第333話 深読み『千と千尋の神隠し』vol.32「銀河鉄道の夜⑮」
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2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
お釈迦様の話がフラ・アンジェリコの『受胎告知』と関係があるのですか?
『Annunciation』Fra Angelico
そうだよ。
宮沢賢治はそこからインスピレーションを得て『銀河鉄道の夜』という物語を書いた。
きっと、皆が半信半疑だったでしょうね…
この人って、何でもかんでもフラ・アンジェリコの『受胎告知』に結び付けて力説してるから…
だけど、その思いがようやく伝わり、花開く(笑)
ホントに?
ああ。ようやくこの時が来た。
甘露の門は開かれたり!耳ある者は聞け!
何ですか、それ?
それでは「釈迦力」の話をしよう…
レッツ・おしゃかさま!
『おしゃかしゃま』RADWIMPS
おもしろい歌ですよね、これ。
途中からは明らかにお釈迦様じゃない話になってますけど。
ていうか、ゴダイゴの『モンキーマジック』っぽくない?
最初に「猿」って言ってるし。
『Monkey Magic』ゴダイゴ
ちなみに「ゴダイゴ」ってバンド名の意味、知ってる?
それくらい知ってるわよ。
「GO DIE GO」つまり「生きて、死んで、また生きる」でしょ?
仏教の輪廻転生をイメージしたもの。
生きている不思議、死んでいく不思議…
ゼロになるからだ、充たされてゆけ…
「ZERO」には「ERO」が含まれる。
「尋」にも「エロ」が含まれる。
あと「GODIEGO」は「GODIEGO」でもあるって聞いたことがあるわ。
「神・私・エゴ」という意味。
『おしゃかしゃま』は、そういうことを歌った内容でしょ?
そうね。
だけど「ゴダイゴ」のそもそもの意味は…
吉野朝廷、いわゆる南朝を興した後醍醐天皇の「後醍醐」…
ああ、歴史の時間に倣いました。
それにしてもカッコいい名前ですよね、ゴダイゴ天皇って…
どういう意味なんだろう?
「後醍醐」とは「後の甘露」という意味…
つまり、後から出て来る「最上・至高のもの」という意味じゃ…
後ろから出て来る甘露?
後醍醐の「醍醐」って「甘い露」という意味だったんですか?
そういえば月夜さん、さっき「甘露の門は開かれたり!」って言ってたわね…
このことを言ってたの?
今頃気づきおったか。
どうやらおぬしの「甘露の門」が開かれる日は、まだまだ遠いと見える…
「本当の幸い」を見つけられるのも、いつになるやら…
べ、別にあたしは「本当の幸い」なんて探し求めてないから…
それに「甘露の門」なんて知らないし…
カンロ飴なら知ってるけど。
はい、飴ちゃんどうぞ。
あ、ありがとう文代さん…
こんなの持ち歩いてるってことは、生まれは関西の人?
うふふ。どうかしら(笑)
・・・・・
何をぼーっとしてるのかしら、名探偵さん?
『おしゃかしゃま』の元ネタのこと語らなくていいの?
あ、はい… そうでした…
『おしゃかしゃま』という歌には元ネタが2つあって…
その1つが『MONKEY MAGIC』で…
ふたつ? もうひとつは何なの?
もう1つは…
レッド・ツェッペリンの『移民の歌』だよ…
『IMMIGRANT SONG』Led Zeppelin
あっ、確かにミュージックビデオのビジュアルアートがそっくりだ…
それだけではない。
この曲の歌詞は『西遊記』と同じように「西へ西へと集団で移動する」という内容。
だからRADWIMPSの野田洋次郎は『MONKEY MAGIC』と『IMMIGRANT SONG』をミックスしたんだ。
ああ、なぜ今まで気が付かなかったんだろう…
『IMMIGRANT SONG』も『西遊記』も西へ向かう歌だ…
『ゴー ウェスト』ザ・ドリフターズ
しかも、そこには宗教間の対立がある…
『西遊記』は仏の教えに帰依しない者たちと戦いながら西へと旅する物語…
そして『IMMIGRANT SONG』は、北欧・ゲルマンの神に帰依しない者たちを征服するために西へと旅する物語…
確かに『移民の歌』は、恐ろしいほどの力を持った集団が海の向こうから襲来し、西の世界の民に「無駄な抵抗はやめよ」と通告する内容ですよね…
その通り。最後はこんなふうに歌われる。
So now you’d better stop
And rebuild all your ruins
For peace and trust can win the day
Despite of all your losing
破滅を避けたければ今すぐ戦いをやめよ
沈黙と委託で「その日」を迎えるために
お前たちはすべてを失うことになるが
なんか怖すぎない?
