ロマンをシェアできる人でありたい。
ロマンをシェアできる人でありたい。以前からぼんやりと思っていたことなのだが、最近そのように感じる機会が連続してあった。
先日、昔の職場の同僚たちと飲んだ。2年ぶりくらいだろうか。みんな、前の職場からは飛び立って、それぞれの道で頑張っている。
元々、ベンチャー企業で働いていたようなメンバー達だ。いまも変化の激しい環境に生きている。2年もあれば近況も大きく変わっている。当然、お互いの近況報告の話に花が咲く。
「いま、上場に向けて頑張っている。」
「支社長を目指している。」
「◯◯領域のプロフェッショナルになりたい。」
とみんな息巻いている。新しい挑戦をしていることは素晴らしいことだ。お互いの挑戦を聞いて、刺激を与え合うことができて建設的な関係だなぁと感じる。
一方で、なんとなくの違和感も覚えた。みんなのチャレンジを聞いていて、あんまり共感や応援の気持ちが湧いてこなかったのだ。
それは、彼らの話だけでなく、自分自身の話についてもだ。「なるほど」「いいね」と理解・納得してくれている気がするが、共感をしてもらえている感覚はない。
同じチャレンジの話でも、聞いててめちゃくちゃ楽しくなる話も確かに存在する。そんな話をしているときは、ヒートアップして、会話が止まらなくなることがある。刺激を受ける、という次元から一歩進んで、ある種の熱狂に近いものがその場に生まれることがあるのだ。
この違いはどこから生まれるのだろうか。
飲んだ日の夜はそんなことを考えていた。飲み会は楽しかったし、全然いいんだが…。
*
先日、リクルートという会社で働いている友人と話をしていて、彼から聞いたエピソードでグッときたものがあった。実際は彼の先輩が、彼に語ったエピソードなのだという。
ちなみにリクルートは、東京・丸の内のど真ん中のグラントウキョウ・サウスタワーところに本社オフィスを構えている。一等地の高層ビル。そのビルのほとんどフロアには、リクルートのオフィスが入っているそうだ。そのサウスタワーからは、東京の街全体が見渡せるようになっているらしい。
で、そのサウスタワーの40階でその先輩が僕の友人に尋ねたそうだ。
先輩「なあ、知ってるか。リクルートがなんで本社オフィスをサウスタワーに置くことにしたのか。」
知人「さあ、ちょっとわからないです。アクセスが便利だし、採用にもメリットあるとか。」
先輩「そういう意図もなくはない。でも、もっと大事なことがある。ここから見える街の人たちの生活をよりよく変えていくんだ!って従業員のみんなが、そういう気持ちに立ち帰れるように、東京全体を一望できる場所にオフィスを置いているんだ。」
知人「なるほど!確かに、そう聞くとなんかやる気が出てきますね。」
本当かどうかはともかく、この話を聞いていてシンプルに素敵だなぁと思った。ロマンを語るというのはこういうことなのかも。駅から近いし、採用メリットがあるから〜と言われるよりも、確かに刺さり方が違う。
ロマンを語るときに大事なこと
ゴールデンサークル理論という理論がある。何かを人を伝える時には、Why(なぜ)、What(何を)、 How(どのように)の順番で伝えると、伝わりやすいよ、という考え方だ。
最近感じているのは、Why(なぜ)⇒What(何を)⇒How(どのように)の伝える順番も大事なのだけど、Whyに何を持ってくるか、も同じくらい重要ということだ。Whyの設定次第で、伝わり方が全然違うのだ。
↑の動画の中で紹介されているAppleのWhy設定の例を引用したい。
(Why)現状に挑戦し、他者とは違う考え方をする。それが私たちの信条です。
(What)製品を美しくデザインし、操作法をシンプルにし、取り扱いを簡単にすることで、私たちは現状に挑戦しています。
(How)不要なボタンはなくす、タッチパネルで操作できる、動作をなめらかにするetc…。
たしかにAppleのWhyを聞くと、どんな製品なんだろう?と興味が湧く。
一方で、こんなWhyの設定の仕方している会社も多い。
