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『量をこなすこと』と『質を高めること』のバランス感

何かに上達したいときに、迷うときがある。

「量をこなすべきなのか」と「質を高めるべきなのか」と。

たとえば、noteの記事についてもそう。文章が短くてもいいから毎日更新するのか、それともじっくり時間をかけて推敲して記事を出すのか。

量を追求していたら質をあきらめるしかないこともあるし、質にばかりこだわっていても量をこなせない。あっちをあげれば、こっちが下がる。こいつらは、犬猿の仲なのか…。


最近、転職をして新しい職場にうつったのだが、そこでも量と質のバランスについて考える。

前職では小規模のチームでサービスのプロジェクトマネージャーをしていた。市場も伸びていたし、競合もたくさんうごめいていたので、とにかく業務のスピードが求められた。どんどん新しい機能を追加して、価値を作っていかないといけない。うかうかしてたら、やられてしまう。

早く、そして速く。

プロジェクトの企画内容にしても、100点満点なんて求められていない。60点でいいから手数を打って少しでもサービスを伸ばそう!失敗したら、修正すればいい。そんな感じで全力疾走。おかげでたくさんの場数を経験することができた。

しかし、新しい職場では事情が違っていて驚いた。こちらでは、スピードよりもむしろ質が求められてる気がするのだ。プロジェクトにかかわる人数も倍以上。予算規模も大きい。市場は成熟していて、競合がたくさんひしめいているわけではない。

そういう状況だと、スピード重視で失敗するリスクをとる必要がない。どちらかといえば、1つ1つの企画を丁寧に進めて確実に成果を出すことが求められる。60点じゃなくて、100点満点。時間の流れがまるで異なるのだ。

一度、かなり小さめ案件の企画を前職のノリでの壁打ちした、このように言われた。

「スタートはこれで大丈夫です。じゃあ、企画の前提の方針を資料化して、各所に共有をお願いします。」

おお…。この規模の案件でも、前提の合意形成からはじめないといけないのか…と少しショックをうけた。早く世の中に企画を打ち出しだしたくて、ウズウズする。

そんなことを思いながらつつ、丁寧に企画の細部まで固めていくことにした。企画に、こんなにじっくり時間をかけることなんてなかった。

しかし、そうしていると、新しい感覚があることに気づいた。企画を考えるときの解像度が上がってきているのだ。

あらゆる方向から内容を推敲して、誰でも理解できる形に落としこむ、ということを繰り返しているうちに、より深くじっくりと考えることができるようになってきた。これは、スピードを追求して量をこなしているだけでは、経験できなかったことかもしれない。

スキルを高める上でじっくりと腰を据えてアウトプットを磨く時期も大事なのかもな…と思うようになった。

量をこなすことと質を高めることは役割が違う

量と質。どちらも大事。

それはわかっている。しかし、その適切なバランスはあるのだろうか。そんなことを考えていて、ふと思いあったった。

量をこなすことと質を高めることは、役割が違うんじゃないかと。車輪の両輪のようなもので、両方をうまく回転させることで、上達の階段を上がっていくことができるんじゃなかろうか。

僕が思う両者の役割の違いは、行動の無意識化と意識化にあると思う。

量をこなす→行動を無意識化する
質を高める→行動を意識化する

行動の量をこなすことで、意識をしなくても物事をこなせるようになる。これは自分の過去の経験と照らし合わせても間違いなさそうだ。

自転車だって最初は乗る練習がいるけれど、毎日乗っていたら漕ぎ方とかをいちいち意識することはない。文章についても同様で、ただ書くだけであれば、ほとんど無意識的に筆を滑らせることができる。行動が完全に無意識化している証拠である。

無意識化している行動は、何も考えずスピード感をもって、処理することができる。これは量をこなすことの効能だと思う。

しかし、無意識化するまで量をこなすと、上達はストップしてしまう。無意識の世界で処理できてしまうからこそ、何かキッカケがなければそのまま時間が流れていってしまうのだ。

ここで質を高める作業が必要になってくる。つまり、行動の意識化である。

いつも無意識でおこなってきた行動に意識を向ける。じっと観察して、もっとこうしたほうがいいかもしれない、ああしたほうがいいかもしれないと試行錯誤を行う。いろいろな気づきがある。ここでの気付きの数が、伸びしろなのだと思う。

気付きをアウトプットに反映させることで、目の前にあるアウトプットをより高い次元に高めてくれる。

とはいえ、この作業には忍耐力がいる。ある意味、せっかく無意識化した行動を一部否定することになるからだ。スポーツでも、一度身につけたフォームを変えるのは、とても大変。身体に染み付いているからこそ、変えるのにも相当なパワーがいる。

しかも、変えている途上はアウトプットも不安定になる。いままでのやり方でそこそこ上手くいってるんだからいいじゃないか、と悪魔のささやきが聞こえてくる…。このような誘惑を振り切って、自己変革を起こしていかねばならない。

最初は、注意深く意識しなければ、新しいやり方を実行できないかもしれない。しかし、それもまた数をこなすことで無意識化していくことができる。この過程を繰り返しが上達の道であり、自分を進化させるということなのだと思う。

いま何か停滞しているなと感じたら、量と質のバランスを見直してみるのもいいかもしれない。



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