「再生産について」ルイ・アルチュセール(著)
本書はフランスのマルクス主義者であり、ミシェル・フーコーやブルデュー、デリダを指導した経験を持ち、1960年代後半以降の構造主義のムーブメントの一角を担い、そして最後には妻を殺してしまう、優秀でありながら犯罪者になった異色の経歴を持つ、ルイ・アルチュセールの本です。
私は共産主義に共感はしないので、彼の使う表現に戸惑うこともありますが、それでも彼の哲学とこの本「再生産について」は「イデオロギー」という多用されすぎて、もはやわけがわかんない概念を理解するための重要な役割を果たしていると思います。
・私たちを無意識に拘束するイデオロギー
本書が注目された理由は著者が提唱されたイデオロギー装置論の特異性によるものです。このイデオロギー装置について説明する前に、まずイデオロギーについて説明しようと思います。
イデオロギーというときっと「保守主義」「共産主義」といった特定のイデオロギーを思い浮かべるかもしれませんが、アルチュセールのいうイデオロギーの定義はもっと広いです。
アルチュセールはイデオロギーを人間のあらゆる行動を通じて発信されるものだといいました。
すなわち「人間はイデオロギー的動物」であるというのです。
私たちの行動には必ずイデオロギーが内在されていて、そしてそのイデオロギーが私たちの行動を通じて社会に発信されていると言います。
私が本書を読んでいて一番わかりやすかった例が「法的イデオロギー」についてのところです。
Q.私たちはなぜ法を守るのでしょう。
刑法は殺人罪について定めています。刑法199条ですが、あの条文は別に殺人をするなとは書いていません。
刑法199条
人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。
内容を見ると「1.殺人を犯した場合」「2.殺人罪という政府の決めた罪に問われ」「3.刑罰が科される」と書いてあります。
では、この条文(刑法199条)がなければ殺人はしてもいい行為なのでしょうか。
もしそうだというのであれば、あなたは法的イデオロギーの影響下にはありません。
ですが、もし刑法の規定と関係なく殺人は悪い事であるという認識をあなたがしているのであれば、あなたは法的イデオロギーの影響下にあります。
このように私たちは様々なイデオロギーの影響を無意識のうちに受けていて、その影響の中で自己を形成し行動しているのです。
そして自らの行動には必ず、自身が強く影響を受けているイデオロギーが表現(実践)されていて、周囲にその行為を通じてイデオロギーを放射しています。
私はこの著者のいう人間の行為には必ず特定のイデオロギーが内包されているという認識に深い共感を受けます。
前にマンハイムの「イデオロギーとユートピア」を紹介しましたは、本書はその延長線上に存在する極めて面白い一冊だと思います。
私たちは常に様々なイデオロギーの放射を受けており、その中で自我(自己-独自のイデオロギー)を形成し、日々の生活の中でイデオロギーに基づいた行動を実践し、またどのイデオロギーを放射して、他者にイデオロギーを浴びせているのです。
私たちはイデオロギーに拘束されていますし、またイデオロギーを無意識のうちに実践するイデオロギー的動物というのは大変興味深い話です。
・アルチュセールからすれば共産主義者はぬるい
次に著者が考えるイデオロギー装置とはどのようなものかについて簡単に説明します。
イデオロギー装置とは国家の中にある諸機関そのもので、その量は組織・集団の数と比例します。即ち複数人集まって組織の体を成した瞬間からそれらはイデオロギー装置となるというのです。
ではイデオロギー装置は何をするのか。それは外部へのイデオロギーの放射と組織構成員を通じたイデオロギーの実践、構成員の再生産です。
そしてこの集団が国家からの許認可を受けることで国家に従属する機関となり、この許認可制による国家への従属行為を複数の組織が行うことで、国家に逆らえなくなると言います。
学校において学生が単位・出席日数を気にしながら学生生活を送るように、また会社員が会社との契約の遵守を求められるように、組織の構成員は特定のルールの下で生活することが常識です。
この常識も国家、資本主義が提示したイデオロギーであるがゆえに、著者は革命のためにその外に出ることを提唱します。むしろ外に出なければ革命は成立しないとまで言います。
私は本書を読むまで断片的にしか共産主義の理論について知りませんでした。
ですけど、アルチュセールを通して知る共産主義理論と、さらにアルチュセールの考える革命理論、これをもし現実化するというのであれば、残存している共産主義者は「いい加減、目を覚ませ」と言う他ないほど革命への道は絶望的です。
「資本主義社会の中で求める共産主義革命を引き起こすことは不可能だ。なぜなら貴様たちは資本主義のルールの中で生きている。それを超越するのは共産主義だ」
と言わんばかりの著者の意見は極めて共産主義者に対して厳しいです。
また著者自身が晩年「自らの限界の中のマルクス」という論文を書いたように、一つのマルクス主義の終わりを見たのも自然に感じますよね。
・終わりに
イデオロギー装置論、そしてイデオロギーについて著者の意見は極めて面白いものですし、十分に検討する価値があるものだと私は思います。
国家の役割、そして組織の役割などをイデオロギーを通して分析するのは面白いですし、著者の教え子でもあるミシェル・フーコーが「監獄の誕生」などを通して提唱した「規律権力」の理論ともつながるところがあります。
どうしてもポストモダン、ポスト構造主義といった現代思想、哲学は左派などと結びつけられ保守派や右派を自称する人からは敬遠されがちのように思えますが、評価されている以上、一定の検討すべき内容を保持していることは事実です。
その自己認識による特定の存在の排除もまたイデオロギーによって無意識に行われているものであり、それは自己の発展を阻害しています。
私はイデオロギーに関心のある人なので今後も折に触れて言及することになると思います。
なによりも人の行動、思考を制限すると言う点でこのイデオロギーは面白いですし、そのイデオロギーに一つの意見を投げ込んだ著者の深い見識には尊敬が絶えません。
※コメントを頂いたので加筆します。
中村日真莉さんにコメントでアルチュセール(「再生産について」の著者)に興味を持ったと言ってもらえて大変うれしい限りです。
アルチュセールの本は原書も翻訳版も回りくどい表現が多く、読んだ読者の一人の感想としてはいきなり挑戦するのは難しいかもしれません。
ですので、入門本や副読本があった方が読みやすいように思えます。おせっかいかもしれませんが、アルチュセールを理解を助ける日本人の研究者による本を数冊紹介しておきます。
なんならこちらを読むだけでも十分にアルチュセールを楽しめると思います。参考にしてみてくださいm(__)m
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