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#56 毒親育ちの私のスペック。

2021年7月13日。

noteに記事を書き始めて約1年。
今さらながら、自分が何者なのかを紹介してなかったことに気づいた。ホント今さら。

この記事では、毒親育ちの私のスペック......スペックって言い方は微妙かもしれないけど、自己紹介をまとめようと思う。

毒親育ちの私のスペック

正直、『誰トク?!』な感も否めない。世の中には毒親育ちが意外にも多くて、メディアに限らず個人で情報発信をしている人もいる。

私もその一端にすぎないけど、毒親育ちと言っても、育った環境や価値観は千差万別。スペックを知った上で記事を読むと、行動や思考が理解されやすいんじゃないか、とも感じている。

話が脱線してしまったけど、私のスペックは主に下記のとおり。

✓ アラフォー女性
✓ 母親は過干渉・強要型の毒親
✓ 父親は固定概念強め・世間体重視
✓ 毒親とは2015年に絶縁済
✓ 発達障害のグレーゾーン
✓ 2回目の結婚生活中(子供あり)
✓ ミニマリスト的思考
✓ 趣味は勉強・自己探究、映画鑑賞

こう書いているとクセ強めな感じも否めないけど、私の場合は、自分の親が毒親だと気づけたおかげで物腰が劇的に柔らかくなった......と思っている。それでも尖ってる感もあるけど、毒親の影響を受け続けていたらもっとひどかったはず。そこから比べてば、今はずっといいと思っている。


発達障害の症状

発達障害のひとつであるADHDとASDなんじゃないかと認識している。

症状もその程度も個人差があるが、自己認識している大きな症状は下記のとおり。

✓ 過集中
✓ 集団行動が苦手(特に女子グループ)
✓ 自分の興味以外のことは無関心
✓ 興味外のことはすぐ忘れる
✓ 他人の感情をもろに食らう→フリーズ
✓ 変な勧誘・人に絡まれやすい

正確な診断を受けているわけではないから、このすべてが発達障害の症状とか傾向に当てはまるのかはわからない。けど、今接点のある人たちを見ていて『自分は違うな』と思うことを挙げてみた。

『違う=悪い』ってわけじゃない。周りの人と違うからといって自己嫌悪に陥るわけではなく、自分なりの処世術を見つけられればいいのかな.....と思っている。


ミニマリスト的思考が自由を生む

自由へのあこがれが強い。

幼いころから生きづらさを感じていた。毒親の影響か発達障害の影響かわからないが、強制的に型にはめられてるような感覚があって、その反動が大人になって現れたんだろう......と勝手に分析している。

型にはめるのは簡単だ。自分の解釈を正当化できるし、状況によってはマウンティングをして自分がいかに秀でているかをアピールすることもできる。けど、それが正しいとは限らない。思考も行動も固定化しすぎるのはリスクもともなうなら、できるだけ臨機応変に対応したいと思っている。

あらゆるしがらみから距離を置きたかった。面倒くさがりでもあるので、わずらわしいものすべてを取っ払いたかった。その結果ミニマムな生活を手に入れた。Youtubeで見るような極め方はせず、ゆるめのミニマリスト。

✓ 生活リズムが健康的になった
✓ 家で過ごす時間が苦にならなくなった
✓ 必要以上に縛られなくなった
✓ ストレスが少なくなった

今のところ、生活で不便な点も不自由な点もない。毒親のストレスから開放されたのも、これが一員なのでは?と思っている。


勉強・自己探求で生きる術を磨く

ズバリ、『自分ひとりでも生き抜く力を身につけるため』に他ならない。

私は毒親から絶縁されている。きょうだいも親せきもいるが、私が親を毒親だと言っていることを良くは思っていないから、身内で頼れる人はいない。

当時は離婚したばかり。ひとりぼっちは淋しいから、同志のようなパートナーは『いてもいいかな?』ってレベルで、再婚する気もまったくなかった。家族という存在そのものを信用していない節があったんだと思う。

そんなこんなで、自分が映画『千と千尋の神隠し』の千のように、自力で未来を変えるって気持ちがかなり強かった。頼りになるのは自分とお金。現実重視派なのもあり、世の中でどう戦っていくかを第一に考えている。

今は家族と呼べる人がいて、生活環境はかなり変わったけど、この考え方は今も健在。娯楽・休息も大事だけど、ことあるごとに学ぼうとする姿勢がある。


2回目の結婚生活は想定外だった

noteのはじめの方を読んで察した方もいるかもしれないが、いわゆる授かり婚だ。私も年齢からすると、『何をやってるんだ』と怒る方もいるかもしれない。

毒親に対する憎しみとか恨みはそれなりにあったし、毒親の連鎖をしたくなくて、予期せぬ妊娠にかなり悲観的だったけど、結果オーライになった。子育てはワンオペだし、体力的なしんどさはあるが、自分が毒親になっていないだろうという裏付けを日々できているからか自信につながっている。

パートナーに対してイライラするときもあるけど、自分なりに消化して良好な関係を築けてるはず。目立った不平不満がないのが大きい。


まとめ:毒親育ちでも選択肢はある

毒親育ちだからといって、必ずしも不幸の連鎖が続くとは限らない。自分の言動とか過去の出来事(失態・汚点を含む)をどれだけ受け入れて昇華できているのかで変わる。

毒親の影響を受けているぶん、じゃない親の子供より乗り越えるものが大きく、ハンディのように感じるかもしれない。不平等だと悲観する人もいるかもしれないし、私の書いていることをキレイゴトと一蹴する人もいるかもしれない。

どう考え、判断するのかは個人の自由。私はそれを批判する立場ではないが、固執しすぎることで選択肢を狭めて、自分で自分の首を絞める言動はすぐにでもやめたほうがいい。毒親によって苦しいままでいるのも、そこから解放するのも自分次第なのだ。

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