【うつ闘病記】地宙人、家を買う - 05_かえりたいです

 仕事で家に帰らないことが多くなってきた。週に二、三日帰らないのは普通で、五日間帰らないということも度々あった。一度帰ってしまうと、出社するのにもの凄く気合が必要だったからだ。現に、一旦帰宅後に仕事を残したまま休んでしまうという日もあった。
 ボクが帰らないのはあくまでも自主的な行動であった。仕事の遅れが自分のせいだという罪悪感があった。
 ホテルに泊まるお金などないので、自腹で漫画喫茶に泊まったり、お金がなくなるとオフィスの会議室に椅子を並べたりして眠った。椅子の上があまりにも痛いので、背に腹は変えられず、地べたで眠ることもあった(いずれにせよ、朝起きた時は体がガチゴチに凝り固まっているのだが)。
 では、仕事は捗ったかというと、全く捗らない。というのも、十二時には寝て深夜の三時くらいには起きて仕事を再開する手はずが、結局朝の九時まで寝てしまうなんてことをやっていたし、ちゃんと寝れていないので疲労が取れず、昼間も集中力が続かない。結局、ミスする、仕事が終わらない、といった悪循環に陥ってしまった。
 体調も徐々に悪くなっていて、異常にのどが渇くので、一日に二リットルペットボトルの水を二本飲んでいた。足の裏が痛くて、歩くのすら辛かった。原因不明の鼻血が止まらず、トイレからなかなか出られないという日もあった。頭が痒く大量のフケがでた。頭皮はただれて出血した(なので坊主にした)。四六時中、独り言を言っていた(よく「なんですか?」と聞かれた)。四年弱で四○キロも体重が増えていた(六○キロから一○○キロ)。
 こんな具合の人間が近くにいれば、フォローしてくれても良さそうだが、そこは人徳の無さが災いしてか、手を差し伸べてくれる人はいなかった。

 家族はどうだったかというと、このような生活はそこまでひどくないにしろ、前々からやっていたし、大学のときも同じような生活リズムでやっていた時期もあったため、古くからボクを知るピンちゃんからは「あんたも好きねぇ」なんて言われていた。「いや、好きでやってるんじゃないんだ。こんな生活止めたいよ……」といっても「止める止める詐欺ね」なんて言われて、まともに取り合ってもらえなかった。
 当時のボクにはわからなかったが、当時のピンちゃんは育児うつに近い状態まで疲労困憊していたのだという。一刻も早いマイホームへの移住が求められていた。

 いずれにせよ、ボクは仕事を始める前には「仕事に行きたくない、行きたくない」と頭の中でグルグル思い、仕事をしている時には「早く帰りたい、帰りたい」と頭の中でグルグル思い、仕事を切り上げた後は「こんな仕事、今すぐにでも辞めたい、辞めたい」と頭の中で毎日毎日グルグル思っていて、グチャグチャな心理状態であったのだ。


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