第334話 深読み『千と千尋の神隠し』vol.33「銀河鉄道の夜⑯斧琴菊」
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2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
「法輪」は1つ?
どう見ても同じものが2つありますよね?
『受胎告知』フラ・アンジェリコ
うん。やっぱり同じものが2つ。
双子の法輪じゃん。
なぜ見た目が似てるからって、それが同じものだと言えるの?
双子はコピーじゃないでしょ?
え?
確かに双子の見た目はよく似ている。
一卵性双生児だと、親でも間違ってしまうほどに。
だけど中身は別物、それぞれは別の存在よ…
そりゃそうだけど…
それに、ジョバンニとカムパネルラは、同じ場所で降りてないよね?
ほんのわずかな差だけど、別々のところで降りたんだ。
別々の神様のところで。
別々の神様?
銀河鉄道の乗客は、それぞれの信じる神様のところで降りる。
まさか、もう1つのほうは…
そう。賢治はあれを「菊」に見立てた。
菊?
「菊」の花紋は、鳥居と同様に、神社のシンボルだ。
あっ!深代ママ、見てください!
確かにあれは「法輪」にも見えますし、神社によくある「菊花紋」にも見えます!
ホントだ!
見た目がよく似たシンボルをもつ仏教と神道…
日本では古くから神仏習合によって混じり合い、人々はこの両者を特に区別することなく信仰してきた…
しかし、当然のことながら、両者は別物じゃ。
その2つのシンボルが、なぜかキリスト教の創造神と並んでいるように見える…
つまり宮沢賢治は、フラ・アンジェリコの『受胎告知』を見て、こう感じたわけだ…
銀河の彼方、天上世界に、「God」と「法輪」と「菊花紋」が並んでいる…
日本では双子のような存在だった「仏教」と「神道」が、まったく接点のないはずの「キリスト教」と共存しているとね…
確かにそう考えると不思議だ…
それぞれの神様の下に柱があるのも賢治にはツボったかもしれん。
神様は、一柱、二柱、三柱、と数えるからのう。
でも、これだとカムパネルラが神道を信仰していたってことになるわよね?
そうだよ。
カムパネルラはジョバンニとは別の場所で降りた。
きれいな野原に、お母さんが見えたから。
「ああきっと行くよ。ああ、あすこの野原はなんてきれいだろう。みんな集ってるねえ。あすこがほんとうの天上なんだ。あっあすこにいるのぼくのお母さんだよ。」カムパネルラは俄(にわか)に窓の遠くに見えるきれいな野原を指して叫びました。
なんてこった…
「天上の野原」って「高天原(たかまがはら)」のことじゃないですか…
だからカムパネルラは、天上の野原に「お母さん」が見えたと言ったの。
神道における最高神は、高天原に住む女性神のアマテラス(天照大神)だから…
『岩戸神樂之起顯』春斎年昌
なるほど…
なぜあそこに「お母さん」がいたのか謎過ぎたけど、そういうことだったのか…
だけどジョバンニには「きれいな野原」も「お母さん」もよく見えなかった。
ただ「あるもの」だけが見えたんだ…
ジョバンニもそっちを見ましたけれどもそこはぼんやり白くけむっているばかりどうしてもカムパネルラが云ったように思われませんでした。何とも云えずさびしい気がしてぼんやりそっちを見ていましたら向うの河岸に二本の電信ばしらが丁度両方から腕を組んだように赤い腕木をつらねて立っていました。
両方から腕を組んだように赤い腕木を連ねて立つ、二本の電信柱…
「鳥居」ですね…
カムパネルラは「神道」を信じていた…
そういえばカムパネルラ…
この直前のシーンで、挙動不審だったわ…
挙動不審?
ほら、ここ。ちょっと変じゃない?
