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映画えんとつ町のプペルは何故生まれたのか?

おはようございます。アルキメデス岡本です。

さて、今回は「夢を語れば笑われる、その世界を終わらせにきた」というキャッチフレーズで炎上中の、「映画えんとつ町のプペル」は何故生まれたのか?

その真相に迫っていきたいと思います。

■仮説

それはズバリ、作者である西野亮廣の<認知の歪み>にあると考えています。

■認知の歪みとは

それでは早速、その分析を進めていきたいと思います。

認知の歪みとは、誇張的で非合理的な思考パターンである。これらは精神病理状態(とりわけ抑うつや不安)を永続化させうるとされている。

この概念は精神科医アーロン・ベックが基礎を築き、彼の弟子のデビッド・D・バーンズがその研究を引き継いだ。最も有名なのはバーンズが1989年に著した『フィーリングGoodハンドブック』であり、これらの認知パターンを学び、かつ除去する方法を記している。

こういった思考パターンは、その個人に現実を不正確に認識させ、ネガティブな思考や感情を再強化させうるとされている。バーンズは、気分や感情は事実ではなく、逆に「歪んだ考え方がマイナスの気分を生み出す」と述べている。

■歪みの種類

バーンズは以下のパターンを挙げている。

・スプリッティング(全か無かの思考 )
・行き過ぎた一般化 
・心のフィルター 
・マイナス思考 
・論理の飛躍 
・拡大解釈、過小解釈 
・感情の理由づけ 
・~すべき思考 
・レッテル貼り 

■スプリッティング(全か無かの思考) 

スプリッティングともされ、グレーがなく、物事の全てを白か黒かで認識するという、誤った二分法を用いること。オール・オア・ナッシング(all-or-nothing)であり、少しでもミスがあれば完全な失敗だと考える。

とりわけスプリッティングは境界性パーソナリティ障害や自己愛性パーソナリティ障害の人らに一般的である。

例:西野のオンラインサロンは白(信者)か黒(アンチ)をハッキリと別けるシステムである。

■行き過ぎた一般化


行き過ぎた一般化(Overgeneralization)とは、経験や根拠が不十分なまま早まった一般化を下すこと。 ひとつの事例や、単一の証拠を元に、非常に幅広く一般化した結論を下すことである。たった一回の問題発生だけで、その問題は何度も繰り返すと結論付けてしまう。

例:「夢を語れば笑われた」→「夢を語れば叩かれる社会」

■心のフィルター 


選択的抽象化(selective abstraction)ともされ、物事全体のうち、悪い部分のほうへ目が行ってしまい、良い部分が除外されてしまうこと。

例:「自分の夢は笑われる。この社会は敵(アンチ)に満ちている」

■マイナス化思考

マイナス化思考(Disqualifying the positive)では、上手くいったら「これはまぐれだ」と思い、上手くいかなかったら「やっぱりそうなんだ」と考える。良い事があったことを無視してしまうばかりか、それを悪い方にすり替えてしまう。

バーンズによれば、認知障害の中でも最もたちが悪いという。

■論理の飛躍 

「心の読みすぎ」と「先読みの誤り」の二種類が存在する。

心の読みすぎ(Mind reading)とは、他人の行動や非言語的コミュニケーションから、ネガティブな可能性を推測すること。当人に尋ねることなく、論理的に起こりうる最悪のケースを推測し、その予防措置を取ったりする。
先読みの誤り(Fortune-telling)とは、物事が悪い結果をもたらすと推測すること。悲劇的な結論に一足先にジャンプしてしまう。

:「夢を語れば笑われた」→「夢を語れば叩かれる社会」

■拡大解釈、過小解釈


「針小棒大に言う」ともされる。失敗、弱み、脅威について、実際よりも過大に受け取ったり、一方で成功、強み、チャンスについて実際よりも過小に考えている。

■感情の理由づけ


感情の理由づけ(Emotional reasoning)とは、単なる感情のみを根拠として、自分の考えが正しいと結論を下すこと。ネガティブな感情は、物事の真実を覆い隠し、人間に、その感情にリンクした考えのほうを現実らしく経験させる。感情によって作り出された「認知」が、正しいかどうか常に検証することにより、この「心の監獄」から抜け出すことができる。

例:「自分の夢は笑われる。この社会は敵(アンチ)に満ちている」

■~すべき思考 

他人に対し、その人が直面しているケース(状況・状態)に関係なく、彼らは道徳的に「すべきである」「しなければならない」と期待すること。

これを、アルバート・エリスは"must"に掛けて"musturbation"と命名し、デビッド・D・バーンズは、「should構文(should statements)」と、心理療法家Michael C. Grahamは「世界を現実と違った形に期待している」と呼んだ。

例:「全員を勝たせる」「ディズニー倒す」「夢を叶える為には小学校から『お金』の話は絶対にするべき」

■レッテル貼り

行き過ぎた一般化のより深刻なケースである。偶発性・外因性の出来事であるのに、それを誰かの人物像やこれまでの行動に帰属させて、ネガティブなレッテルを張ることである。間違った認知により誤った人物像を創作してしまうことであり、これは自分、他人を問わない。

このようなことになるのは、レッテル貼りというのは、ある事象を言語で記述する際に、人の行動を評価する強力な説明能力を持っているからである。

単に「失敗した」ではなく、「自分は全くダメな人間だ」や、「あいつはろくでなしだ」と考える。

例:アンチ、ドリームキラー、ゴミ人間

というように、誇張および最小化は、ナルシストが自己の精神的痛みを管理し防御するのに用いる方法として一般的である。

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■夢を語れば笑われるは本当か?

