「LIFE ON MARS?②~いつものように~」『深読み LIFE OF PI(ライフ・オブ・パイ)& 読みたいことを、書けばいい。』
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2019年9月19日深夜
スナックふかよみ
ではまずクロード・フランソワの『Comme d'habitude(いつものように)』から解説しよう…
『MY WAY』と『LIFE ON MARS?』という、一世を風靡した2つの名曲を生むことになった重要な作品だ…
フランス語だから、何て歌ってるのか全然わかんない。
でも『MY WAY』の原曲なんでしょ?
それだったら同じような内容なんじゃない?
「聞いてよ! アタシってば、人生やり遂げちゃったかも!」みたいな。
橋本治の桃尻語訳か。
うふふ。
だけど、そうじゃないのよね。
え?
歌詞の日本語訳を検索してみたのですが…
どうやら別れたカップルの話みたいです。
別れたカップル?
こんな歌詞ですね。
男が目を覚まし、隣で寝ている女をゆすってみたり髪を撫でてみるが、女はピクリとも反応しない…
男は女にシーツを被せ、急いで服を着る…
そして男はキッチンでコーヒーを飲み、「いつものように遅刻だ」とつぶやく…
ハァ? この男、バカじゃないの?
優雅にコーヒー飲んで「いつものように遅刻だ」とか言ってる場合じゃないでしょ!
何のために急いで服を着たわけ? そのままダッシュで仕事に行きなさいよ!
まあ、そこはフランス人ですから…
歌はこう続きます。
男が家を出ると、外は灰色だった…
誰かに会っても、男は何事もなかったかのように振る舞う…
男が部屋に戻ると、ベッドから女は消えている…
途方に暮れた男は、女との再会を夢想する…
愛を交わし合う光景を…
なにこれ?
女に捨てられた男が、よりを戻す未来を夢想する?
悲しいけど、そうゆう生き物なの。男って。
死の間際の男が「I did it my way!(俺は人生やりきったぞ!)」と自画自賛する『マイ・ウェイ』と全然違いますね。
そう。全然違う。
だけど、それは視点の違い…
は?
実は『Comme d'habitude』という歌は、誰もが知る「ある物語」が元ネタになっている。
その「ある物語」をアレンジして、男女の話にしているんだ。
ある物語?
何でしょうか?
それを可視化したミュージックビデオ(MV)がある。
これを見ると「ある物語」が何なのか見えてくると思う。
違いが分かる男 Gabriel(ガブリエル)による『Comme d'habitude』のカバーだ…
いかにもフランスって感じね。
だけど…
歌っているガブリエルさんと、MVの中の主人公が、まったくと言っていいほど合致しません。
違和感ありまくりです。
なぜあんな刺青だらけのモデルを使ったのでしょうか?
そんなこと、どうでもいいじゃない。
日本人の感覚では違和感あるかもしれないけど、フランスじゃ、あれくらいの刺青は普通なんでしょ。
海外のラグビー選手だって普通にタトゥー入れてるわ。
だけど、いくら自由の国フランスでも、一般レベルで言うと、あそこまで刺青を入れてる人は、やっぱり特殊よね。
若者向けのイキった曲なら「あり」かもしれないけど、この歌のターゲット層からしたら「なし」でしょ。
普通なら、あんなモデルは選ばない…
じゃあなぜ彼になったの?
てゆうか…
そもそもあの刺青は「本物」かしら?
え?
もしかしたら、撮影用の「メイク」かもしれないわよね…
もっと意味わかんない。
何のために? あんなにガッツリ描き込む必要ある?
もうっ!入墨が本物か偽物かなんてどうでもいいでしょ!
歌詞のこと話そうよ!
確かに「刺青が本物か偽物か」は、どうでもいい。
だけどあの刺青自体には大きな意味がある。
あの刺青には、この歌を読み解くヒントが、隠されているんだよ…
ハァ? 刺青に?
考えてみて。
「別れるカップル」というストーリーに全く関連性のない「刺青」が、なぜあそこまで必要とされたのか、ということを…
どう考えても「刺青」で何かを伝えようとしているとしか思えないでしょ?
