#かんがえこと

あなたと違うを好み、とどまることを嫌う。

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最近の記事

能登半島地震の福祉避難所より

2024年1月1日 能登半島に大きな地震が来た。 令和6年能登半島地震。亡くなられた方に、謹んで哀悼の意を表するとともに、被災された皆様には、心よりお見舞い申し上げます。 1月9日から1週間現地入りし、福祉避難所のボランティアにジョインさせていただきました。きっかけは、2020~2021年に輪島に訪問していたことから。 街の姿は大きく変わり、胸が苦しくなるほどの辛さがありました。 高齢化率50%弱の街で避難を声かけても全員が自力で避難できるわけではありません。状況がわから

    • 私は、在宅医療が好き。

      現在絶賛、在宅介護中である私の家族の話。 昨年末、12月31日祖母が自宅で転倒した。 診断名は、#右大腿骨転子部骨折 エンダーピンを挿入する手術を受け、急性期病院からリハ病院に転院し、入院2.5ヶ月で在宅に帰ってきた。 祖母には持病がある。 以前の記事を読んでいただければ…(有料以降だけど) 治すとは、元に戻すことなのかそもそも、祖母には重度心疾患があり、障害者手帳1級を所持するほど。 いつどうなってもおかしくなく、本人は故意的な延命は望まないとのことで、以前から在宅

      • 食物連鎖のトップを走ること

        2022年3月15日に有精卵を孵卵器に入れた。 目的は、自給自足の生活に憧れていたこと、循環農業をしたかったこと。 その2つという物凄く簡単に考えた目的だった。 その過程で感じた苦労や収穫、感情の動きを綴ることにする。 孵卵器ってほっとけばいいだけじゃない!孵卵器に入れた卵は、母親のお腹の中と同一条件にするため、 1日最低4回は、”90度転卵”を繰り返す必要がある。 私が購入した孵卵器は、自動転卵もなければ、温度管理も、湿度管理も大丈夫か?と疑うようなものであった。(製

        • 自分が好きな自分であろう。

          人には自ら選択する能力が備わっている。 生活するのは選択の連続だ。 朝ご飯は、パンかご飯か。今日は、メガネにするか、コンタクトにするか。 友達の誘いを受けるか、受けないか。誘うか、誘わないか。 今から、ゲームをするか、しないか。 noteを書くか、書かないか。 そうして今、筆をとっている私も、書くという選択肢を選んだ。 しかし、日本には義務教育というシステムが存在する。 学校に行くのが義務である。 学校に行きたいか行きたくないかではなく、行くのである。 それでもな

        能登半島地震の福祉避難所より

          看護師を辞める決断

          そもそもなぜ看護師になったのか。それは私もわからない。 本当は、高卒で農家になる予定だった。 覚えていることとしては、大学の志望理由書に書いたことは、 その手法として選んだのが看護師だった。 そもそも治す医療には興味がなく、 安心する場所で過ごすことを支えたいという気持ちが強かったと思う。 ファーストキャリアは病院ではなく、在宅医療を選んだ。ともにある を、就職前からすごく意識していた。 ちなみに、心臓病の祖母は父方、パーキンソン病の祖母は母方。違う。 少なからず、

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          徒然なるままに

          「自分にできることは何か。」 「自分がやりたいことは何か。」 「自分が得意としていることは何か。」 日々問いかける言葉である。 何度か、相手にこの言葉を問いかけたことがある。 問いかけられると、人は一生懸命考える。 しかし、肝心の問いていた私は、 最近何も考えられていなかったことに、気づいた。 やるべきことに必死になりすぎて、私が大事にしたいこと、とは… ”やるべきこと” と書いたが、それもやりたいこと。やりたいことのプロセスで、期限があるものはやるべきことと、私

          徒然なるままに

          コツコツ続けること

          今までとは全く違う仕事をしていて感じること。 違った忍耐力を求められる。 なんと表現するのがいいのか、よくわからないけど、 これまでは、誰かのために行動を起こすことが多かった。認められなかった時、なぜだ。と感じ、認められると自己肯定できた。 今、“コト“ に向かうことができていると感じ、自分のために起こした行動と捉えることがある。 誰のためのどんな行動なのか、しっかりと考え直した人生を送りたい。 今見えている世界では、周囲にとらわれず、自分のために起こす行動を大事

