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能登半島地震の福祉避難所より

2024年1月1日 能登半島に大きな地震が来た。
令和6年能登半島地震。亡くなられた方に、謹んで哀悼の意を表するとともに、被災された皆様には、心よりお見舞い申し上げます。

1月9日から1週間現地入りし、福祉避難所のボランティアにジョインさせていただきました。きっかけは、2020~2021年に輪島に訪問していたことから。
街の姿は大きく変わり、胸が苦しくなるほどの辛さがありました。

高齢化率50%弱の街で避難を声かけても全員が自力で避難できるわけではありません。状況がわからず自宅に取り残されている人もいます。近所の声かけで何とか避難所にたどり着いた方もいます。

問題はそのあと。

震災で命は助かったら、その後の避難生活も命を落としてはいけない。
現在メディアで言われている、「災害関連死」をできるだけ抑えたい。

どんなことができるかもわからないけど、災害支援チームぐるキャンにジョインさせていただき、現地入りしました。

@地域生活支援ウミュードゥソラ

一般避難所から福祉避難所へ

1月8日夜から福祉避難所として運営を始めた。
ちょうど、一般避難所からの切り替わりのタイミングで、とんでもない数の人が出入りした記憶しか残っていない。

誰が避難者で、誰がボランティアなのかも正直混乱するほどだった。

福祉避難所とは、

「主として高齢者、障害者、乳幼児その他の特に配慮を要する者(以下こ の号において「要配慮者」という。)を滞在させることが想定されるものに あつては、要配慮者の円滑な利用の確保、要配慮者が相談し、又は助言その 他の支援を受けることができる体制の整備その他の要配慮者の良好な生活環 境の確保に資する事項について内閣府令で定める基準に適合するものである こと。」

内閣府(防災担当)

受け入れには、DMAT、自衛隊、近所の方、施設職員などが連れてきてくれて、その都度避難者本人に情報を確認する。
自分の車いすを持っているが、搬送の車に乗せれず置いてきたケース、
全介助で車に乗せたから靴を履いていないケース、
熱が出て連れてこられたけど、避難所のスタッフに引き継がれずに置き去りになるケース、、、
そんな状態の中だから、名前や生年月日、住所、持病、服薬、かかりつけ医、ケアマネなど、情報をどれか一つでも聞けたらラッキーだった。

感染症との闘い

避難所では、インフルエンザ、コロナウイルス、ノロウイルスと感染症が拡大していた。
現地入り直後に、参加させていただいたDMAT会議では、インフルエンザ、コロナウイルスの感染拡大は止められず、隔離も困難な状態を極めるので、隔離やPPEは必須としないという通達があった。
(ノロウイルスは、可能な限り1避難所に集約。)

生活用水もままならないため、どうしても手を洗うことが最小限になってしまう。常に手袋をして、さらに二重にしてケアや掃除に当たり、1枚だけを破棄する。そんな生活だった。

トイレは、ラップポンを提供いただいていたが、なかなか使い方が浸透せず、断念。トイレに、45L袋、凝固剤or尿取りパッドという状態だった。

排泄物もゴミとして廃棄するため、トイレに溜まっていくのである。匂いも気になるし、感染も気になるところ。
気づいた時には、自分が排泄した時には、通りかかった時には、とにかく掃除。ゴミを捨てる。消毒をする。

ゴミの山

ゴミ問題も生じる。ごみ収集が来ないので、溜まる一方。
生活ごみも、排泄ごみも、感染ごみもごっちゃ混ぜ。
この収集はいつ来るんだろう、室外機のそばにゴミをまとめて大丈夫なのかしら、とか、いろんな疑問を張り巡らせながら、解決に持っていく時間も頭もなく、とにかくゴミを捨てた。

あなたのその手が、筋力低下を招きます。

福祉避難所には、認知症を患っている人も、半身麻痺の人も、発熱の人も、感染症に罹患した人も様々な要配慮者がやってくる。
ここには、主に高齢者が多く、大体の自分のことは自分でできる人、大体。

それなのにケア職ってなんでも手をだしてしまう。それに頭を悩ませた。

安全を取るか、安心を取るか。

確かに避難所に来たときは、ADLもわからない、介護度もわからない、効率だけを重視して、担架で運ばれてくることもあった。
だから、その人がどこまでできるかは未知数だ。しかし、言語、体で伝えることはできる。

震災が来て心身ともに疲労を重ねている場面、人に頼りたくなるのは当然だと思う。
「さぁ、お手洗い行きましょうか」と手を差し伸べて、
「お体つらいですよね」と、動きの遅い状態を見て、車いすを持ってきて、
「車いすに乗っていきましょうか」と、ケア職のペースで乗せる。