彼らに服従しても、結局は全てを失うんでしょ?
そして、海の彼方からやって来た征服者たちは、こう言った…
We are your overlords
「我々はオーバーロードだ」
この意味、わかるかな?
オーバーロード?
どこかで聞いたことあるなあ…
漫画じゃない?
この件に関しては、また後程たっぷりと解説しよう。
今はまず、お釈迦様が力説した「釈迦力」の話だ。
釈迦ことガウタマ・シッダールタは、紀元前5世紀頃に北インドの小国シャーキヤの王子として生まれた。
つまり「新しい王」ね。
のちに出家して、シャーキヤ王になることなく没したけど。
ちなみに釈迦の母マーヤは、身籠る前に不思議な体験をした…
寝室でひとりで休んでいたら、神のお告げがあり…
天から光り輝く白い象が降りて来て…
自分の体内に入っていくという、夢とも現実ともつかない出来事…
光り輝く白い象が天から降りて来て、マーヤの身体の中に入った?
何だろう、この既視感は…
よくある話じゃ。
不思議な出来事によって釈迦を身籠った母マーヤは、実家へ帰省する移動中に産気づく…
そして、ちゃんとした建物の中でなく、草だらけで動物がいるような場所で釈迦を出産した…
ん? やっぱりこれって…
It's the same old song…
よくある話じゃ。
幼少時代の釈迦は、何も教えられていないのに何でも知っているので、神童と騒がれた…
大きな期待を背負いながら成長した釈迦だったが、なんとなく20代は過ぎていき、突然30歳頃に出家する…
悟りを求めてインド各地を歩き回り、志を同じくする仲間を見つけ、修業に明け暮れる日々を送ったんだ…
なぜ30歳頃に出家?
何でも知ってる神童だったんでしょ? もっと早く目覚めてもよくない?
そこらへんの事情はよくわからない。
とにかく釈迦は30歳頃に家を出たんだ。
だけど、どんなに苦しい修業をしても、なかなか悟りの瞬間はやってこない…
荒野で何十日も断食をして心身を追い詰め、瞑想しながら精神の奥深くまで潜っていき、次々と現れる誘惑と戦い、何度も生死の境をさまよったが、究極の状態「解脱」には至らなかった…
やっぱりだ…
何だろう、この既視感の正体は…
なんか…
イエス・キリストの話っぽくない?
あっ、そうだ!
うふふ…
釈迦の物語は、イエスの物語とクリソツ…
だから釈迦の物語をなぞらえることで、同時にイエスの物語を語ることが出来るの…
もちろん、その逆も可…
なんてこった…
解脱を求めて自分を追い込み過ぎてしまった釈迦は「このまま行ったら引き返せなくなる」と感じ、水を求めて川へと向かった…
そしてナイランジャナー川(尼連禅河)に身体を浸したが、そのまま川のほとりで力尽きて動けなくなってしまう…
するとそこに、このあたりを管理していた大富豪スジャータの召使が通りがかった…
水辺の大きな樹の下で力尽きていた釈迦を発見した召使は、釈迦のことを木の神様だと思い、すぐさま主人のスジャータに報告…
スジャータは釈迦を介抱し「乳がゆ」を食べさせた…
ちちがゆ?
米を乳で煮込んだ「おかゆ」じゃ。
西洋人は「ライスプディング」と呼ぶ。
ん? これって…
この話、前にしなかった?
ああっ!