そこで、作品のコンセプトでもある西野が言っていた「夢を語れば笑われる」というのは本当なのか?という疑問が湧き上がる。

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実際、番組内でディズニーを倒すという発言をし笑われたようだが、それを拡大解釈して「夢を語れば笑われた」「夢を語れば叩かれる社会」という決めつけを行い、それを否定する者は「アンチ」「ドリームキラー」とレッテル貼りを行ったのが事の真相だろう。

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そもそも、大リーグで二刀流で挑戦中の大谷選手や、スペインで活躍中の久保選手が夢を語ってもだれも笑わないだろう。

芸人の世界でも、北野武や松本人志、木梨憲武などが、お笑い以外の分野で才能を発揮し夢を実現している。

なので、このコンセプト自体が西野の認知の歪みによって生まれたものであると言えるだろう。同時に、この映画は西野の屈折した感情と自己愛的防衛から生み出されとも言えるだろう。

つまり、「夢を語れば笑われる、その世界を終わらせにきた」というこの映画のコンセプトそのものが、誇大妄想的であり破綻しているのである。

■映画えんとつ町のプペルとは自己愛的防衛

自己愛的防衛とは、自らの理想的な側面を保護し、その側面の限界を否認するプロセスである。そうした人々は、硬直的で融通が利かない傾向がある。彼らは意識的・無意識的にかかわらず、しばしば罪と恥の感情に駆られる。
自己愛的防衛は生起する最も早期の防衛機制であり、それは否認、歪曲、投影を含んでいる。

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ナルシストに広く見られる、人や状況を全て、良いか悪いか白か黒かの観点から見てしまう分裂(スプリッティング)は、また異なる防衛機制である。ナルシストに典型的な、自身を過度に評価する自己愛的防衛は、発達のいかなる段階の前にも生じうる。

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ナルシストは、自尊心を保護するために自己の正しさを安定させようと試みる時もスプリッティングをよく用いる。それは自分の意思や地位に従わない人物を完全に卑劣で軽蔑されるべき人間だとみなし、自分自身は全く正直で賞賛に値すると考えることによって成される。

スプリッティングという認知の形式はまた、他の関連する防衛機制である理想化と脱価値化の使用を意味しており、これは自己愛的怒りに対する予防的態度・行動である。

境界性パーソナリティ障害におけるスプリッティングは、「良い自己」と「悪い自己」とに分裂して存在しており、それが絶えず「良い対象」と「悪い対象」とに分ける防衛機制として動員されている。

対して自己愛性パーソナリティ障害におけるスプリッティングは、基底の人格構造が誇大的自己と無能的自己とに分裂して恒常的に存在しているという点において、その性質を異にする。これらは境界性パーソナリティ障害ほど劇的ではないものの、理想化されるべきものと軽蔑されるべきものとして対人関係に表現される。

ナルシストは自己の痛みを伴う感情を排するために、一般的に以下の一連の防衛を実行する。

・無意識的抑圧
・意識的否認
・歪曲 (誇張や最小化を含む) と虚言
・投影 (誰か他者を非難する)
・自らの歪んだ考えを支持してくれるであろう、共依存的な友人の助けを一人か二人以上呼ぶ

ジークムント・フロイトは、『ナルシシズム論』において言及している。

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■まとめ

「映画えんとつ町のプペル」は西野亮廣の<認知の歪み>から生まれた 。

・認知の歪みにはいくつかのパターンがあり、そのパターンに西野の言動が当てはまった。

・中でも、スプリッティング、全か無か思考(all-or-nothing thinking)とも呼ばれる善悪の分裂が強化されている。

「夢を語れば笑われた」「夢を語れば叩かれる社会」という決めつけと拡大解釈を行い、それを否定する者は「アンチ」「ドリームキラー」とレッテル貼りを行った。

・認知の歪みは、ナルシストが自己の精神的痛みを管理し防御するのに用いる方法として一般的であり、自己愛的防衛から生み出されとも言われている。

自らの歪んだ誇大妄想を支持してくれるであろう、共依存的な仲間をオンラインサロンの中で増やしていき、同時に<西野信者>を生み出した。

つまり、映画えんとつ町のプペルとは

西野亮廣の認知の歪み

善悪の分裂

ナルシスト

自己愛的防衛

西野信者

によって生み出され<誇大妄想>である。


まあ、良くも悪くも、傷の舐め合いですな(笑

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■最後に

既成社会の問題点を指摘し、人々のためにその変革を試みる人物は多くの場合、既成社会から最初は「異端」と見なされることになる。

例えば、 ブッダは、当時のインドの既存宗教勢力から異端視された。イエス・キリストはローマ支配下のユダヤの律法主義者から異端視された。ヨーロッパ中世で一旦腐敗したキリスト教会の問題点を指摘したプロテスタントの人々も当初は異端視・迫害され、米国などへ逃れる必要も生まれた。

たとえ「異端」と見なされ排斥されても、それでも、より良い宗教を求める人々によって、既成宗教の問題点が改善されてきたという歴史的事実があるが、西野が生み出した「映画えんとつ町のプペルとオンラインサロンシステム」は、自らの問題点にぶち当たりその問題点を改善出来ず、既存社会との統合が上手くいっていない。

認知の歪みからくる統合失調症は、幻覚や妄想という症状が特徴的な精神疾患です。 

それに伴って、人々と交流しながら家庭や社会で生活を営む機能が障害を受け(生活の障害)、「感覚・思考・行動が病気のために歪んでいる」ことを自分で振り返って考えることが難しくなりやすい(病識の障害)、という特徴を併せもっています。

その結果、信者とアンチの分断が先鋭化してしまい、世間からは「カルト、マルチ、炎上」と言った<異端狩り>にあい続けているのである。(笑

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ほなまたお会いしましょう。バイバイ~♪

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