カムパネルラは「石炭袋」が見えて来た時、避けるように指を差すの。
「あ、あすこ石炭袋だよ。そらの孔(あな)だよ。」カムパネルラが少しそっちを避けるようにしながら天の川のひととこを指しました。ジョバンニはそっちを見てまるでぎくっとしてしまいました。天の川の一とこに大きなまっくらな孔がどほんとあいているのです。その底がどれほど深いかその奥に何があるかいくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えずただ眼がしんしんと痛むのでした。
ホントだ…
避けるように指をさすってことは、そっちは見たくないってこと…
ちなみに「石炭袋」とは「暗黒星雲」のことじゃな。
高密度のガスや塵が集まっている領域で、強い重力によって周囲の光を吸収してしまうため、黒く見える。
なんかブラックホールみたい。
かたやジョバンニは「石炭袋」を見てドキッとした…
だけど勇気を出して暗闇の中を凝視し、その奥に何があるのか確かめようとしたの…
そしてカムパネルラに向かって、こう宣言する…
「僕もうあんな大きな暗やみの中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」
ジョバンニは、あの「石炭袋」の中に「みんなの本当の幸い」があると考え、カムパネルラに「一緒に行こう」と誘った…
しかしカムパネルラは生返事をし、このあとすぐに「天上の野原」で降りてしまう…
つまり、ジョバンニが抱く「石炭袋」への情熱に対し、カムパネルラは無関心だった…
その通り。両者の「石炭袋」に対する、この極端なまでの差がポイントだ。
あの「石炭袋」はジョバンニにとって、つまり宮沢賢治にとって「本当の幸い」があるところ…
賢治にとっての「神様」がいるところなんだね。
お釈迦様のいるところってこと?
そう。創造神ブラフマンと一体化した釈迦のいるところ。
「石炭袋」とは「涅槃」のことだ。
涅槃? ニルヴァーナのことですか?
「涅槃」とは、サンスクリット語の「nirvāṇa(ニルヴァーナ)」を音訳したもの…
本来の意味は「滅する・消える」で、仏教的には「煩悩を滅し尽くした状態」、つまり、悟りを得て輪廻から脱し、創造神・宇宙と一体化する「解脱」を指す…
ちなみに「涅槃」の「涅」という字の意味を知っとるけ?
「涅」の意味?
「さんずい」だから水に関係することでしょ?
そして「日」の下に「土」だから…
太陽の下の川底の土?
なんだか『千と千尋の神隠し』の川のシーンっぽい…
フラ・アンジェリコの『受胎告知』のようにも…
あの琥珀色の光線は、太陽から流れる川の川底の土のようにも見えますから…
あっ!
川の中の千尋のすぐ下に「草」が見えたのは…
もしかして「この場所」を通過する時の記憶なんじゃない?
ふぉっふぉっふぉ。妄想が膨らむのう…
しかし「涅槃」の「涅」とは「光」ではなく「闇」…
「黒く染まった場所・川底のドス黒い泥」という意味なのじゃ。
川底のドス黒い土?
それを賢治は、天の川銀河の川底「石炭袋」で表現したってこと?
それを宮崎駿は『千と千尋の神隠し』でこう再現した…
川の神ハクの「川底」に沈んでいた「どす黒い泥」として…
そしてあの「ドス黒い泥」は、主が彼を操るために吹き入れたサタンでもある。
「麒麟がくる」と「ラッコの上着がくる」は似ている。
そんなのどうでもいいです…
「涅」の意味はわかりました。では「涅槃」の「槃」とは?
「槃」とは「たのしむ」という意味。
煩悩を消し、己を滅し、究極の安楽に達するということね。
なるほど…
しかしなぜ「槃」の中には「舟」や「木」が入ってるのでしょう?
「槃」には「盤」とか「たらい」という意味もあるのよ。
盤?
盤と言えば、時計屋にあった「星座盤」だ…
そして「たらい」といえば…
リンの「たらい舟」…
そして「ジョバンニ」とは…
イタリア語の「ヨハネ」であると同時に…
「如槃涅」でもある…
ジョバンニは如槃涅? またヤンキー語?
「涅槃の如し」を逆さにしたものだよ。
だから賢治は『ヨハネ伝福音書』を再現しながら、同時に「涅槃に至る釈迦の物語」も再現してみせたんだ。
名前の漢字を逆さまにする?
何なの、そのトリック。わけわかんない…
そして、宮崎駿監督が宮沢賢治の影を追いかけていた理由も、ここにある…
賢治がフラ・アンジェリコの『受胎告知』の中に「キリスト教・仏教・神道」の共存を見たから…
『銀河鉄道の夜』という物語が、それを描こうとしたものだと気付いていたからなんだ…
宮崎駿が宮沢賢治にシンパシーを感じていたのは何となくわかるわ…
だけど、やっぱり腑に落ちない…
何が?
なぜ賢治はフラ・アンジェリコ『受胎告知』の天井に彫られた「3つの紋様」を見て「法輪・西洋の神・菊」だなんて思いついたの?
