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平和ボケ お花畑を論破するリアリストの思考法

おはようございます。アルキメデス岡本です。

さて、絶賛炎上中の映画えんとつ町のプペルは、公開1ヶ月が経過しました。興行収入は15億円程度とまずまずの位置をキープしているようです。

個人的には30億円ぐらいはいくかなと思っていたんですが、伸び悩んでいるようですね。

果たして、西野亮廣の信者ビジネスは今後、どのような展開を向かえるのでしょうか?

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今回は、西野信者、トランプ信者、オウム信者など熱狂的なファンを抱えている「信者ビジネス」または「情弱ビジネス」について考えたいと思います。

■情弱ビジネス信者ビジネスの行方

「情弱ビジネス」情報弱者を相手にビジネスをすることをそう指すようです。でも、よくよく考えてみると、教科書や専門書、塾やセミナーなどの商品・サービスは、すべからず情弱ビジネスです。士業、代行業やコンサルも情弱ビジネスにあたるでしょう。

専門外のことに関しては誰だって情弱ですし、その情報差を埋めるために消費者がお金を払うことはおかしなことではありません。売り手と買い手との相対的な情報差を埋めるビジネスは、昔からありますし、今後もなくなることはないでしょう。こんなこと誰だって気づきそうなものです。もしかしたら、「情弱ビジネス」と揶揄する人たちは、相対的な情報差の意味ではなく、絶対的な情報差の意味で使っているのかもしれません。

絶対的情弱とは、「情報にアクセスができない、または下手、そして、情報の真偽を確かめる能力・道具を持っていない」です。これなら、「情弱ビジネス」と揶揄するのも分からなくはありません。ネットに疎いお年寄りに高値で何かを売りつけるのは、確かに「情弱ビジネス」と言えるでしょう。ただ、「情弱」と揶揄されている人たちが、必ずしもお年寄りというわけではありません。

たとえば、オンラインサロンへ入会する人たちも「情弱」と揶揄されることがあります。しかし、サロンに入会する人たちは、20~40代とネットに慣れ親しんできた世代です。この世代は、似たような情報がネット上に溢れていることぐらい知っているでしょうし、検索する能力や精査する能力も備わっています。そんな彼ら彼女らを「情報弱者」と見るのは、違うと思うのです。

私が思うに、情報が溢れ過ぎているため、信用できる人から情報を得たいと考えていると思います。実際、私の情報収集元もその人物が信用出来るか、論理的思考で論理破綻していないかをチェックしています。

つまり、確かな情報に触れるために、情報を取捨選択するのではなく、人を取捨選択したのです。サロンを見てみても、情報というよりは運営者に人が集まっている印象です。「この人は信用できる。だから、この人の情報も信用できる」なのです。傍目から見たら、教祖と信者の関係に見えるかも知れません。

そう言えば、サロンビジネスは「信者ビジネス」と揶揄されることもありますよね。「情弱ビジネス」よりも的を射ていると思います。ただ、私から見て「信者ビジネス」は、本来、揶揄ではなく、称賛や褒め言葉だと思っています。

そもそも人は、強い共感と信用がないと信者にはなりません。信者が多いということは、大勢から共感と信用を勝ち得たということです。ビジネスは信者(ファン)を多く作れるほど成長・安定します。そういう意味では、信者ビジネスができること自体、ビジネスとして称賛すべきことではないでしょうか。

だからこそと言うべきか、消費者側も「情報を見極める目」から「人を見極める目」が必要になります。ある意味、情報を見極めるよりも大変です。「情弱ビジネス」「信者ビジネス」と揶揄するのは構いませんが、なぜそうなっているのか、と一考してみることも大切です。浅はかな批判は、思考停止と同じです。それでは世の中の変化に気づけません。もしかしたら、「情弱ビジネス」と揶揄する人は「思考弱者」なのかも知れませんね。

■信者ビジネスの限界

私は西野エンタメ研究所にも入会していましたので、西野亮廣や信者ビジネスがどういうものかは既に把握しています。

彼がオンラインサロンで提供していたのは情報でなく物語(ストーリー)とBBQエンタメだ。

しかし、ここ最近の西野亮廣にはあまり魅力を感じなくなってしまった。

その内容は、映画えんとつ町のプペルの製作過程やマーケティング戦略など多岐に渡りますが、その集大成である今回の映画えんとつ町のプペルの内容、そしてマーケティング戦略など、彼の最大の商品である物語(ストーリー)にリアリズムがなかったからです。ハッキリ言うとつまらなかった。

それと、マーケティング戦略も相変わらず炎上商法の域を出ていない。いわば邪道な戦略で、大仁田厚が長州力を超えられなかった時と同じカリスマ性の限界を感じたからです。

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■大仁田厚の魅力

大仁田厚とは、人によって好き嫌いがはっきりと分かれるタイプのプロレスラーで、ドラマに出演し巧みな演技を見せる等、一般的な知名度は比較的高く、かつては“大仁田信者”と呼ばれる熱狂的な支持者も多かった。

私もその1人で、当時放送中の新日本プロレスの大仁田劇場を毎回欠かさず観ていた。

特にFMWを興して以降は、それが奇跡のカムバックと捉えられただけでなく、「大好き」とまで公言したプロレスに対して身を投げ打つかのような姿勢が強く支持された。

大仁田劇場は、西野のオンラインサロンBBQエンタメの原型である。

「テレビ番組が無ければプロレス団体運営は出来ない」と言われていた時代に、奇抜なデスマッチやパフォーマンス、様々なテレビ番組への出演により、プロレスに興味の無かった若年ファンの裾野を広げFMWの経営を軌道に乗せたことを評価すべきだという意見が存在する。FMWが対立概念となり、伝統ある他団体の観客動員増にもつながり、業界全体への功績は大きかったとの評価もある。

