夫婦は独立した個人なのか
こんにちは。おかゆです。
日頃はコーチングを通じて、生き辛さを抱える人、自信がない人がありのまま自然体で生きれるように、サポートをしております。
29年間、自己効力感を磨き続け、できない自分には価値がない…と時にはゴリゴリやってきて、体調崩してからやっと自分のことを見つめられるようになりました。
体を壊すことは一つの逆境体験で人生で役立つけれど、戻らないこと、戻りにくくなることもあるから、心身大事にしてね…という気持ちで。
全人類、そして、毎日を頑張るあなたへ。
私のnoteは自分のセッションのことだけでなく、日頃頭から溢れでんばかりに考えていることや世界発見を綴っています。なにか面白味のある気づきに繋がったら嬉しいです。
さて今回は。
中田のあっちゃんが面白い動画をあげていたので、こちらから得た着想を綴ります。
男性脳と女性脳のお話です。
*動画であっちゃんも言及していましたが、世の中には多様なジェンダーがありますが、この場においてはわかりやすく男性脳・女性脳のふたつに分けてお話します、とありました。あしからず。
動画その➁だったろうか。
「男性は自分が身に着けている道具を自らの拡張として捉える」といったことを話していた。
自動車や腕時計が好きな人、いますよね。
あれは、自分の身体の拡張を実感しているそうです。
車であれば、自由に速く動き回れる体を手に入れていることになり
腕時計であれば、自分を豪奢に、強く見せることになっている、と。
そして、男性は女性と付き合うまではあの手この手を努力しますが、付き合ってしばらく経つ、あるいは結婚して共同生活が長くなると「妻・彼女を自分の一部として捉える」場合もあるそうです。
ある見方からすれば、
『釣った魚に餌をやらない』というやつですね。
(これは冷たい表現になるけど、女性側はそのように感じることもある)
これも、自分の一部、自分の拡張としてパートナーをとらえるんですな。
自分の一部だから特別扱いする必要がない、ってことかな。
そして、ここからが私の着想。
パートナーというのは、自分にないものを持っている人を選ぶ、自然と惹かれ合うことが多いのではないだろうか。
それは、きっと生き残りのため。
生物は一個体で完璧に生きれるようには、できていないのだ。
身近な例で言えば、私の両親。
父は寡黙で数字に強い。
母はよく喋り社交性がすごい。(すごい)
それぞれの得意とすることを組み合わせて、うまく家庭を回しているように見える。親子関係は色々と悩むこともあるが、両親の夫婦の在り方はとても尊敬している。
友人夫婦も、旦那さんはパキッと決めて、はっきり言える人。
奥さんはゆっくり考え温和に進めたい人。
それぞれが状況に応じて、強みを発揮しているし、違いを尊敬しあっているようにみえる。
夫婦って、いいなぁと思う。
話がそれた。
なので、男性の「パートナーを自分の拡張としてみる」のが『釣った魚に餌をやらない』ような、ぞんざいに扱うのであれば
と認識してもらった方がパートナシップが円滑になると思うし
ということもあるのだろう。家族を赤の他人って切り離されると、ちょっと悲しいと私は思う。だから、身内のような扱いをしてもらうのは、嬉しいんじゃない、人によるかもしれないけどね。
ここで、更にひらめいたこと。
『一は全、全は一』
私がとても好きな言葉。出典:鋼の錬金術師。
パートナーはお互いが存在することで一つの形となり、一つの形であるけれどそれぞれ独立しているのだ、ということ。
個が集まることで関係性ができ、それが「繋がり」「一つの形」になるのだ。
ちょっと伝わりにくいかもしれないが、お互いに独立した個人であるけれど、夫婦、あるいはカップル、パートナーという関係性の一部なのだ…そして、それらは両立しているのだ、と。
だから「迷惑かけたくない」と思うことも、夫婦なんだから、と言えるし
個人だからこそ「それはあなたが決めて良いことよ」ともなるわけである。
いっつもこんなことを脳内が駆け巡っています。
パートナーシップって、深いですね。
あなたは、どう思いましたか。
もしなにかご感想ありましたら、ぜひコメントください。
それでは、また。