(Why)5年で売上10億円を達成し、上場を目指します。
(What)予算をかけて大規模なマーケティング施策を展開する予定です。
(How)今期は商品Aの価格の値下げと◯◯に広告を出しキャンペーンを行うつもりです。
論理的でわかりやすい。理解も納得もできる。けれど、共感することは難しいのではないだろうか。
その理由は、会社の営業利益◯◯とか売上◯◯みたいな数値って会社や経営者のロマンであって、従業員や消費者からしたら、割とどうでもいい代物だからだ。自分に関係がある!と思えなければ強く共感することは難しい。(※どっちが良い悪いではなく、あくまで共感のしやすさ観点でのお話です。)
これは個人の話でも同様で、年収を上げたい、◯◯のプロになる、起業したい…、いろいろなロマンがありうるけれど、これってどこまで行っても自分だけの閉じたロマンなのだ。だから他人から見たら、やっぱり他人事になってしまう。
人から共感されるロマンの条件は、相手とそのロマンを共有できることなのではないか、と思う。つまり、自分の夢であると同時に、相手の夢にもなりうるものだ。
「人と違う考え方をして、世界を変える素晴らしい製品を生み出す」というAppleのスティーブジョブズの信念は、彼の夢であると同時に、消費者や従業員も含めたみんなの夢にもなっていた。生み出された素晴らしい商品を使うのは、他でもない消費者であり、従業員たち。だからこそAppleの新製品の発売には、多くの人が熱狂する。
先程のリクルートの例においても同様だ。「街の人たちの生活をよりよくしたい」というロマンは、そこで働く人たちがシェアできる。だから、感情移入できるのだと思う。
「相手とシェアできるロマン」と言うと、壮大なもののように感じるけれど、そんな大それたものでなくても良いと思うのだ。大きさよりも、お互いに共有できることの方がよっぽど大切に感じる。
たとえば僕が普段、仕事でやっているプロジェクトマネジメントの場面で考えてみる。それぞれのプロジェクトは色んなメンバーと協働しながら進めている。
プロジェクトを開始して最初に行うことが、プロジェクトの目的の設定だ。
そこでついついやってしまうのが、このプロジェクトの目的は、売上◯◯の KPI を達成すること!みたいな設定。目標が目的になっちゃってるってパターン。
会社で仕事をしていれば、日常的に目にする光景なのではなかろうか。この設定自体が間違っている訳ではない。けれど、もうちょっとメンバーが共感しやすそうな目的に置き換えることもできる。
■問い合わせフォームのUI改善プロジェクト
【ありがちな目的設定】
CVRを◯◯%向上させ、応募者数を増やす
【置き換え】
ユーザーのフォーム上での迷いをなくし、安心して問い合わせできるようにする
■会社の業務自動化のプロジェクト
【ありがちな目的設定】
業務自動化によって、工数を◯◯時間削減する
【置き換え】
従業員がより生産的な仕事に集中し、生き生きと働ける環境を作る
こんな感じだ。置き換えられた目的の方が解決のための発想が広がっていく感じがしないだろうか。
これまでの経験上、良い目的設定ができたプロジェクトでは、参加メンバーの力の入り具合やモチベーションが全然違う。熱狂が生まれることすらある。そして当然、成果も全然変わる。
どんな目的設定をすべきか。それは役割やメンバー構成、業種によっても変わる。正解はない。
大事なことは、この目的はメンバーや消費者などの関係者とシェアできるロマンになっているだろうか、と問い続けることなのだと思う。
自分のやっていることにロマンを見いだせること。そして、そのロマンを他人と共有できること。こんなに素敵なこともないんじゃないか。
綺麗事だけではやっていけないことも十分理解しているけれど、それでも素敵なロマンをシェアできる人でありたい。
そこから生まれる共感や熱狂は、自分も含め関わる人の財産になると思うから。
普段、自分が買わないようなものを買って、レビューします。