逆に否定的な評価・意見としては、FMWが成功したために、後にインディープロレス団体が乱立する遠因となったとするものがある。さらに、FMWでの活動は流血やパフォーマンスが派手でデスマッチ中心であったために「邪道」と呼ばれ、キワモノとする意見も存在した。

新日本参戦後はストリートファイトを強調すべく、「邪道」と背中に大きく書かれた黒の皮ジャンと「EVIL WAYS」と記されたジーンズがトレードマークとなった。入場時は、場内禁煙の会場でも煙草を燻らすパフォーマンスで観客の意表を突いた。

これには新日本側も一度は遺憾の意を示したが、大仁田は「俺は東京ドームで煙草が吸いたい」と頑として譲らず、後の東京ドーム大会の入場時は、吸殻がいつ捨てられても対応するため、大きな鉄板の灰皿を持ったスタッフが花道の下で大仁田の動きに合わせて歩く、光景も見られた。「邪道」の黒皮ジャンは、2006年4月1日の靖国神社プロレス大会で、一回盗難に遭っている。

■そして、邪道終焉、、、

2000年7月30日、横浜アリーナ。長州は大仁田の対戦要求に応え、2年7カ月ぶりにリングに立った。なぜ大仁田は、現役のトップ選手ではなく、いったん引退していた長州を指名したのか?

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大仁田は当時をこう振り返る。「長州はずっと、俺たちインディー団体をバカにしていた。『自分たちには歴史があり、選ばれた者しかリングに上がれない』と。俺は、『プロレスは好きな人間がリングに上がればいい』と思っていたから、価値観がまったく違った。

それに、『長州がカムバックしてくれれば、俺の価値も上がるだろう』という計算もあったよ。新日本の内部でゴタゴタがあって、試合が決まるまで、紆余曲折してね」

実現不可能と思われた2人の試合は大反響を呼び、チケットは即、完売。ファン待望の一戦は、長州がパワーで圧倒する一方的な展開になった。

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「長州が挑戦を受けた時点で、『俺の勝ちだ』と思ったね。戦ってみるとね、長州はプロレスラーとして、つまんねぇヤツだったよ。『ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ』で(長州を)投げたのに、あいつは一度も当たりに行かなかった。

試合後、救急車で病院へ向かいながら『長州は外見と違ってチキンな男だな』と思った。曙や高山(善廣)は、度胸を決めて正面から当たったりしたのに。俺が唯一、電流爆破をやったなかで、認めないのは長州だけだよ」

有刺鉄線に触れると爆発を起こす「ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ」。長州の復帰戦にふさわしい、華々しい舞台を、大仁田が用意した。長州は被弾ゼロ、無傷でカムバックを果たした。大仁田は5回被弾し、長州のスコーピオンデスロックによりレフェリーストップのTKO負け。ギブアップはしなかった。

「強くなければいけない長州と、『俺は弱い』と開き直っている男との戦いだから、はっきり言って戦う前から勝負は見えていた。プロレスは強さの表現ではなく、『いかに魅せるか』だから。

俺のファイトマネーは1000万円。長州も潤ったんじゃない? 長州はプライドを捨てて、電流爆破のリングに上がって、大金を手にした。そして、『まだ自分にはそれだけの価値がある』と思ったんだろうね。

■信者ビジネスは打ち上げ花火

つまり、BBQエンタメと言われる西野劇場は、「ディズニーを倒せるかもしれない」という、打ち上げ花火のように一瞬だけ夢を見せてくれたが、大仁田が長州にパワーで圧倒されたように、パワー不足でその夢は幻に終わった。

大仁田の信者ビジネスや西野の信者ビジネスも所詮は同じだ。

「邪道」と「宗教」、言葉は違えど、「面白いネタをマッチメイクして、お客さんを楽しませる興行だ。」それはいわば、信者の期待を超えるカリスマ性と、劇場型のエンターテインメントを演出して魅せる打ち上げ花火だ。

だが、西野の映画えんとつ町のプペルは期待値を超えて来なかった。。。

「映画を観終わった時点で『俺の勝ちだ』と思ったね。見終わってみるとね、西野はエンターテイナーとして、つまんねぇヤツだったと思ったよ。『えんとつ町電流爆破デスマッチ』を観に行ったのに、あいつは一度も当たりに行かなかった。

「夢の国でなければいけないディズニーと、『俺は詐欺師』と開き直っている男との戦いだから、はっきり言って戦う前から勝負は見えていた。映画は話術の表現ではなく、『いかに魅せるか』だから。

結局、最大の敵であるディズニーを倒す事どころか魅せる事も出来ず、信者vsアンチという泥仕合を繰り広げている。

なんとも貧相なエンタメだろうか。。。


散々、炎上させて期待を超えてこない。。。

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■平和ボケ お花畑を論破するリアリストの思考法

だいぶ、話が脱線したが、日本に迫りくる脅威を全く報道しない既存のマスメディアに騙されている、いわゆる「平和ボケ、お花畑、情弱」な人たちはまだまだたくさんいます。

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そして、カリスマの力不足に目を向けず盲目的に信じ込む、いわゆる「平和ボケ、お花畑、信者」な人たちもまだまだたくさんいます。

彼らに今必要なのは、、、

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オイ!西野!聞いてるか!?


お前には、、、お前には、、、


電流爆破じゃあ!!!

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ほなまたお会いしましょう。バイバイ~♪

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