そして今でも日進月歩ではあるが毎日に向き合っている。

最近、仕事を休んだ。
メンタル的に不調になってしまい、どうしても仕事に手がつかなくなってきたからだ。
「あのとき、こうしていれば」
「今こういうことをすれば」
「違う道を選べばもっと良くなるのではないか」
そんな考えが頭の中をぐるぐる周り、出口の見えなさに疲れてしまったからだ。

でも思い返してみれば、そうやって考えて立ち止まって自分の人生を選択してきたではないか。
後悔は決して悪い面だけではなく、それを糧にすることが私はできるのだ。

悩みは無くならないし、まだまだ後ろに引っ張られそうになる。
だけど、この後悔を糧に前に進めることもできるはずだ。
そのことを肝に銘じ、あくまでは無理のない範囲で、少しずつ前に進んでいこうと思った。


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