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自己肯定感と価値感

こんばんは。白米です。
2回目にしてだいぶ重いテーマになりますが、
バイト中に書いてます。(働け)

今回は自己肯定感と価値感について最近感じたことを書かせてもらいます。

ただ、このテーマに対して白米は答えを出せていないしだいぶ偏ったものの見方をしていたりもします。
だからあたたかーく、赤ちゃんを見守るような気持ちで見てってね。


自己肯定感ってややこしや。

これね、高校生あたりからかな。
白米は気づいたんですよ。自己肯定感激低だと。
なにか良くないとこを指摘されると、自分ってダメだなぁとめちゃめちゃへこんだり。。。
はたまた褒められるとその部分を他人と比べたりね。
おかげで精神的にはだいぶ不安定でした。(今もな)

もともと中学生の頃から物事の捉え方が極端で、
生きづらさは感じていたんだけども。
(非常に面倒くさいタイプ)

成長するにつれて他人と比べたり、激しく自分を否定したりと自分で自分の首を締めて勝手に苦しんでました。
この頃に気付いたんですね。
「自己肯定感ってやつが低いらしい」と。

ただですね、白米は親に虐待されていたわけでもないし友達が極端にいないわけでもない、はたまた容姿がめちゃめちゃ悪いわけではないので、なぜ自己肯定感が低いかが謎なんですよ。

ただ一つだけ思い浮かぶことは、小さい頃に人から何かをもらった時に母に
「なんでもらってきたの!お返ししないといけないじゃない!」

と言われたこと(少しキレ気味)と、

父の友人が家を建てたのでお祝いでお宅にお邪魔した際にとても綺麗だったので「きれい!すごい!大きい!」と言いまくってたら帰りの車で、
「わかったからそれ以上言うな。俺も頑張ってる。」
と言われたこと。(これもキレ気味)

どっちも今になったら両親の言葉の意味も正しく読み取れるけど、当時(〜小学生)はマジでなにが悪いかわからない。

貰うのがダメ。羨むのがダメ。
という思考が形成された感があります。


それが価値観とどう結び付くかって…?

良くしてもらえた。何か返さなきゃ。

これで失礼ではないだろうか。なんか悪い。受け取るのやめたい。

という好意を受け取れない&価値を測りきれない思考になっちゃうのです。
そして勝手に下手なっちゃって自分の持ってる価値を安売りしちゃうという負の連鎖。

人が好意でしてくれたことに対してもこれを考えてしまうため、もしかしたら相手にめちゃめちゃ嫌な思いをさせている恐れもありけり。

もー、そういうのが怖い。

こういう場合、皆さんはどういう思考をしているのでしょうか?
未だ解決策が見つからないこのモヤモヤ。

数年後の自分が答えてくれるのかはたまた過去の自分がすでに見つけているのか。
しばらく迷子が続きそうです。

長々とありがとうございました。
多分、このテーマに関しては第2章が出るので
またあいましょう。


#大学生 #自己肯定 #価値感 #心理 #自己理解 #人とは #思考 #感情 #自己肯定感



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