三十歳頃に家出して、自分の身体を痛めつけ…
精神の奥深くまで潜りこんでしまい、水辺で力尽きた男…
こ、これは…
『INCEPTION(インセプション)』の…
レオナルド・ディカプリオ…
そして大富豪の召使が発見し…
大富豪は男に「乳がゆ」を与えた…
大富豪 渡辺謙…
じゃなくて、サイトー…
釈迦は大きな樹のそばにいたから「木の神」だと思われた…
だからディカプリオのそばには松の木が描かれていた…
クリストファー・ノーランは『インセプション』の中で『ヨハネによる福音書』を再現していましたが…
同時に「釈迦の物語」も再現していたのか…
Christopher Nolan
これは宮崎駿の影響…
クリストファー・ノーランは、大好きな『ルパン三世 カリオストロの城』を再現したのです…
ああ、あのシーンか…
水辺の木の下で力尽きていたルパンを、番犬のカールが発見し、カリオストロ大公の姫クラリスが飲み物を与えて介抱した…
確かに同じシチュエーション…
ちなみに『インセプション』でクリストファー・ノーランが大きな仏像を倒したのは…
『ルパン三世カリオストロの城』で宮崎駿が大きな十字架を倒したから…
『インターステラー』でも「ルパン、クラリス、カール」を再現してたわよね。
ほんとノーランってば、宮崎駿のルパン三世が好きなんだから(笑)
アン・ハサウェイは『さらば愛しきルパンよ』の小山田真希。
何度見ても似てる…
で、乳がゆを食べた釈迦は、どうなったのですか?
乳がゆを食べた釈迦は、あることに気付いた…
いくら苦行を続けても、悟りの境地に辿り着くどころか、無駄に命を落としてしまうだけ…
自分自身を大切にしない者は、真理を見つけることは出来ないと…
そこで釈迦は、心身を健康な状態にし、川の水で身を清め、対岸にあった菩提樹の下でゆっくりと瞑想した…
そしてついに真理を悟り、解脱を成し遂げる…
やった!
いよいよこれを人々に広めるために「釈迦力」を発揮するわけですね!
いや。まだだ。
釈迦は思った。これはヤバいと。
ヤバい? なぜ?
釈迦が悟った真理は、とてつもないものだった。
自分は長年追い求めていたから心の準備が出来ていたけど、そうでない普通の人たちは絶対に受け止めきれない…
どんなに説明しても信じてもらえないだろうし、そもそも何も理解してもらえないだろうと…
確かにそうよね。
それに、いきなり「みんな聴いて!僕はすごいことを発見した!これで世界のすべてがわかるんだ!」って言われても、誰も相手にしないわ。
これを無人島の少年の法則という。
何だっけそれ? どっかで聴いたことあるような気がするんだけど…
まあ仕方ないですよね。
日々働いている人たちはそんな話を聞いてる暇ないですし、そもそも解脱したいなんて考えてる人もほとんどいないと思います。
そうなんだよね。
釈迦もそう思った。これは世の流れに逆らうことだと。
真理とは大きな川の川底みたいなもので、その上を膨大な量の煩悩が流れていて、容易に窺い知ることは出来ない…
人間というのはその煩悩に流されながら生きている存在だから、流れに逆らって無理に深い川底を見ようとすれば、溺れ死んでしまうと…
なんだか『銀河鉄道の夜』のカムパネルラの最期っぽい…
そして『千と千尋の神隠し』のコハク川のシーン…
だけど、これじゃあ仏教が始まらないわ。
釈迦がしゃかりきにならずに終了じゃん。
ここでトンデモナイことが起きるんだ。
悟ったけど意味がなかったと釈迦が嘆いた時、突如、釈迦の頭の中に創造神ブラフマン(梵天)の声が響き渡った。
そして創造神は釈迦に説法をする。
真理を悟ったあなたはこの世で最も尊い
同じように法を理解する者は必ずいるから
無意味だと決めつけてはいけない
しゃかりきになって人々に説きなさい
と…
法を完璧に会得したのに無意味だったと嘆いていたら、創造神の声が聞こえて来て、説教される…
これは『ヨブ記』と同じパターンじゃないですか…
『ヨブ記』は旧約聖書の中で異色の書…
「輪廻転生」や「因果応報」など仏教思想と共通する内容も含まれている…
そして、神がヨブに語る「水辺のカバと水底のワニ」の例え話が「洗礼者ヨハネとイエス・キリスト」の予言になっていて、『ヨハネ伝福音書』や『ヨハネの黙示録』などのヨハネ文書に大きな影響を与えた…
創造神に発破をかけられた釈迦は、こう決意する。
皆の恐れを買わないよう、注意深く言葉を選ぼう
どういうことですか?
