ノートでアイデアを発酵させる
アイデアというのは、気まぐれなやつだ。
歩いてたり、お風呂に入っているときに、突然頭の中に降りてくる。
あまりにも突然にやってくるものだから、それがアイデアであることに気づかないことすらある。
いざ頭の中にアイデアらしきものが現れたら、しっかりとそいつを捉えていかねばならない。そうしなければ、立ちどころに思考の波に流されて、忘却の彼方に霧散してしまう。
意識的にアイデアを生み出すコツはないものだろうか。そんなときに役に立つ道具のひとつにノートがある。
アイデアの生み出し方というものは千差万別あるが、僕はノート使ってアイデアを作っていくのが好きである。それも紙のノートがいい。
紙のノートのいいところは、その自由度。
紙の上で、縦横無尽にページ に筆を遊ばせることができる。図や絵を書くことも難なくできる。
スマホやPCのメモ帳ももちろん使う。電車の乗っているときや歩いているときにノートを取り出すようなことはしない。手に持っているスマホのメモ帳に書きこめば、済む。
しかしながら、スマホのメモ帳は、あまりにもきれいにリスト型に整頓されているから、書き込んでいると無性に情報を整理したくなるのだ。
以前、仕事でチームメンバーとアイデア出しの会議をしていたときのことだ。否定は禁止。みんなで1つのテーマにたいして意見を出し合う。いわゆるブレインストーミングをやっていた。
オンラインで開催。画面越しにアイデアを出し合ってみたのだが、びっくりするほどうまくいかなかった。
はい!では、みなさんアイデアを出してくださいと言って、アイデア出しタイムをはじめたところ…
A、B、C、Dとアイデアが出てきたところで、AとCは同じことを言っていないか?とメンバーが言い始める。いや、微妙にニュアンスが違う、と別のメンバーが言う。DはAの上位概念だ!
…
アイデアは全然出てこず、情報の整理合戦になってしまった。
ファシリテーターとしては、大失敗。こうなってしまった大きな理由は、Googleドキュメントに話したアイデアを箇条書きしていたことだと思っている。
ドキュメントにリスト型で箇条書きにアイデアが並んでいると、なんだかモレなく、ダブりなく書かれていないと気持ちが悪くなってしまうのだ。
おそらくリスト型の情報は誰かが「読むもの」としての趣が強いのだと思う。読んだときに混乱を招かないように、綺麗にしておかないとという気持ちが自然と働くのではなかろうか。
ホワイトボードと付箋を使った会議ではこういうことはあまり起こらない。各々の頭のなかの思いつきがたくさん出てくる。漏れたり、ダブったりしまくりである。
アイデアを一気に出したいときは、ある程度自由に書き込める面が必要なのだろう。最近は、オンラインでもホワイトボードみたいに付箋を貼ったりできるmiroなどのツールがあるので、そういうものを活用してみている。
話が大きく脱線してしまったが、ノートにも同じことが言える。
アイデアを生み出すという場合は、箇条書きのスマホのメモ帳よりも、自由書きこめる紙のノートは使い勝手がいい。
ノートに書いて発酵させる
湧き上がった着想、本で気になった箇所、人と話していて面白かった話、モヤモヤすること…。ノートに書いておく。
しばらく放っておいて、読み返してみると、バラバラにノートに書きこんでおいたことが結びついて、新たなアイデアになったりする。ノートが、アイデアを発酵させる貯蔵庫みたいなものになるのだ。
外山滋比古氏の『思考の生理学』という本で、発酵の概念が紹介されている。
新しいことを考えるのに、すべて自分の頭から絞り出せると思ってはならない。すでに存在するものを結びつけることによって、新しいものが生まれる。
大事なことは、いま頭のなかにあるものの結びつきが起こるまで「待つ」ことである。寝かせておいて、熟成するのを待つ。
この熟成を頭の中だけでなく、ノートの中でもしたい。
しかし、残念なことに、普通にノートに書いても活躍する機会は少ない。数%でも日の目をみればいいほうではないか。
理由は…あとからノートを読み返さないから。
おいおい…。と感じるかもなのだけど、かなり意識的に読み返すようにしないと、ノートに書きこんだことに満足して終わりになってしまう。少なくとも僕は。
せっかくアイデアの種を書いておいたのに、読み返さないと、それを活かせる機会がなくてもったいないことになる。
なんとか、自然に読みかえす方法はないものか、と考えた。
そして行き着いたのが、
ランダムに開かれたページに書き込む
という方法。通常は前のページから後のページへと順番に書き込むところであるが、これでは前のページを読み返さなくなる。
だから、毎回、何かを書き込むときに、適当に開いてみたページに書いていく。
そうすると、使えば使うほど、開かれたページにすでに何か書き込まれている場面が多くなる。そこで、前に書き込んだことを自然に読み返すことができるのだ。
新しく書き込もうとしていることと、前に書き込んだことには、まったく関連性はない。でも、それがいい。そこから思いもよらない結びつきが生まれることがあるからだ。
アーティストの鈴木康広氏は、300冊のノートを同時に使用しているらしい。かなり衝撃的なノートの使い方である。
鈴木氏がどういう意図でこういうノートの使い方をしているのかは分からないが、思いもよらないアイデアの結びつきを生むためには、もってこいの方法かもしれない。
さすがに300冊同時とまではいかないが、数冊のノートに同時に書いていく方法は、いまのところいい感じだ。
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数冊のノートを同時に利用するとなるということは、同じノートを長く使用するということでもある。それなりに自分のテンションを高めてくれるノートが望ましい。
「アピカ」が個人的ベストオブノート
僕は、このアピカのノートを数年来、愛用している。
モレスキンをはじめ、いろいろなノートを試してみたが、自分にはこのアピカのノートがしっくりときた。
なんと言っても表紙がかっこいい。筆記体で何やら書かれている。意味は知らないけど、きっといいことが書かれているはず…。
ほどよい厚みからくる重厚感もプラスに働いている。どうしてもノートというものは、年月による劣化が著しいものであるが、このノートはなかなか頑丈で、しっかりとしている。書籍のように分厚いので、家に置いておいても映える。
また、書き心地もすべるようになめらか。びっくりするほど、サラサラとペンを走らせることができるのだ。タイピングに慣れていると、文字を書くことにうんざりするものだが、それがない。むしろちょっと楽しくなるくらいである。
などなど。絶賛してしまったが、何もかもが「ほどほど」というところがいい。
値段も800円程度で高すぎず、重厚すぎることもない。ほどほど。書き手に妙なプレッシャーを与えず、かつちょっとテンションをあげてくれる要素もつまっていて、いいバランス感なのだ。
このノートを数冊同時に使用して、今日も未来のアイデアのための書き込みに勤しんでいる。
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おかしょう(Twitter/Instagram)
普段、自分が買わないようなものを買って、レビューします。