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元々いる人も、これから来る人も。みんなの笑顔がたえない町に【おもせ〜ひと vol.8】

福島県大熊町の”おもせ〜ひと”(=面白い人)を数珠つなぎ形式でご紹介するインタビュー企画「おおくままちの”おもせ〜ひと”」。

8人目にご紹介する”おもせ〜ひと”は、福島県大熊町ご出身、町役場で働かれている愛場学さんです。

愛場学(あいば まなぶ)さん
福島県大熊町ご出身。高校卒業後から、町役場一筋。今年で勤続25年目になるそう。産業課、住民課での窓口業務などを経て、現在は税務課にいらっしゃいます。
また、役場でのお仕事の傍ら、町でこれからできることを考えるために、若手を中心に結成された「平馬会」や、大熊町を支えたい人同士を結ぶ団体、「大熊つなげ隊」の一員としても活動されています。
名前の覚え方は「愛を学ぶ場所」

愛場さんを紹介してくださったのは、この方。

以前、インタビューさせていただいた佐藤亜紀さんです。
亜紀さん曰く、愛場さんは「大熊の宝」なのだそう。
私たちが「おもせ〜ひと」の企画で、インタビューする人を探している際、亜紀さんの他にも多くの方に「愛場さんには話聞いた?」「愛場さんには絶対インタビューするべき」と言われ、お話を聞く前から、本当に顔が広くて、地域の人から愛されている方なのだなと感じていました。

今回お話をお聞きしてわかったのは、地域の人から愛されていると同時に、愛場さんご自身も、人や町のことを深く愛していらっしゃるということ。

大熊町で生まれ育ち、町の様子をずっと見てきたからこその、町づくりに対する思いや、大熊町に今まさに新しい風を吹き込もうとしている「平馬会」の取り組み、愛場さんが大事にされている人との関わりなどについて、お話をお伺いしました。

お名前を体現したようなお人柄と、人への愛、大熊町への愛が詰まったインタビューを、どうぞお楽しみください!


人の大切さに気がついた、町役場の仕事

9年間担当した窓口業務

-簡単に自己紹介をお願いします。

愛場:生まれも育ちも大熊町、今も大熊町役場で働いている、愛場学と申します。今年で43歳。
家族は妻と子供2人。家族は震災の影響で、妻の実家がある群馬に避難していて、私は単身赴任生活をしているという状況ですね。

-大熊町役場ではいつから働かれているんですか?

愛場:高校卒業してからずっと。今年で25年目になるかな。

-高校を卒業してから、どんな経緯で役場に就職されたんですか。

愛場:元々は教師になろうと思ってて。小学校3,4年生の時に習った恩師が、金八先生みたいな先生で。子供達に熱意を持って教育指導する姿を受けて、自分も大人になったらこういう先生になりたいなって思ったんだけど、いかんせん大学にいく能力がなくて(笑)。

ただちょうど、その時に役場の採用試験があって、高卒も若干名募集してて。元々地元で働きたいと思っていたから、試験を受けてみたら、偶然通ったって感じかな。

-震災前はどんなお仕事をされていたんですか?

愛場:初めは産業課で、農業とか、林業とか、商工観光を担当していて。そこで4年間働いた後に、住民課っていう窓口業務をかれこれ9年やってたの。ずーっと窓口業務をやっていた時に震災になって。

窓口業務が多かったから、ほぼほぼ町民の方とは顔馴染みというか、年配の人とかは「どうもどうも」って感じ。
今は町民も職員も、半分以上が町外出身の人だから、町民の方は、窓口に来ても知ってる人がいないんだよね。普通は行政サービスって、そこに住んでいる人と常にやり取りするから、職員とも顔馴染みになりやすいんだけど、大熊町の場合、本庁が町にあっても、ほとんどの町民はいわきに避難しているから、あんまり職員と顔を合わす機会がないんだよね。

たまに町にきた町民には、あの人誰だろうってなかなか声をかけづらいって言われるから、知っている人がいたらどうもってこちらから声をかけて。少しでも来た人を安心させられたらいいかなって思って対話してる。

ー現在はどんなお仕事をされているのでしょうか?

愛場:今は税務課。ひたすら数字とのにらめっこ。

今までどちらかというと現場が多かったんだけど、基本税務課は現場がないから。人との関わりの中で仕事をやっていくっていうのがないんだよね。俺としてはすごく物足りない(笑)。お祭り好きだし、現場にいたいし。

人との出会いはかけがえのない財産

-震災前の大熊町は、どんな町でしたか?

