第326話 深読み『千と千尋の神隠し』vol.25「銀河鉄道の夜⑧ケールとアスパラガスと姉さんのトマト」
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2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
そして夕方の6時過ぎ、ジョバンニは与えられた仕事を終え、報酬の銀貨を受け取った。
途中の店でパンと角砂糖を買い、母の待つ家へ帰る。
『銀河鉄道の夜』の第三幕「家」の始まりだ…
ジョバンニが勢よく帰って来たのは、ある裏町の小さな家でした。その三つならんだ入口の一番左側には空箱に紫いろのケールやアスパラガスが植えてあって小さな二つの窓には日覆(ひおおい)が下りたままになっていました。
「お母(っか)さん。いま帰ったよ。工合(ぐあい)悪くなかったの。」ジョバンニは靴をぬぎながら云いました。
「ああ、ジョバンニ、お仕事がひどかったろう。今日は涼しくてね。わたしはずうっと工合がいいよ。」
ジョバンニは玄関を上って行きますとジョバンニのお母さんがすぐ入口の室(へや)に白い巾(きれ)を被って寝(やす)んでいたのでした。ジョバンニは窓をあけました。
また意味ありげな記述から始まりますね。
裏町の小さな家の、三つならんだ入口…
一番左側の入口には、空箱に紫色のケールやアスパラガスが植えてある…
小さな二つの窓には日覆(ひおおい)が下りたままになっていた…
なんで小さな家なのに入口が3つもあるの?
しかもその3つの入口が並んでいるって、わけわかんなくない?
入口は1つで十分でしょ。
小さな長屋ということでしょうか?
それなら「長屋」と書けばいいじゃん。
『千と千尋の神隠し』じゃないんだから…
ですよね…
しかも入口に紫のケールやアスパラガスが植えてあるって、これもよく考えたら変です…
ケールってキャベツみたいなやつでしょ?
中々いないわよ、こんなの玄関先に植えてる人…
アスパラガスが植えてある玄関だって見たことありませんよ。
うふふ(笑)
ジョバンニのお母さんは、その入口のすぐ近くで、白い巾(きれ)を被って休んでいたのよ…
まだ元ネタに気付かない?
元ネタ?
『約翰傳(ヨハネ伝)福音書』第2章の続きということですか?
その通り。「カナの婚礼」の次の場面と言えば?
「宮清め」でしょ?
イエスが神殿で商売してる人たちに激怒して、大暴れしながら蹴散らす場面。
非暴力主義のイエスが、唯一暴力をふるうシーンですね…
「父の家を穢すな!」と…
『神殿から商人を追い出すキリスト』
ヴァランタン・ド・ブーローニュ
その通り。
さすがに賢治は、この暴力的なシーンを物語にそのまま落とし込むことは出来なかった。
だけどイエスに共感はしていたはず。
賢治は実家の商売「質屋」にコンプレックスを抱いていたからね。
コンプレックス?
生活に困窮し、神にすがるような思いで訪れる人たちの足元を見ながら商売する質屋というものに、賢治は幼い頃から強い負い目を感じていた。
自分がいい服を着て、いい暮らしを出来ているのは、貧しい人たちから取り上げたお金や物によるもの…
上等でパリッパリなシャツを着ているザネリこそが子供時代の賢治の姿であり、だから賢治はジョバンニの変形であるザネリという名前をつけたわけだ。
ザネリが少年賢治の本当の姿。
貧しい身なりのジョバンニは、賢治がそうなりたいと思っていた姿。
なるほど… 賢治は清貧に憧れていたというわけね…
で、ジョバンニの家の描写は何だったの?
「宮清め」のシーンでは、イエスが「鳩売り」の店を蹴散らし、売り物だった鳩が空を舞う…
先程のヴァランタン・ド・ブーローニュの絵でも、画面右上の方に翼を広げた鳩が描かれていたよね?
これを賢治は「別の絵」に置き換えたんだ。
右上に白い鳩が飛んでいて、父の家の中で母と息子が会話しているように見える絵に…
そんな絵あったっけ? あんたわかる?
うーむ、何だろう…
これのことよ。
毎度おなじみの、フラ・アンジェリコ『受胎告知』夜バージョン。
『Annunciation』
Fra' Angelico
ああっ!
確かに「父の家の中」の右上に「白い鳩」が飛んでいる!
しかも「父」は、上の方の小さな丸枠の中にいる…
まるで集合写真の「不在の人」のように…
しかも「入口が3つ並んだ小さな家」じゃん…
一番左側の入口には、紫色のケールとアスパラガスも…
うわあっ!
