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他者を認めることと、自分を守ること

みんなが好きなものとか、みんなが進む方向とかそう言うのが嫌い。

反対に、新しいことが好き。
これまでの固定概念をぶっ壊すほどのもの。


みんなが、 "左” を向こうとも、
私は心に響くものがあれば  ”右” を向きたい。

それはそっぽを向いてるのではなく、「左かもよ」って気づいて、迷わせてくる人たちがいるから、違うかも?と思って右の選択肢が出てくる。信頼していないわけではない。

むしろ信頼していなかったら、見もしないし迷いもしない。

ただ、容易にできるものではなく、物凄いエネルギーと勇気が必要だ。


そんな、私の今の心境を、実家のウサギさんたちはいとも簡単に表現してくれた。
(簡単に見えただけかも。そうだったら才能である。)



ここ数ヶ月、いろんな感情や状態が駆け巡った。

ジャネーの法則の2乗よりも早い気がした。

私は先月、人生最大の大役を果たしたかもと自負できるほど、大きな仕事をした。
エネルギーを使い、心も体もヘトヘト。勇気も出し切った。

HP回復までに倍以上の時間を要した。

その時は、苦しかったけど生きている心地がした。
戻りたくはないけど、幸せだ。


守りたいものや、大事にしたいものを阻害された時、
面倒だったり、余裕がないと阻害された方の言葉を真実だと思い込んでしまう。

だけど、大事にしたいものを自分以外の人と共有していたからこそ、
面倒でも、余裕がなくてもしっかり言葉にして守りぬいた。


それこそ、まさに人生会議だ。


最期なんていつかわからない。
人生も仕事も恋愛も友情もあれもこれも

そう、今回私が現場の最前線から退いたように。


予期せぬ終わりが来ることがわかると、ものすごく切羽詰まる。
あらぬ決断をしてしまう。

そう、これである。

余裕がないと、守りたいもの(=信念)が阻害された方の言葉(=生命の維持、世間体、一般論等)を真実だと思い込んでしまう。


仕方がないことだ。主語はずれていない。だけど、

世間一般として私が守りたいものなのか、
私が私として守りたいものなのか。


それを間違えたくない。
前者は圧倒的後悔する。なぜなら責任転嫁できるから。
後者はエネルギーと勇気がいる。なぜなら…


私は常に後者でいたい。また行動を始める。


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