いくら想像力豊かな人でも、そこまでの妄想はしないでしょ?
うーむ…
確かにこの3つのシンボルを見て「これは西洋の神と、法輪・菊だ!」なんて思いつく人は、そうとうヤバい人ですよね…
そうかな?
そんなに突拍子もない発想ではないと思うけど。
え?
おそらく賢治は、自分が持っていた「手拭い」からヒントを得た…
てぬぐい?
賢治の手拭いには…
こんな模様が描かれていたはずだ…
何だっけ、これ…
どこかで見た覚えが…
これは「斧琴菊(よきこときく)」ですよ!
「良きこと聞く」の駄洒落で、手拭いや浴衣の人気デザインです!
ああ、そうだったわ…
横溝正史の金田一耕助シリーズ『犬神家の一族』に出て来るトリック…
神社の神主 野々宮大弐は42歳の時、父のいない美少年 佐兵衛の養父となった…
大弐は佐兵衛を最も愛し、家宝「斧琴菊(よきこときく)」を託す…
そして大弐の妻 晴世は、処女であったにもかかわらず妊娠し、子を産んだ…
いろいろ意味深じゃのう…
そんなことはどうでもいいの!
なぜ賢治の手拭いの柄「斧琴菊」が「法輪・西洋の神・菊」のヒントになったのかという話でしょ?
「菊」はわかるのですが「法輪」と「西洋の神」は?
西洋の神は「God」…
つまり「よきゴッド聞く」…
ええっ!?
そんなのありえる?
洗濯科学のアリエール!
科学x自然で洗浄力の限界突破!
大事な話なんだから、ふざけないで!
別にオカシナ話じゃないわよね(笑)
「受胎告知」とは、まさに「良きこと聞く」だから。
確かにそうだ…
イエスの母マリヤは、神の「よい知らせ」を聴き、光り輝く白い鳩を受け入れた…
釈迦の母マーヤも、神の「よい知らせ」を聴き、光り輝く白い象を受け入れた…
というか、もうそうとしか思えない…
「琴」が「ゴッド」だとしても…
「斧」と「法輪」はどう結びつくのでしょう?
もしや賢治は「斧」から「チャクラム」を連想したのでは…
チャクラムって「法輪」のシンボルマークの基になったとされる武器のこと?
そうです…
「チャクラム」は古代インドのリング状の投擲武器…
煩悩を打ち砕く神の武器とされ、輪の周囲に108の刃がついているとされます…
『chaturbhujh roop of lord vishnu』
Ramanarayanadatta astri
いいアイデアだけど、惜しいかな。
その説だと「よきこときく」という音が生きていない。
じゃあ「こと」と「ゴッド」みたいに、また音の駄洒落ってこと?
その通り。
「よき」は「ヨギ」だね。
よぎ? 何それ?
「ヨガ」は知ってる?
そりゃ知ってるわよ。
毎日起きた時と寝る前にやってるもん。
「ヨガ(yoga)」というのは元々「輪廻からの解放」、つまり真理を悟り、宇宙と一体化して「解脱」を成し遂げるための修行だった。
釈迦は、当時、苦行化していたヨガに疑問を抱き、心身を痛めつけない自然体の瞑想スタイルにすることで「解脱」に至り、そのノウハウを人々に「法輪」として、つまり仏教として伝えたわけだ。
そして、この釈迦の手法、ヨガによって体内に秘められた宇宙神の声を聴き「法輪」を得た者を…
「ヨギ」と呼ぶ…
つまり「ヨギ、ゴッド聴く」…
なんと…
ちなみにサンスクリット語のヨーガ (योग)の語源は…
「牛や馬など牽引力のある動物に車輪のついた台車を連結させる」というものなの…
何かによく似てると思わない?
ああ…
蒸気機関車が荷車や客車を引く「鉄道」です…
嘘でしょ… 何なのよ、いったい…
これで宮沢賢治がフラ・アンジェリコの『受胎告知』から『銀河鉄道の夜』を着想したことが理解してもらえたと思う。
では次に、これを宮崎駿がどう再現したかを解説しよう。
『銀河鉄道の夜』の第四幕「ケンタウル祭の夜」に登場する「時計屋」が、どのように『千と千尋の神隠し』の「時計台」になったのか…
あの「時計台」には、いったいどんな仕掛けが施されているのか…
つづく
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