宇宙の真理は、人間の想像を遥かに超えたもの…
普通に聞いたら、ほとんど妄想としか思えない…
それをそのまま話したら、人々はドン引きし、下手したら危険人物扱いされるだろう…
だからなるべく易しい言葉で、さまざまな例え話を交えながら伝えていこう、ということだ。
なるほど。
『ヨハネによる福音書』に描かれるイエス・キリストの物語を「ワニ」などの動物に喩えてユルユルの4コマ漫画にした『100日後に死ぬワニ』みたいにってことね。
そして、ジェイムス・テイラーの『ゴリラ』みたいに。
『gollira』James Taylor
創造神に叱咤激励された釈迦は、宇宙の真理である法(ダルマ)を人々に伝えるため、こう叫んで回った。
「甘露の門は開かれたり!耳ある者は聞け!私心を棄てよ!」
なんだか、荒野で呼ばわる者の声「悔い改めよ!天国は近づいた!」みたい。
『洗礼者ヨハネ』マッティア・プレティ
だけどやっぱり人々は、釈迦の話を怖がって聴いてくれなかった。
そこで釈迦はバラナシ(ヴァーラーナシー)国のサールナートにある「鹿野苑」へ向かう。
釈迦が初めて伝道に成功した場所、仏教生誕の地として知られているところだ。
しかのえん?
鹿野苑と書いて「ろくやおん」と読む。
樹々や花々に囲まれた美しい場所で、たくさんの鹿がいるピースフルな楽園だったから、そう呼ばれていた。
鹿が仏教における聖獣になったのは、ここから来ている。
『バンビ』の森みたいにピースフルな世界だったってこと?
樹々や花々に囲まれた日比谷公園の「やおん」が聖地と呼ばれるようになったのも「鹿野苑(ろくやおん)」からじゃ。
多くの求道者が「やおん」で残した「録・やおん」は名盤が多い。
これはこれで好きだけど、バンビちゃんの世界からはだいぶ遠い。
さて、釈迦がサールナートの鹿野苑へ向かったのは、かつて一緒に修行した仲間5人がいたからだった。
彼らなら話を理解してもらえると考えたんだね。
しかし、またもや釈迦は歓迎されなかった。
彼らは釈迦のことを、苦行から逃げた男、堕落してしまった人間だと思っていたから…
今度こそ釈迦力の見せ所ですね。
そう。釈迦は全身全霊をこめて真理を説いた。
さまざまな例え話を交えながら、わかりやすく。
最初は半信半疑だった5人も次第に聞く耳をもつようになり、ついに釈迦の想いは通じる。
彼らに法の極意である「中道」「八正道」「四諦」を理解させることに成功したんだ。
こうして仏教は誕生した。
この記念すべき出来事を「初転法輪(しょてんぽうりん)」という。
初めて転がる法の輪?
なぜ「輪」なの?
古代インドには「転輪聖王」という理想の君主像があった。
「転輪聖王」は王の中の王であり、地上における神として世界をダルマ(法)によって統治するとされていた。
そのシンボルが「輪」なんだよね。
だから釈迦の教えも「輪」に喩えられたんだ。
だから、なぜ「輪」なの?
一日たりとも休むことなく天球を回り続け、輝かしい光で世界を照らす「日輪」のことであり…
高速で回転し続け、遥か遠くまで人を運ぶ「車輪」のことであり…
敵や悪を打ち砕く武器「飛輪」のことでもある…
「輪」は宇宙の真理である「法」を会得した者の象徴なんだ。
だから釈迦の教え、つまり仏教の教義を「法輪」と言うようになった。
そして「法輪」をかたどった四方八方に光線が広がるマークが仏教のシンボルとなったの。
キリスト教における「十字架」みたいに。
なるほどね。
そういえば、お寺とかには、こういう「輪」があったような気がする…
「法輪」はインドの国旗にも描かれておるな。
ちなみに、釈迦が初めて伝道に成功した場所、サールナートの「鹿野苑」は、別名「リシパタナ」という。
リシパタナ? それがどうかしたの?