          コツコツ続けること

          三宅島に行く

          看護師という資格から少し離れる。 心の整理をしないまま、三宅島に行くと決めた。 視点を変えて、作業に打ち込んだ時自分にはなにが残るのか、 自身を試すのである。

          三宅島に行く

          まとまらない思い

          私は何がしたいのだろうか。 最近そればかり考えている。 しかし、言い訳の様に日々の業務をこなし、考えない様にしている。 ___ 一つ大きなプロジェクトに区切りをつけようとしている。 プロジェクト発起中は、先がよく見えず、モチベーションも湧かず、やってもやっても自己を認めることができない。そんな境地だ。 先が見えたら面白くない、先が見えているんだったら、私はやらない。  見えないことがやりたいんだ! 過去にそう言っていた私は、本当に私だったのか。ばーかって言ってや

          まとまらない思い

          他者を認めることと、自分を守ること

          みんなが好きなものとか、みんなが進む方向とかそう言うのが嫌い。 反対に、新しいことが好き。 これまでの固定概念をぶっ壊すほどのもの。 みんなが、 "左” を向こうとも、 私は心に響くものがあれば  ”右” を向きたい。 それはそっぽを向いてるのではなく、「左かもよ」って気づいて、迷わせてくる人たちがいるから、違うかも?と思って右の選択肢が出てくる。信頼していないわけではない。 むしろ信頼していなかったら、見もしないし迷いもしない。 ただ、容易にできるものではなく、物

          他者を認めることと、自分を守ること

          ハレとケ

          日々にイベント感のある日が続いているように感じる。 私のプライベートは大抵ネクラ。 驚くほどに外には出ないし、言葉も発さない。究極、飲み食いもしない。 それが私の、『ケ』である。 移住してきて、住所不定看護師(つまり、コミュニティナース)をしているわけで、暮らしは社員のシェアハウスである。 きっと無理だろうと思っていた。人に気を遣うと後々大ダメージを受けるし、それなら一人暮らしを継続したらいいと思っていた。 すっとこどっこい。大逆転。 意外と楽しい。メンバに恵ま

          日日是好日

          軽井沢に越してきて、早1ヶ月。日々が物凄い速さで終わっていく。昨日の記憶なのに、一昨日?一昨々日?と思ってしまうくらい、充実しているのだ。 一方で、タスクがいつまでも片付かない日々。 ________________ 少しずつ落ち着いている感じもするので、私が今こうしてモチベーション高く向き合える訳を言語化していこうと思う。 基本的に直感で生きているから言語化は苦手で、 擬音語とか、指示語とか、ニュアンスとか、ノリとか、勢いとか、 そんな言葉で逃げてきた。本当は、

          今日も本気で生きる

          『Fukushima50』を見た話をすこし。 鳥肌の止まらないシーン多め。そして、爆音の苦手な私は時々ビビる。 よく考えたのが、本気で生きるって何か。 ここまで書いたのは、3月の末。 引越しとか、転勤とか、立ち上げとか、とか。いろいろが重なって、記録が遅れていた。 ということで、在住場所を変えた。拠点は長野県軽井沢。 今日も本気で生きる。

          今日も本気で生きる

          花粉か眠気か

          今日はひたすらに暖かい。 まぶたが重いのは、眠いのか、アレルギー症状か。 横になった途端寝れる気がするから、多分眠気だろうと思う。 … 彼女と別れたのは、ちょうど1ヶ月半前。本当に別れが辛かった。彼女も私も苦悩を抱え、癒しへ向かう間もなくだった。 苦悩は本人にしかわからない。        だから憶測など通用しない。 『本人の気持ちになって』『寄り添って』なんて上辺だから。 あなたのために家に帰してあげたい。ではなく、私は笑顔を見たい。だから、家に帰ろう。 こ

          花粉か眠気か

          ささくれと夜更かし

          珍しく仕事に追われている。それも楽しい。 今日、唐突に“不安“と“期待”は何か聞かれた。 不安か〜。 不安はあんまりない。予測して生きたことがないからリスクもあまり考えない。 私の人生を例えるとしたら、ジェットコースター。それも高飛車。 急上昇と急降下。止まることはない。 その時にどんな天気か、どんな風が吹いているか、隣は誰か… 絶対条件は違うからそれを楽しむ。これが期待である。 そして、今夜も作業は続く。いや、朝早起きしてやろうかな。

          ささくれと夜更かし

          決断と勇気

          蛇行も分岐も、人生にはたくさん必要だ。 私は、専門分野として看護を選んだ訳だが、その理由は後付けに過ぎない。 私にとって看護とは何か。 人の命を救うことでも、人の役にたつことでも、支えることでもない。 『会話も対話も談話も惜しまないこと、 そしてそれを楽しむことである。』そうだ。そうなんだ。 いつどこで、誰が隣にいても、前にいても。 できたら90度の席がいいけどね。 ということで、私はもう少し医療を続けます。 新しい拠点で、また新たな気持ちで。