もう、そうとしか思えません…
志賀直哉もそうでしたが、宮沢賢治も絵が本当に好きだった…
今と違って有名絵画を見る機会が少なかった時代です…
見れた時は、細部まで食い入るように観察し、それを記憶し、何度も何度も思い出しては反芻し、空想を膨らませていたのでしょう…
ていうか、志賀直哉や宮沢賢治だけじゃないでしょ…
今まで取り上げた作家、ほとんどそうじゃん…
そうじゃったな。
そして体の具合が悪いお母さんは、すぐ入口の室(へや)で、白い巾(きれ)を被って寝(やす)んでいた…
そしてジョバンニは、部屋にある2つの窓を開放する…
これは絵の正面側、大きく開かれた2つのスペースのことを言っておる。
本当に聞こえてきそうだ…
「お母さん、体の具合は?」
「今夜は涼しいから、いつもより調子はいいみたい」
って…
そしてジョバンニと母の間で、こんな会話が交わされる。
「お母さん。今日は角砂糖を買ってきたよ。牛乳に入れてあげようと思って。」
「ああ、お前さきにおあがり。あたしはまだほしくないんだから。」
「お母さん。姉さんはいつ帰ったの。」
「ああ三時ころ帰ったよ。みんなそこらをしてくれてね。」
「お母さんの牛乳は来ていないんだろうか。」
「来なかったろうかねえ。」
「ぼく行ってとって来よう。」
「あああたしはゆっくりでいいんだからお前さきにおあがり、姉さんがね、トマトで何かこしらえてそこへ置いて行ったよ。」
「ではぼくたべよう。」
ジョバンニは窓のところからトマトの皿(さら)をとってパンといっしょにしばらくむしゃむしゃたべました。
前から疑問に思ってたんだけど、この「姉さん」って要る?
何のために「ジョバンニには姉がいる」なんて設定にしたの?
しかも、賢治にいたのは妹でしょ?
誰が「ジョバンニには姉がいる」なんて言った?
え? だってジョバンニは言ってるじゃん…
「お母さん。姉さんはいつ帰ったの?」って…
あれは「ジョバンニの姉さん」じゃなくて…
「お母さんの姉さん」なんだよ。
は? お母さんの姉さん?
確かに、そういう風にも聞こえます…
お母さんに尋ねているわけですから…
「受胎告知」の場面で天使ガブリエルは、マリアの前に「もうひとりの女性」が居たと告げる…
それはマリアの伯叔母、マリアよりもずっと年上の親族の女性…
マリアにとって「姉さん」のような存在だったエリサベト…
『エリサベトの訪問』
マリオット・アルベルティネッリ
エリサベトは高齢で子が出来ないと言われていたにも関わらず、神の奇跡によって一人息子ヨハネを身籠った…
まさに『創世記』に出て来るアブラハムの妻サラと同じように…
だから「姉さん」は「トマトの皿」を残していったんだよ。
サラと皿の駄洒落…
かたや宮崎駿は、アブラハムを「油屋のハム」という駄洒落にした。
宮沢賢治は菜食主義者で肉の話が出来なかったから、代わりにやったわけね。
なんと…
そしてお母さんは「私はまだ乳は要らない」と言った。
「乳」とはミルキーウェイ、つまり空にそそり立つように見える「光の川」のことだったよね…
あっ…
フラ・アンジェリコの「受胎告知:夜バージョン」には存在しないミルキーウェイ…
「昼バージョン」に描かれている「光の川」のことだ…
夜バージョンにも「光の川」らしきものが描かれていますが、それは遥か遠い空の向こう…
だから「まだ要らない」と言った…
賢治は、絵の細部まで、よく観察してるわよね…
さすが「虫めがね君」。
そしてジョバンニは、突然、話題を変える。
「お父さん」の話を始めるんだ。
「ねえお母さん。ぼくお父さんはきっと間もなく帰ってくると思うよ。」
謎のお父さんね…
人を傷つけて牢に入れられたとか、北の海で漁船に乗っているとか…
これもオカシナ話です。
なぜジョバンニの父親の情報は錯綜しているのでしょう?
しかもお母さんまで言葉を濁し、ハッキリと言いません…
「あああたしもそう思う。けれどもおまえはどうしてそう思うの。」
「だって今朝の新聞に今年は北の方の漁は大へんよかったと書いてあったよ。」
「ああだけどねえ、お父さんは漁へ出ていないかもしれない。」
「きっと出ているよ。お父さんが監獄へ入るようなそんな悪いことをした筈がないんだ。この前お父さんが持ってきて学校へ寄贈した巨(おお)きな蟹の甲(こうら)だのとなかいの角だの今だってみんな標本室にあるんだ。六年生なんか授業のとき先生がかわるがわる教室へ持って行くよ。一昨年修学旅行で〔以下数文字分空白〕
賢治まで最後に言葉を濁してるじゃん。
何よ「一昨年修学旅行で〔以下数文字分空白〕」って?
お母さんも賢治も、絶対に何かを隠してるわ。
うーむ。臭いますねぇ…
ヒントは「らっこの上着」ですよ。
ラッコ?
黙っておれ。おぬしはラッコではなくトラじゃ。
何言ってるの?
何でもない。こっちのハナシ。
では、解説しよう…
ジョバンニのお父さんの情報が錯綜している理由を…
つづく
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