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本来『ケガ』は『ケガ』しないためにする

今日

ある文章を読んでいたら、「リスクをはらんだ遊びは、とにかく面白いんです
と書いてあった



論点はここじゃなかったので
『とにかく』と割愛されてしまっていたが


んー、きになる




ちょっと考えてみた(ヒマなんです)





「リスクをはらんだ遊びは、とにかく面白いんです」


なんで、『遊び×リスク』は面白いのだろうか



っていうか、
リスクをはらんだ遊びってどんなのがあるんだろうか




僕が小学生の低学年のころ
よくやっていたのが、友達と他人の家の塀にのぼるあそび(笑)


いま思い返すと、知らん小学生が塀に上っていたなんて迷惑極まりないことなんだけど

当時は、はらはらドキドキだった



・途中で落ちてケガするリスク
怒られるリスク(住民や通行人、親など敵は多かった)




最初はちょっと警戒しながら
塀に両手をついて身体を持ち上げ
顔を出してみる

さらに腕を引き上げて
片足を乗っけて
体を持ち上げ、なんとか身体を塀の上に乗っける

「はい登頂…」

でもなかなか立つことができない

「あ、座れた!」
そこで初めて気づく「こんなに高かったのか」

そして、
服を破いて、腕や膝をすりむいて塀に登り
勇気を振り絞って立ち上がった

座っているときと、立った時との
緊張感と言うか、胸の高まりの違いを感じることができた




不安要素はいくらでもあったけど、どのリスクも回避して
やってのけた時のうれしさはハンパなかった


習い事のように
「はーい!今日は塀の登り方をやりまーす。まずは右手で塀につかまって…」
なんて教わるようなこともなく
また
誰かから「登りなさい」と指示されることもなく


自分でやりたいと思ったことを満足するまでやって、結果登ることができた

これは確実に、あそび×リスクの楽しさを潜在的に知っていたから

なのだとおもう




そもそも



リスクがあることって誰もがいとも簡単にできるようなことではない

(親や先生に怒られるかもしれなかったり、ケガをしていたいかもしれなかったり)



でもそれにチャレンジしたくて
やってみて
結果転んじゃったり、やってのけたり
する


誰もやらなそうな事だったり、
自分にしかできなさそうなことをやる
やっちゃう側の心理としてはこれを求めているという事が大きいんじゃないかな


知りたい

やってみる

達成感

誰かに自慢しちゃう

認めてもらえる

自己肯定感↗↗


興味とか、好奇心とかモヤっといわれるけど


結局根っこにあるのは

「どんな景色が待っているんだろう」っていうような『知る欲求』と
誰かに「認められたい」という『承認欲求』の2軸で、


リスクのはらんだ遊びが楽しいのは、この2つの欲求が満たされるからなんだとおもった



当然リスクのあることなんだから、ケガもする



なんか思い返すと、

周りの運動神経抜群な友達足とか傷だらけだったなー



おまえの過去になにがあった!!

ってひといたよね


…いないか。僕の友達にはいた




リスクのある遊びにたくさん挑戦して、小さなケガを重ねながらも、

体が自分の能力の限界にきづく




強い人はそれだけ失敗もしてる』というありきたりな定理にたどり着いちゃったな




結局小さなケガなんて治るからね。物理的には命さえあれば生きていける




自分の限界が分かることで

その限界を超えるようなアクションはしなくなる


そして

次第にリスクを『自分から回避』するようになる(だって痛いのは嫌でしょ)


つまり

リスクの伴う遊びで
小さなうちから小さなケガを重ねることで、大きなけがをしなくなるということではないだろうか


さらには、限界のちょっと手前のパフォーマンスができ、
運動神経も高く
なる




当然活動する側は、リスクとハザードの違いを弁える必要はある


リスクとは、その人が避けようと思えば避けられる危険
ハザードは、避けようとしても避けられない危険
(詳しく書く気はないので調べてくれ)




なんか後半、リスクのはらんだ遊びの大切さみたいになっちゃった!

まあフリーに書いてるので気軽に読んでもらえれば幸!




最後に、ぼくが今日読んだ文章には

『リスクによって得られる大切なこと』

『ケガが無い』
というのはトレードオフの関係
どちらか一方を選ぶともう一方は欠けてしまう
極論、活動の中で事故(ケガ)が起こることを前提に、事故後の対応をどうするか考えることが、事故を考える上で大切なことだ

との旨の文章がかかれていた




遊びの質の高い学童保育を運営するならば

ケガをしないようにこうします」じゃなくて、
遊びの重要性の次に、「こんなケガがあったときはこのように対応します」
と説明する
ことが、
本当の意味での保護者の安心になるのではないかとおもった


実際には支援員の高齢化や低賃金であることなどから、気持ち的にも物理的にもなかなか厳しいのが現実であり
もっと国が力(経済的な)をいれてくれたらな

とおもってます
だって子どもは国の宝なりでしょ!!


いまは新型ウィルスで日本、世界がわたわたしてるれけど
落ち着いたころにもっと子どもの放課後に国が力を入れてくれるようになるには
どうしたらいいのか


考えつづけよう!


ぼくは学童やプレイパーク、ボランティア等で子ども達と関わっています。原体験がその人をつくると、『心アツくなる思い出が出来ちゃう』そんな関わりを大切にしてます。詳細はトップ記事をご覧ください 前置きが長くなってしまいました。頂いたサポートは活動の際の何かに使わせて頂きたいと思います