愛場:聖徳太子祭りをはじめとして、いろんなイベントやってたね。
町内に行政区単位でソフトボールチームがあって、リーグ戦をしたり、冬には駅伝大会を町で主催したり、スポーツも盛んだった。

個人的には、元々やっていたスポーツの取り組みを再開させることで、地域の企業との関わりを増やしたりしたい。
新しい取り組みにも人は参加するんだけど、昔から大熊に住んでいる自分としては、昔からある取り組みを復活させることで、例えば1日野球大会とかすることで、仮に町内に戻ってこなくても、元々その取り組みに混ざっていた人たちが、「戻れないけど、1日だったら参加したいな」って思ってくれるかもしれない。

お隣の川内村は、住民がほとんど帰村しているんだけど、あそこは盆野球っていうのを震災前から毎年開催してるんだって。
震災以降、あんまり人が帰ってない時もやっていて、避難先から地域ごとの野球チームを作るんだけど、すごい人が集まって盛り上がったって聞いて、こういうのもいいなって思って。
そういうのをね、少しずつ復活させられたらなと思ってます。

役場付近をガイドしてくださりました

-これまで大熊町で働かれてきて、印象に残っていることは何かありますか?

愛場:変な話をすると、震災がなかったら、こういうインタビューなんてないだろうし、色んな人たちと関わる機会がなかっただろうなって思う。

震災後は会津若松に避難して、6年間そこで生活して、会津の人たちとも関わったり、役場の職員同士の付き合いもそうだし、県の人や他の自治体の人が応援にきてくれたり、大熊町の復興がいよいよ始まるって時にはURや民間の方も支援をしてくれたり。

そういった色んな人たちとの出会いにすごく感謝しているし、そういう人たちとの関わりが、自分にとってはかけがえのない財産だなって、一生大事にしていきたいと思ってる。
それが印象的かな。震災のあとからずーっと色んな人と関わって、その関わりの中で自分も成長できたし、考え方も変わった。

-人との関わりを通して、考え方はどのように変わりましたか?

まずね、人って大事だなって思ったね。
それまでは結局狭い視野でしか、町の住民と関わっていなかったから、大熊町のことにしか目を向けてなかった。だけど震災後は、富岡や浪江や双葉や、それこそ県外の人たちとも関わりがあって、自分の町は震災で大変な思いをしているけれど、やっぱりどこの地域でも大変な思いをしていて、そういった大変な思いをしているところと関わることで、自分の町だけじゃなくて、それぞれの町の魅力っていうのが見えるようになってきた。

これまでは大熊のここがいいって、どうしても自分の町ばっかり好きだったんだけど、例えば楢葉だったら天神岬とか、いわきだったら小名浜港とか、前は気づかなかった地域の良さがわかるようになった。
狭い視野が広がって、周りの良さに気づけるようになったかな。

"平馬会"がつなぐ大熊町の文化

「残せるものは残していかないと、本当に何もなくなってしまう」

-9月3日に大熊町でおこなわれた「大熊なつ祭り」には、平馬会(へいまかい)のメンバーとして参加されていましたよね。そもそも平馬会がどういった団体なのか、教えていただけないでしょうか?

※9/3 大熊なつ祭りの様子はこちらから↓

愛場:平馬会の発端は、震災の後に始まったふるさと未来会議
平成27年頃から、町を担う若手職員でまちづくりを考えようっていうのでふるさと未来会議が立ち上がって。色んな自治体に視察にいって、色んな町づくりをみてきた。
庁舎づくり一つとっても、岩手に視察にいって、こういうゾーンがあったらいいよね、こういう作りいいよねとかって話したり。

それで、平成31年に大熊町の避難指示が解除されるってなった時に、今までは視察をして、こういう町づくりをやりたいよねっていう、「やりたい」だったんだけど、今度は「やらなきゃならない」状況になったんだよね。
そこで、大熊町でなんかやれることないかなあって考えてた時に、役場の近くに歴史ある古民家があって。渡部(わたなべ)家というんだけど。そこを拠点にして何かできないかなってことで始まったのが、平馬会なんだよね。

ーなるほど。その古民家、渡部家はどういった建物なんでしょうか。

愛場:歴史的に価値のある古い建物。もう住んでいる人はいなくて、2020年に国の有形文化財に登録されたんだよね。

愛場:渡部家は、元々馬を売って暮らしていたのね。そこから、近所の人に「平馬様」って言われていて。じゃあその「平馬様」っていうのを、そのまま取り組みの名称にしちゃおうかってなって、「平馬会」という名前になった。

渡部家の様子。まずは立派な門がお出迎え。
一階部分で馬を飼っていたそう
レトロなベンチもありますね

愛場:大熊町で、人が住まないところは基本解体されちゃうけれど、そういう歴史あるもの、残せるものは残していかないと、本当に何もなくなってしまうっていう危機感があって。

ただ、行政としてメンテナンスをすることができないから、自分たちで、自主的に草むしりや修理をやるよって担当部署に断ってやってるの。本当だったらお金かけてやらないといけないところを自主的にやってるわけだから、行政側にとってもありがたいことだよね。

-平馬会は、具体的にはどんな活動をしているんでしょうか?