これは果たして誰のための何なのだろうか。

103歳自分の足で歩きます。

年を重ねるに伴い、寝ていれば短時間で筋力が低下する。
ここはあくまで避難所であり、施設でない。避難所から次の生活の場へと移っていく中で、できるだけ日常生活レベルを落とさずに次へ移っていただきたい。
特に、輪島市はとにかく市外への避難を進めているからこそ、ライフラインが整った時、輪島市に戻ってこれる体であってほしい。これは私の願いだ。

だからこそ、できるを奪わず、そっと見守ることも大事だ。

互いに頼りあえる存在に。

一緒に支援に入らせていただいたボランティアの方からこんな言葉をいただいた。

「人には、転ぶ権利がある。」

目的の場所に向かうとき、事故にあう可能性もある、震災にあう可能性もある、たどり着けないこともある。このように人が動くことは、少なからずリスクを伴っている。
それが、介護や看護に触れたとき、転ぶ権利よりも、転ばせない方を優先するようになる。体のバランスが傾いたとき、手を貸す借りるの関係になり、人の動きを止めてしまう。その関係性になると、ケア職が前に来ただけで、「動いていいの?」と気を使わせ、自分がいるせいでその人の力を半減させてしまうかもしれない。
動いたら転ぶかもしれない、でも転ぶこともその人の持っている力である。

頑張ればできると頑張ってもできないのラインを手探りでもいいから、感じて、見守ることも大事なケアである。

目の前で、転びそうになったら、直接手を貸すのではなく、
ヘッドスライディングで抱きしめるか、
自分がその人の下に滑り込んで肉座布団だ!

輪島市民の健康を守る!!

DMAT本部の目標!

さまざまな観点から健康を考えながら行動した。
先述の通り、ADLを落とさないかかわりも大事。

今回の期間でとにかく感じたのが口腔内の健康。
必死に避難して、歯ブラシも水もない状態で過ごしていた方も少なくない。

口腔内には、多くの細菌が存在し、2時間ごとに増えていく。
と言うことは、約10日間みがいていなかった口の中は、、、
想像するだけでゾッとする。

震災以降、10日ぶりに義歯を外した

義歯を十分に洗い流すだけの水もなければ、この時はポリデントもなかった。とにかく、ウェットティッシュで拭き取る。これしかできなかった。
支援物資で届いた、口腔ケアグッズを最大限使用させていただきながら、避難者全員が口腔ケアをできるように。

この時、悩んだのが、歯ブラシの保管方法。
1人1人に十分なスペースが確保されていない、また認知機能が低下している人もいるため各自管理が難しい。避難所自体も決して片付いているとは言えない状況で、口腔ケアに入った初日は、心苦しくも歯ブラシを使い捨てるしかなかった。

その後、歯ブラシの包装袋を利用し、袋に名前を書き、袋で保管。
ナイロンの毛束であれば雑菌の増殖はそこまでない。しかし、ナイロンを乾燥させることができないので、3日程度で歯ブラシを変えることが妥当だろうと歯科医師より助言いただいた。

1人ずつ使い捨ての袋で義歯洗浄を行う

義歯も自身で管理ができるのであれば、夜間も外すがそうでなければ、3食後しっかり磨いて装着したまま過ごす。
義歯ケースがなければ、ジップロックでも代用可能とのこと。
Kaoから出ているシュッシュデントが結構役に立った。

歯磨きを拒んでいたばあちゃんと入れ歯を取ったら、笑ってた。

横になるスペースは確保されても使いやすい手すり、滑り止めマット等は、用意することが難しい。
避難所にいた方は、介護ベッド+手すりがないと、起き上がりがでいないため、震災後から車いすで寝食のすべてを行っていた。

麻痺側の足はパンパンに浮腫み(1月9日に出会った時からパンパン)、血行不良から足先は冷たく、下腿の皮膚は触っただけでずる剥けた。

浮腫でパンパン。皮膚はズル剥け。

潰瘍の洗浄を毎日行い、足浴もできる時に行った。
生活用水が十分に確保できないなかで、ひらめいたのは積雪だった。
夜のうちに積もった直後の雪を集めて、溶けるところまで溶かし、朝沸かす。驚くほどに肉眼的不純物はなかった。

車に積もった雪を溶かして

この後、象足の方がどうなったかというと、とにかく足全体にワセリンを塗り込む。ナプキンにフィルムを貼り穴をあけ、傷がつかないように、浸出液がナプキンに浸透するように仕掛け、エラスコットで巻き上げた。
3日もすると、浮腫みも落ち着き、皮膚にテンションのかかっていたところはしわしわになっていった。

支援に入っているオレンジホームケアクリニックさんより、急遽エラスコットを持ってきていただいたが、着圧ソックスを避難グッズに入れてもいいなぁと感じている。

できるだけ毎日。みんなでラジオ体操!

