「リベラルのことは嫌いでもリベラリズムは嫌いにならないでください」井上達夫(著)
本書は現在の左派と考えられている人々が抱えている課題について指摘し「リベラル」という勢力の支持が伸び悩む理由を明らかにしていると思う。
右派側かの左派批判というのはほっといても定期的にガス抜きのようにされるが、著者は間違いなく右派側の人間ではない。左派が左派を批判してはいけないというルールなどは存在しないが日本のネットなどを見ていると自陣営や味方を批判することを極端に嫌がる傾向がある。是々非々の判断を拒むのだ。
このような傾向は議論の内容の成長を止めてしまい、課題解決のアイデアの数を少なくしてしまう。この本はそう意味だけで見ても刺激的な内容の本だと考える。
本書は二部構成になっており、第一部では現状のリベラルの批判を中心に社会問題について語り、第二部では著者の関心の高い分野である「正義」について語っている。
内容に賛同するしないに関わらず何よりも「正義」というものや「リベラル」「リベラリズム」について考えるうえでは参考になる本だろう。
・政党にとってイデオロギーは形骸化している
リベラル(liberal)というのは独特な意味を持ち、本来であれば「自由」であるが「正義」や「福祉」なども含めた意味でいまでは用いられる。著者曰く「寛容」と「啓蒙」が自由主義(Liberalism)の内容であるという。
さて今、五つほど「」つきで言葉を囲ったが、この要素を現在の左派政党(リベラル陣営の政党)が満たしているかと考えるといくも疑念が浮かぶ。
例えば野党共闘の結果として勝利した山中新横浜市長への疑惑について野党陣営からの批判の声は弱い。
議会内では共産党議員からの擁護するような声もあるそうで、このような「正義」の濫用というのは極めて問題だ。
リベラル衰退の原因として著者はこのような身勝手なダブルスタンダードだという。これは間違いない。だがこれは左派だけの話ではなく右派側にも見られる光景だ。自らが掲げるイデオロギーの理念を利用するばかりで実践はしない。
自民党の党是である憲法改正も戦後自民党が政権を担当している時代が長いにも関わらず改正には到らない。また左派側もいろいろ政策を言ってみるが政権を取ると悉く実践できず失敗する。
これはイデオロギーの形骸化であり、実践する気のない、単なる意味のない標語と化している。あくまで組織の存続のために人を集める目的で掲げているものなどに本気になって入れ込む支持者の気の毒なこと。
このような単なる利益追求組織、しかも自己保身を中心とした組織、さらには様々な詭弁を用いて自己正当化を図り、支持者を翻弄し続ける不誠実な状況はイデオロギーが形骸化した政党の問題点である。
・原点に目を向ける
第二部の「正義」に関する部分は私に関心がなかった分野であったので最初から最後までほぼ新鮮に読んだ部分だが、やはり正義とは難しい。また著者の挑戦している「正義概念」の分野は関心のある人にとってはきっと大変興味深く思えるのだろう。
著者は「正義」をめぐる議論の中で「正義概念」という分野は関心をなくされて退潮していた時代もあったという。これはどんなことにも言えるのだろうが、我々は一つの問題を見る時にどうしても本質(そもそも論)の部分を避けて議論をすることを好むかもしれないが、地盤となる本質の部分に目を向けることも当然必要だ。
課題を議論するときに共通見解(認識共有)がなければ話は平行線のままになる可能性がある。なぜなら両者の間で問題の本質の認識がズレているからだ。これでは無意味な時間になってしまう。
ゆえに本質、本論、原点に立ち返り議論することはそこから派生する全ての事象への認識の変化をもたらす重要なことを意味する。
まぁ哲学的な話というのは小難しく、人によっては生産性がないからといって反吐が出るほど嫌いと思うかもしれないが、本論あっての各論であることも事実。ゆえにそのような原点について考えることの重要性も本書は示唆している。私はこの点には賛同する。
・最後に
左派から見た左派批判ということで興味深く賛同できる部分がいくつもあった。著者の個別の社会問題に対する意見や保守主義に関する認識などいくつか意見を異にする部分もあるが、それでも新鮮な意見だったことは間違いない。
正義については複雑ではあるがジョン・ロールズの思想変遷について、マイケル・サンデルへの批判などは、その分野の研究者だからこその意見であり興味深く、法哲学、正義とは何かという普段はなんとなくしか気にしないようなものを科学する面白さを読者によっては得られるのではないかと思う。
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