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ドロ団子ブレイクは巡り合い

2021.9.26  プレイパーク


みんなは幼少期、ドロ団子を作って遊んだだろうか。僕はあまりやった覚えがない(実際にはドロ団子によって心に刻まれるほど心動いた記憶がない)。一方で、アスレチックや鬼ごっこなど動き回る遊びが好きだった記憶は強くある。この頃こどもの遊び場に立ち色んな遊びをする中で、ドロ団子づくりのスゴさに心震えた。
20歳過ぎても心震えるんだから遊びってすごいと思う。その中でも今回は取り分け「ドロ団子づくり」の何がすごいのか、記録しておこうと思う。


泥団子ブレイク
泥団子のスゴさに正直驚かされた。何が凄いかと、今日「(手のひらさえ)汚れたくない」という子が「今日は泥まみれになっても良いや」と前向きに切り替えられるような、邪念をブレイクするプロセスに自然と踏み込めた点。また、そこからの発展可能性やそれ自体の普遍性も含めてである。
そんな邪念をブレイクしたプロセスを順に追ってみる。

邪念ブレイクプロセス
サラサラな砂をバケツに生産する
→1人の子が見て興味を持つ
→サラサラな砂づくりに参戦!
→「水入れたらおもしろそう!」っていうちょっとしたアプローチをしてみる
→「3歳くらいぶりに泥団子つくろうかな!」とその子
→しかし泥に手を入れるのに少し内面で葛藤
→泥団子で手などが汚れてくる
→「もう今日は汚れても良いや!」
→泥団子作りから派生して『色んな形作り』『水と砂で腕にサンドアート的な遊び』
→(初心に戻り)大量にサラ砂づくり
→人の手をサラ砂に埋めてみる
→手を砂に入れたまま水を入れて固めてみる
→重たい砂がバケツごと持ち上がって感動を分かち合う瞬間
(これまでの中で興味を持って見たりやってみる人が増えたり減ったりはあったが、その間も最初に始めた人達の心の炎は燃え続けた)


ドロ団子というよりも(それ自体もそうだが)、『砂』を起点とした凡ゆる遊びの生成が美しいのかもしれない。

『砂』×『網』によるサラサラ砂づくり
『砂』×『水』によるドロ団子づくり
『砂』×『水』によるサンドボディアート
『砂』×『水』×『バケツ』×『腕』による固めて持ち上げる遊び
など

既製品では中々できない『遊びの変化・工夫・移ろい』を最も簡単に可能にしてしまう自然物の砂や水、そして多様な遊びによって「できた!」や「こんな感じになった」と感動を分かち合える瞬間、仲間が最も尊いよね。




自然は遊びに最適だ!
自然を遊びに活かせる環境をどうつくるか。

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振り返りnote

ぼくは学童やプレイパーク、ボランティア等で子ども達と関わっています。原体験がその人をつくると、『心アツくなる思い出が出来ちゃう』そんな関わりを大切にしてます。詳細はトップ記事をご覧ください 前置きが長くなってしまいました。頂いたサポートは活動の際の何かに使わせて頂きたいと思います