防災リュックに入れたいもの

●貴重品(現金、家の鍵など)
●携帯ラジオ
●懐中電灯
●救急薬品
●非常食
●水
●スマートフォンの予備のバッテリー
●乾電池
●紙の地図など
●常備薬(普段飲んでいる胃薬や痛み止め、ワセリンなど)

【防災士が解説】防災リュックの中身、何を入れる?最低限必要なチェックリスト

正直な話、防災リュックを背負って避難をしてきた人を私は見なかった。
現地入りしてからは、避難所に来た全員が着の身着のまま避難してきて、自立されている方は、少しずつ自宅に取りに帰るという状況。
自宅も全倒壊し、歩くこともできず、帰るところもない方もいた。

私が現地に入るまでの1週間の間、どのように過ごしていたかはわからないが、生きていたということは、少なからず水や食料をもらうことができていたのではないかと思う。

このように今の日本は、自助共助が成り立っている。
ありがたい世の中だと思う。

そんな現状や支援物資を見たとき、自分が活かせるもの。
それは、推奨されているリュックの中身を整理してみよう!ということ。

●貴重品(現金、家の鍵など)
 ▷現金は公衆電話用という情報を見るが、通信障害になっても大体1週間 もすれば、仮の基地局が建てられ携帯電話サービスの復旧する。その後の買い物ということを考えると、現金はあってもいいだろう。
家の鍵は、いる?実家だったら、大抵どこか開いているし、アパートなら持って出るでしょ。急いで避難したとして鍵かけている余裕はない、最悪なくてもなんとかなる。
●携帯ラジオ
 ▷通信障害が解消されれば、情報は取れる。その間までは必要かも、、、
●懐中電灯
 ▷いる?ただ照らすだけなら携帯のライトで十分。もし持つなら両手が空くようにヘッドライトのほうがいい。
●救急薬品
 ▷酒精綿で傷を拭えば十分。ガーゼ、ワセリン、爪切りあるといい。
●非常食
 ▷アルファ米は結構美味しかった。特に、尾西がいい!甘いものの推しは、チョコえいようかん。温かいものを食べたいとき、役立ったのが、ヒートパック。少量の水があれば、なんでも温まる。

●水 
 ▷大事。口をつけて飲むことを考えると、500mlのペットボトルで4本は必要だろう。
●スマートフォンの予備のバッテリー 
 ▷これめちゃ大事!
●乾電池
 ▷携帯ラジオや懐中電灯、ヘッドライトに合う電池を。
●紙の地図など
 ▷いる?私は必要性を感じない。
●常備薬(普段飲んでいる胃薬や痛み止め、ワセリンなど)
 ▷これはめちゃ大事!直近のお薬手帳のコピーでもいい。災害時は、災害処方箋で処方歴があれば出してもらえるから、とにかくお薬手帳。マイナンバーカードのマイナポータルで処方されているお薬情報が見れる。現地にいたときは、そんなこと考えもつかなかったけど、、そういう使い方もできるのか。

個人的に、もっとほしいものは、
●マウスウォッシュ
●歯ブラシ
 ▷口腔内清潔大事!しかし、支援物資として歯ブラシが届くのには少し時間がかかる印象。
着圧ソックス
 ▷DVT予防!若者でも結構なる!
●制汗シート
 ▷冬ならまだしも、夏は必須!
●下着(1セット)
 ▷自分に合うサイズのものを支援物資の中から探すのはなかなか難しい。
●レインコート(冬だとゴアテックがいい)
 ▷防寒対策、雨対策!冬は、貸してくれる毛布に限りがあるので、あるといい。
●寝袋
 ▷冬は地域にもよるが、0℃前後まで耐えられる寝袋を推奨する。寝袋の中は、自分の空間になるので、他の情報をシャットアウトする道具にもなる。
●イージーファイバー粉末、青汁粉末
 ▷とにかく悩んだのが便秘。食事で摂る食物繊維が減少するため、故意的にイージーファイバーや青汁を飲むのもありかと。

この話は、私の個人論であり、地震だけにしか対応できないかもしれないけど、きっと役に立つと思う。

最後に


また、今回私が現地入りすることに際して、現職の承諾や、キャンナス、オレンジの方々、ボランティアスタッフの皆さんに、このような現場で貴重な経験をさせていただいたことに感謝申し上げます。

1日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。



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