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第二章 りょうちちの覚悟



忘れもしない。

10代最後の夏。


友人との縁が切れた。


本当にがむしゃらだった、
大阪での暮らし。

発端は大学の生活費を稼ぐ為の
バイト探しだった。

どこからか聴こえてくる、
ガールズバーの体験入店の話。

どうやら
手っ取り早くお金が入るようだ


右も左も分からぬまま、
また聞きした情報のみで、
友人と夜のバイト探しにミナミに繰り出した。



夜の街にやたら煌びやかな看板。


そこには

無料案内所

と書いてあった。








迷うことなく、飛び込んだ。



恐らく用途は全く違う。



案内所のお兄さんは少しキョトンとしていたが、
心よく私たちを店へと案内してくれた。


薄暗り、赤黒い絨毯。
そこがなんらかの大人のお店だということは
すぐに分かった。


店長らしき人が店の中から出てきて、
ここでもにこやかに出迎えてくれた。





じゃ、来週からよろしくね。
持ち物は網タイツだけでいいからね〜〜。



そう言い、
面接のようなものがアッサリ終わった。













網タイツなど、中学生の頃に制服の下から面白半分で履いた記憶しかない。














何かがザワつく。

鈍感な私ですら分かる程、
危険なにおいがした




猛烈に怖くなった。



店を出た瞬間、
友人にあの店は辞めようと言った。




















なんで、
あの時に断らなかった?
それ、卑怯だよ。
















思ってもみなかった返答が
返ってきた。



思えば彼女はとても真面目で律儀な人だった。
NOも言える人だ。

そんなところが大好きだった。

お互い田舎者。
きっと危ないことは察していたと思うし、
相当不安だったと思う。

ただ、人として
私のことを許せないのだ。




100%非は私にある。
誘っておいて
現場までいって
挙句無断でバックれよう

と言っているのだから甲斐ない。


納得させられる言葉がひとつもない。



何度も何度も謝ったが
今更店に入って、
やっぱりキャンセルで。

なんて言えるような根性を
私は兼ね備えていなかった。

そんな私に
いよいよ愛想を尽かした彼女が


















あんた最低だね。















それだけを残し

彼女は人混みに消えてしまった。
















何かがまたザワついた。

そしてそれが音を立てて壊れていく。




















ひっかけ橋のど真ん中で
私は肩から崩れ落ちた。

まるでドラマのワンシーン。

声を上げてうわんうわん泣いた

メイちゃんより
確実に泣いたと思う。





相当イタい現場だ。





そしてなにより、
彼女が居ないと帰れない。
来た道が分からない。

ここがひっかけ橋だと知るのはまだまだ随分先の話。

ここが何処なのか
分からないのも相まって

更に泣き叫んだ。



すると、居酒屋のキャッチの兄ちゃん達が駆け寄ってきて

大丈夫?
と声をかけてくれた。


当然キャッチという商人がいることさえ、
この時は知りもしなかったが
一旦割愛する。


兄ちゃん達はインカムでボソボソ通話した後、
私を担ぐようにして
近鉄難波駅まで送り届けてくれた。


それからどうやって帰ったのか
記憶はもうない。



一生、戻りたくはない日かもしれない。
ただあの時送ってくれたキャッチの兄ちゃんに恩を返せるのなら、

後に勤めるガールズバーでの初任給で
キャッチのバックがその兄ちゃんにちゃんと入るルートで飲みに行くと誓う。























そして後日。
大学にて友人に生まれて初めて、
真正面から土下座をしたが
未来は儚く、
友人との縁はこうして
ブツッと切れてしまった。

彼女はそれからあの店で働いていた。


あの日のことは一生忘れない苦い記憶になった。











ほつれた糸が切れた私はその後、
大いに体調を崩し、大学を中退した。






なんともイタい人生だ

この先どれだけ両親に謝罪をすれば
報われるのだろう。

何故こうも人に揺さぶられる人間になってしまったのだろう。



情けなさで悶々とする中
学生マンションを退去し、
たまたま見つけたシェアハウスに引っ越しをした。















そして、
これが転機になる。

















シェアメイトは
大学4回生のお姉ちゃん
韓国人
キャバ嬢
ダンサー 等

色々いた。

一部屋に2段ベッドが2つ。
このベッドがマイスペース。

ここで約2年間過ごすことになった。



特にお世話になったのは
大学4回生の、
お姉ちゃんだった。

彼女は帰る家がないという。
事情は知らない。

分かったことは
誰しもが理由なく実家に帰れるわけではないということだった。

彼女は大学こそ5本の指に入る名門校だったが毎日ネカフェから通う強者だった。

そんな素振りを一切見せない、
女のド根性魂。

そんな姿にむちゃくちゃ心を打たれた。

彼女の存在は
私にとって生きる支えだった。


アムウ○イや護身水を配る宗教など
ありとあらゆる勧誘に
引っかかりそうになる度に
連れ戻してくれた。

とんびを見て一緒に号泣した。

休みの日はご飯を作ってくれた。

勉強を教えてくれた。

彼女が働くスナックで働かせてもらい、
接客を一から教わった。





彼女の何もかもが
私にとって憧れの女性像だった。




















そして、半年後の春
彼女は東京での内定が決まった。


























私も東京に行きたいと言った。


当時、
水商売だった割に
貯金するする詐欺だった。

やりたいことも目標もない。
飲んで寝るだけの
明日やるやる詐欺でもあった。

金髪頭に家庭的ではないネイル。
肌は真っ白く、ガリガリだった。

ご飯はスナックのママが作ってくれる、
セゴシの浅漬けとビール。

買い物は客に頼み、
私はベランダでタバコを吸い、
またベッドに寝転がる。

最低だったと思う。








そんな私を見て彼女が言った。















okiに東京は無理や。

あんた、べっぴんちゃうねんから。

ここで"かたちち"も出す覚悟ないやろ。
東京はあまないねん。

okiの場合は"りょうちち"が出せな生きていかれへんよ。































悔しかったが、
言葉が出なかった。














"りょうちち"を出すことが悔しいのではない。


それぐらいの信念が
まるでなかったからだ。






















こうして私は
やりたいことを見つけたら、
必ず東京に行く。

と誓い、涙ながらに見送った。













その後、
通っていたジムのヨガインストラクターに感銘を受け
先生になる方法を教えてもらった。


キャバクラ
ガールズバー
スナックを週7で駆け抜け
ぶっ倒れるまで働いた。










こうして1年後、

私は無事上京した。

























ちなみに初の東京は
畳3畳だった。
これだけ聞くと狭いが、
ベッドで生活していた私にとっては天国だった。

極貧生活だったが、
昼の仕事を3つ、夜の仕事を1つ掛け持ちしながら
ヨガのスクールに通った。

晴れてインストラクターになった途端
体調をただ崩しし、

これがきっかけとなり
日本の最北端へ飛んでいくことになる。



たった3年ほどだったが
目まぐるしい大阪時代だった。

もう10年以上前の話だが
今は日差しも逆境も怖くなくなった。


それは、
"りょうちち"を出す覚悟が
私に出来たからなのかもしれない。











そうやって、
事あるごとに彼女の言葉が
今でも背中を押してくれる。










感謝してもしてもきっと追いつかない。







あれから連絡はしていないが、
東京で結婚し、
子供がいることだけ知っている。

きっと、あのド根性魂で
子育てに奮闘する素敵なかあちゃんに違いない。







いつか会ってお礼がしたい。










そしてこの先で
私の二世が出来た時には

あの"ちち論"について
子育ての教育に
組み込むつもりでいることを

ビールの一つでも飲みながら
話したいと思う。

oki

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