愛場:渡部家の草むしりと、家の庭のメンテナンス、それらをしつつ盆踊りの練習をするって感じで。基本的には渡邊家の中でいろんな活動をしているかな。

個人的には、花壇があったところで家庭菜園をして、野菜も育ててる。ここで誰かが何かやってるっていう、人の営みが見えるといいかなと思って。

愛場さんが家庭菜園で育てたきゅうり
収穫させてもらいました

愛場:いずれ、家の改修が終わって入れるようになったら、あそこでみんなで井戸端会議とかやってさ、盆踊り以外にも色々やっていくのが自分の今後の構想かな。

盆踊りで町ににぎわいを取り戻す

やぐらの上で太鼓をセッティングする愛場さん

ー盆踊りはどのような経緯でやることになったのでしょうか。

愛場:ある時、せっかくこうやって人が集まってるんだったらなんか草むしり以外にも面白いことやりたいよねって話になって。
そしたら、元々亜紀さんは復興支援員をしていた時に、伝統芸能の継承に携わっていて、俺も地域の青年会で盆踊りやってたことがあったから、「じゃあ、盆踊りやっちゃおうか」ってなったの。

3年前から練習が始まった。それをどっかで披露できないかなって思った時に、今は中間貯蔵施設になっている夫沢って地区に、サンライトおおくまっていう特別養護老人ホームがあって、昔そこで地域の青年会が盆踊りをやっていたんだよね。地域の人たちと一緒に何かをやるっていうのがいいなってずっと思ってて。

そしたら、2020年にちょうど「おおくまもみの木苑」っていうグループホームができたから、ぜひやらせてくださいって理事長に直接お願いしたの。そしたら「ぜひやってくれ」って。そこから、盆踊りを披露することが始まったの。

私たちも盆踊りの練習に参加させていただきました

ーもみの木苑で盆踊りを披露した時、どんな反応がありましたか?

愛場:入所者の方、喜んでたよ。実は、おおくままちづくり公社にいる佐藤真喜子ちゃん*のおじいちゃんが入所してたのよ。その真喜子ちゃんのおじいちゃんが、「うちの孫がこうやって頑張ってくれて本当に嬉しいです」って言ってくださって。真喜子ちゃん曰く「おじいちゃんがあんなに生き生きしている姿を初めてみた」って。

それ以外の人たちも、一緒に踊りましょうって、椅子に座りながら踊ったりしていて。やっぱり高齢の方って、人に関わる機会がないと、弱くなってきちゃう。それが、お祭りをやったり、若い人たちと関わったり、地域の人との交流をもつことで、元気になれて、生きがいをもてるようになるんだなっていうのはすごく感じたかな。

※おおくままちづくり公社の佐藤真喜子さんのインタビューも後日公開されます。お楽しみに!

ー9月のなつ祭りでも盆踊りを披露されていましたよね。なつ祭りの反響はいかがでしたか?

やぐらの上で演奏しているのが平馬会の方々

愛場:来てくれた人がすごく盛り上がってくれてたのがよかったなって。
あとは、親子連れがわちゃわちゃして楽しんでいたのには感動した。大熊町ってさ、今学校もないから、見てもらえばわかると思うけど、子供がいないじゃん。子供達の賑わいの景色っていうのがまだ大熊にはないんだよね。だから嬉しかったな。

一応来年には、「学び舎 ゆめの森」って学校もできる予定だから、それができれば子供達がいる風景を見られるかな。サッカーやってたり、鬼ごっこやってたり、そういうのが見られるといいよね。

笑顔の絶えない町を目指して

とれたての枝豆と愛場さん

-愛場さんが思う、大熊町の魅力はなんですか?

愛場:まず、人があったかいところ。
あとは、今はまだ町づくりの途上の状態だけど、だからこそ、やりたいことがすごくやりやすい。
俺個人の考えとしては、基本的に、誰かが何かをやりたいって言ったら協力したいし、なに勝手なことやってるんだとかは思わない。色んなところから、自然発生的に色んな取り組みが生まれて、それが最終的に町を盛り上げてくれればいいなと思うよ。

-大熊町は、町外出身の方が積極的に町づくりに関わっている印象がありますが、それに対してはどう思いますか?

