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自分が揺らぐような経験をすると、心の中にモヤモヤしたものが生まれます。モヤモヤを抱えたままだと、どこか自分らしく過ごせず、ますますモヤモヤが大きくなっていく―――これを「悩む」といいます。

悩んだとき、あなたはどんな反応を示しますか?

わたしは、
・周囲のせいにして意識の外に追いやる
・自分のせいと思って自分を責め続ける
・悩みの根本にある大切にしているモノについて深く考える
といった反応をします。


JCDAのキャリアカウンセリングでは【自己概念の四重円】という構造で捉えます。




日本キャリア開発協会「キャリアカウンセリングとは何か 改訂版」より抜粋


1.他人事の世界


「わたしは悪くない」
「あの人がいけないんだ」
「なんでわたしばかりが・・・」
「周りの誰も助けてくれない」

人のせいにするのは、そうでもして守りたい自分がいるということです。
他人事の世界に追いやらなければ自分が保てないからともいえます。

ただこの反応は、自分自身が変わるわけでも、悩みの種そのものがなくなるわけでもありません。一次的に意識の外へと追いやることで、悩みから逃れようとしているだけです。

もしあなたの周囲に、人の愚痴をよく言う方がいるとしたら、それは他人事の世界へ追いやる反応を示しているのかもしれません。



2.自分を含む世界


「こうなったのはわたしのせいだ」
「また同じことを繰り返してしまった」
「なんて情けないんだ、わたしは」
「すべてわたしが悪いんだ」

こんな自責の念を抱くのは、自分を含む世界として捉えているからです。
でも自分らしく振舞えないような悩みに直面し、「わたしらしいってなに?」と混乱している状態です。

このときの自分らしさとは、“本当の”自分らしさでしょうか?
例えば、仕事上の役割から「こうでなければならない」と思って作り上げた条件付きの自分ではないでしょうか?
課長だからこうあるべき、家長としてこう振舞わなければならない、といった社会通念によって築き上げられた自分だって存在するはずです。

そうやって作り上げられた自分と本来持っているありたい自分との間にギャップが生じ、「わたしらくない」と感じているのではないでしょうか。
そして、これまで信じてきた条件付きの自分が信じられなくなった(薄々感じ始めた)から揺らいでいるのではないでしょうか。

ただ、この段階では自分を責めることで問題が解決したと思い込みたいだけです。本当の自分に気づいたわけでも円満解決したわけでもありません。だから似たような経験をすると、また同じように悩む可能性があります。



3.当事者意識を持てる世界


「悩みの根本にあるものは何なのか」
「これを悩みと感じるのは、自分の中の何を守りたいからか」
「他責・自責で目をそらしたい、見たくない自分とは何か」
「この悩みを乗り越えた先にある、ありたい自分とは何か」

深い内省が行われると、問題を問題と感じている自分について考えるようになります。問題=悩みの種は、他の誰でもなく自分自身が生み出したものです。

例えば、書類提出が遅い部下がいて何度注意しても改善されずイライラした自分がいたとします。
「部下が悪い」とすれば簡単な話ですが・・・果たして問題の本質はそこにあるのでしょうか?
・なぜ提出が遅くなるのか
・部下の仕事ぶりは?
・部下はどのように考えているのか
・そのための関わりは行ってきたのか
・なぜ提出が遅いとイライラするのか
・なぜ改善がないことにイライラするのか
・注意の仕方は部下に伝わるものだったのか

このように、
・この問題に対して自分がどう関わり、どう捉えているのか
・その奥底では何を大切にし、何を期待しているのか
といった自分自身の心の内に意識を向ける必要があります。

そして問題に対して、自分自身にできることは何かと考えられるようになるのが当事者意識を持てる世界です。

自分を一番大事にできるのは、自分自身です。
でも自分を一番傷つけることができるのも、自分自身です。
だったら、悩みに直面したときに自分を傷つけるのではなく、大事にする方がよいですよね?
そのために自分にできることはなんだろう・・・と考えるということです。



4.ありたい自分


ありたい自分の姿を想像してみましょう。
自分が自分らしく生きる、いきいきと暮らしている、そんな姿を思い浮かべると、思わずニコニコしてきませんか?

社会の中で、周囲の環境に適応しながらも自分らしくありたいと人は望んでいます。

いまは言葉にできないかもしれませんし、まだ明確なものになっていないかもしれません。でも悩んだり考えたりする中で、ふと自分が大事にしているものに気づくことがあります。

他責にするのは、守りたい自分がいるから
自責に陥るのは、条件付きの自分に縛られているから

そんな風に考えると、“本当の”自分らしさについて考えることができるのではないでしょうか?
それこそが「ありたい自分」なのではないでしょうか?


ありたい自分に近づこうとすると、とんでもない力を発揮することがあります。

「わたしってこんなこともできたんだ」
「いままで避けてたけれどやってみると意外とできるもんだな」
「自分一人ではできなくても仲間を頼れば実現できるじゃない」

ありたい自分にはエネルギーがあり、その純粋さに周囲の人は惹かれます。いきいきと活躍する人に引き寄せられるのは、そういうことなんだと思うんです。



最後に


わたしも日々悩み、苦しみ、人を責め、自分を責めます。
もがき苦しみながらも、どこかで「自分らしくいたい」という思いがあります。

先生として、キャリアカウンセラーとして、地区長として、家長として、といった肩書に縛られたものではなく、「おかちん」としてという意識から生まれるものです。

「それっておかちんっぽいよね」

そう言われると、どこかでホッとする自分がいます。

「ありたい自分でいられているのかな」

そう受け取っているのでしょう。


そのヒントはいつも「他人事」にしていること、「自分事」として捉えていることの中にあります。

あなたは、自分らしさをどんなときにどのように感じていますか?

それを言葉で表すとしたら、どう表現しますか?

ぜひ考えてみてください。




明日も佳き日でありますように


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