「リシパタナ」とはサンスクリットで「人間以上・神様未満の者が住むところ」という意味なんだ。
つまり、痛み・苦しみ・悩み・欲望などの煩悩とは無縁で、神のような永遠の命はないけれど桁外れの長寿をもつ存在が住むところ、という意味。
なんだか夢みたいなところね。めっちゃパラダイスじゃん。
しかし、貴重な仏典をインドから多数持ち帰った玄奘三蔵は、それを漢訳する際に致命的なミスを犯してしまった…
彼が訳した『解深密経』という経典の中で、「リシパタナ」を「仙人堕処」と誤訳してしまったんだ…
仙人堕処?
「堕落したところ」って訳しちゃったの?
この誤訳のせいで、昔の人はこう疑問に思った…
「仏教の始まりの地であり理想郷のような楽園を、なぜ《堕落したところ》と呼ぶのか?」
誤訳だという経緯を知らなかったら、わけわかめでしょうね。
まあ、ある意味「正しい」んだけど。
は?
その話は置いといて、今はこれだけ覚えておくがよい。
「初転法輪」とは、初めて釈迦が伝道に成功したこと、法輪を転がしたことを指す…
初めての転法輪(てんぽうりん)じゃ。
なんだか『銀河鉄道の夜』第二幕「活版所」に出て来た「輪転機(りんてんき)」や、第五幕に出て来る「天気輪(てんきりん)」みたいだ…
そもそも「銀河鉄道」自体が「転法輪」なのでは…
ゴスペル音楽でキリストによる救済を「train」に喩えるように、宮沢賢治は仏の教えを「銀河鉄道」に…
あっ、なるほど!
ジョバンニは初めて銀河鉄道に乗って天空を旅した…
まさに初転法輪…
これで準備は整った。
では、そろそろ話を戻すとしよう。
え?
フラ・アンジェリコの『受胎告知』だよ。
なぜ宮沢賢治はあの絵を基にして『銀河鉄道の夜』を書いたのか、という話だったよね?
あっ、そうでした…
見てごらん。
よく似ているだろう?
『受胎告知』フラ・アンジェリコ
あの話ですね。
釈迦を身籠った時に母マーヤが見た幻…
天から光り輝く白い象が降りて来て、胎内に入っていった…
だけど、こういうのは「よくある話」なんでしょ?
洋の東西を問わず、神話や聖人伝説なんて、だいたいこんな感じじゃん。
似てるのは「天から降りて来る白い動物」だけじゃないわよね?
え?
「創造神」と「法輪」も描かれとる。
ああっ!
そして、家の外には「エデンの園」が描かれている…
エデンの園は、神が自分に似せて作った最初の人間アダムとイブが住んでいたところ…
二人はあらゆる煩悩と無縁の存在で、あの楽園で永久に平和に暮らしているはずだった…
しかし、絵の中に描かれている楽園は…
失楽園!
なんてこった…
玄奘三蔵が誤訳して広まってしまった「仏教の始まりの楽園=堕落の園」が…
フラ・アンジェリコの『受胎告知』においては正しい…
フラ・アンジェリコの『受胎告知』は、アダムとイブの堕落で始まった人間の原罪が、イエス・キリストという存在によって解消されるというメッセージが込められたもの…
だけど、それがなぜか同時に釈迦の物語にも読めてしまう…
あの絵を見た宮沢賢治は、そこに気付いたんです…
確かに、キリスト教的な「God」と、仏教的な「法輪」が並んでいるように見える…
1つの物語を描いた1枚の絵なのに、まるで2つの物語が同居しているように…
あれ?「法輪」はもう1個あるわよ。
「God」の両サイドに描かれてるでしょ?
あ、そうでした…
たぶんジョバンニとカムパネルラ2人分の「法輪」じゃないですか?
真ん中の神様は、電気栗鼠の駅で降りたクリスチャンの「God」ですから。
なるほど。そうね、きっと。
賢治はジョバンニとカムパネルラ2人分の「法輪」に見立てたんだわ。
「法輪」は1つだよ。
へ? 2つでしょ?
もう1つのほうは「法輪」ではないんだ。
どういうことでしょうか?
どう見ても同じものにしか見えませんが…
だって、ジョバンニとカムパネルラは、同じ場所で降りてないよね?
別々のところで降りたんだ。
別々の神様のところで。
まさか、もう1つのほうは…
そう。「菊」ですね。
菊?
つづく
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