愛場:どんどん盛り上げてほしいね。
色んな人たちが、大熊町のために色々な活動をしてくれているけど、元々町に住んでいた人たちにも楽しんでもらえたり、懐かしんでもらえるような取り組みはやっていきたい。でも、やっぱり大熊町はこれからのこともしっかり考えていかないといけない。

今の町長が言っているのは、「元の町民も大事だし、これからくる町民も大事だし、来ないけれども関わりたい町民も大事にしなければいけない」と。その3つの人たちをしっかり大事にしていこうって言っていて、もちろんそれは自分も大賛成。
大熊町に住んでいた人、今住んでいる人だけではなくて、関わりたいと思ってくれる人もしっかり大事にしていかないといけないなと思っていて。

たとえいっときの付き合いだとしても、来てくれた人には、自分にできる限りのことは伝えたいし、大熊町に来ることで何か感じるものがあれば、その経験が人生の糧になればいいかなと思ってるので。
せっかく関わったんだから、いっときの関係で終わるんじゃなくて、関係性をずっと維持できるような付き合いはしていきたいなと思ってる。
それは今まで関わった人全員に、俺は共通して言ってるかな。

-愛場さんが思い描く、未来の大熊町を教えてください。

愛場:とにかく人の笑顔が絶えない町
どうしても今は、子供たちがいなくて、静かで暗いっていうイメージがある。でも実は、廃炉作業をしている方とか、東電の方とか含めると、大熊町には今滞在人口としては4千、5千人いるわけよ。あくまでいっときの廃炉作業のために大熊にいて、終わったらいなくなっちゃう人が多い。

大熊町は4,000人の町づくりを目指しているんだけど、その4,000人の人たちで、大熊町をどんどん盛り上げて、そこに色んな人たちが関わって、イベントをやったりして。そうやって、元々いる人、これから来る人、来ないけど関わりたい人たちの笑顔が、町に絶えなければいいなって思うし、参加した人たちが笑顔になって、さらにその人たちが「何かやりたい」ってなって、っていうふうに、どんどん相乗効果が生まれれば面白いかなって思うしね。

-愛場さん個人としてやりたいことは何かありますか?

愛場:駅前で歩行者天国をやりたい。
震災前に開催していた聖徳太子祭のとき、歩行者天国みたいなことをやっていたんだよね、駅前で。今、駅前にはなにもないけれど、元々商店街があって、そういうお祭りもやっていたよっていうのを、知っている人には「懐かしいな」って思ってもらえたら嬉しい。新しく来た人にも、家も壊されてて寂しいよねっていうマイナスな部分だけじゃなくて、ここから新しい町が生まれていくんだよっていうワクワクを、お祭りを通じて感じて欲しいなって。

今は何にもないけれど、来年になったら新しい家ができたりとか、再来年になったら駅前に新しい施設がどーんと立ってたりとか、毎年お祭りごとに町並みが変わっていくのって、なんか面白くない?去年はなかったのに、今年はこんなことになってる!って。

そういうふうにして、人の笑顔を生み出していきたい。
そして、駅前で歩行者天国をやりつつ、ぜひ盆踊りをしたいなって。

-お祭りごとに町の様子が変わっていくのは面白いですね。私たちもぜひ見にいきたいです。

愛場:ちゃんとLINEで連絡するからね(笑)。
そうやって、数年前から関わってる大学生が社会人になって、社会人になっても俺はLINEで「お祭りやってるよ」って言って、去年も来てくれた子がいるんだよね。
関わりをせっかく持ってくれてるからには、2人が地元に戻ったとしても、俺はしつこくLINEするから(笑)。

-最後に、この記事を読んでいる方へメッセージをお願いします!

愛場:町に来てもらって、楽しいことを一緒にやりましょう。いつでもウェルカムです!関わりたい人は声かけてね。いつでも役場にいます!


編集後記

インターン期間中のある日、役場の近くにある交流施設にコーヒーを買いに行ったのですが、たまたま私の前に愛場さんが並んでいらっしゃいました。
その時、私に気がついた愛場さんが「最近インタビューどう?」「何人くらい話聞いたの?」と声をかけてくださったことがありました。
コーヒーを受け取るまでの短い時間ではありましたが、自分たちのことを少しでも気にかけてくださったことがとても嬉しかったことを、今でもよく覚えています。

今回のインタビューでは、愛場さんが人との関わりの大切さについて、何度も語られていたことが印象的でした。
関わったからには、関係を維持していきたい、自分ができることはなんでもしたいというお話がありましたが、私たちインターン生のような大熊町を訪ねる側からすると、そうやって「関係を維持していきたい」と思ってもらえること自体、とてもありがたいことです。
たった数日や数週間しかいられなくとも、自分たちを受け入れ、その関わりを大切に思ってくれる方々がいるからこそ、「またここに来たい」という気持ちが芽生えるのだと思います。大熊町にはそうやって、来た人に「この人に会うためにまた来たい」と思わせるような、人のあたたかさがあるなと私は感じました。

愛場さんからは、今回のインタビューでも話題に上がった平馬会のメンバーの方を数珠つなぎしていただきました。
その方のインタビューも後日公開予定です。乞うご期待。

ここまで読んでいただきありがとうございました。
次回のおもせ〜ひともお楽しみに!

インタビュー:殿村・中井
編集:殿村

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