レイ・ブラッドベリの『刺青の男』じゃないけど、刺青が重要な意味をもつ作品って結構あるのよね…
確かに…
『ブラインドスポット』もそうでした…
つまり…
あの刺青は「何か」を物語ってるってこと?
その通り。
あの刺青は、クロード・フランソワが『Comme d'habitude(いつものように)』を作るにあたって元ネタにした「ある物語」の一部なんだよ。
このガブリエルというアーティストは、「ある物語」を完成させるため、刺青を使って足りない部分を補足したというわけ。
刺青で歌詞を補足?
彼の腕には大きく「鍵」が描かれていたよね…
鍵?
そして、MVの冒頭…
刺青の鍵が映し出される直前に、ベッドサイドに置かれていた写真立てのカットが意味有り気に挿し込まれていた。
どこかの水辺で撮った、二人の想い出の写真が…
ぷぷっ。何よ、この写真立て!
お洒落な部屋と不釣り合いすぎるダサダサ感!
しかも「Love is the key to happiness」とか英語で書いてあるし。
ベタな観光地で売ってる「幸福行きの切符」じゃないんだから(笑)
ちょっと待ってください…
男の手に「鍵」…
そして「愛は幸福行きの鍵」のメッセージ…
これは、もしや…
イエスから「天国の鍵」を渡された「使徒ペトロ」のことでは…
『ペテロに鍵を手渡すイエス』
ベルナルド・カステッロ
へ?
その通り。
あの刺青の「鍵」は「ペトロの天国の鍵」を表している。
それでは…
ピクリとも動かなくなり、シーツにくるまれ、その後に姿を消した「彼女」とは…
イエス?
YES…
・・・・・
これで「二人の思い出の場所」が「水辺」であることも納得がいく…
ガリラヤ湖の漁師だったペトロにとって、「水辺」はイエスとの思い出がたくさんつまった場所だから…
てことは…
「ある物語」って…
そう。イエスの死と復活の物語。
『Comme d'habitude(いつものように)』という歌は、それを「カップルの別れ話」に置き換えたものなの。
マ、マジで?
イエスが死んで、白い亜麻布で包まれて、石窟の中の石棺に埋葬されて、二日後に消えて、復活した姿を現して、最後はガリラヤ湖でペトロに「愛」を確認する…
このストーリーが歌詞に落とし込まれているってわけ。
ほ、本当ですか?
たとえば、男がひとりでコーヒーを飲むところ…
Tout seul je bois mon café
自分ひとりだけのコーヒーを飲む
この「bois mon café」というのが「わたしの coffin(棺桶)」のダジャレになっているんだ。
「coffin」って英語じゃないの?
元々はフランス語よ。
「café/coffee(コーヒー)」と「coffin(棺桶)」はよく使われるダジャレだから覚えておいて。
では、男がコーヒー飲みながら「やっぱり遅れた」とか言ってたのも…
復活が「二日後」だったことね。
だから、家の外に出た男は、こう高らかに歌うんだ…
Enfin je vais vivre
Comme d'habitude
わたしは生きている!
前と同じように!
まあ… そのまんまじゃん…
MVの映像による「補足」についても、詳しく話した方がいいんじゃない?
すっごくおもしろいから(笑)
気になるゥ!教えて教えて!
いいでしょう。
それでは、男が洗面所で顔を洗うシーンから…
よく見たら脇腹にも刺青があったのね。
しかもキスマークだなんて可愛い(笑)
キスマークは、ユダの接吻…
接吻は口でしょ? なんで右脇腹なのよ。
右脇腹にキスマーク…
まさか!?
ロンギヌスの槍!?
へ?
イエスの死亡を確認するため…
ローマ兵ロンギヌスは、槍でイエスの右脇腹を刺した…
キスマークと「槍の刃の傷跡」は形がよく似てる。
うまいよね。
なんてこった…
そういえば、反対側にも刺青あったわよね。
「〇〇愛友」と漢字四文字が書かれている。
解像度の高い画面で見たら全部わかるんじゃないかな…
「愛」も「友」もイエスの教えっぽい…
そして男は赤紫色のジャケットを羽織り、キッチンでコーヒーを入れる。
だけど何かが気になって、手にしたカップをなかなか口にしようとしない…
「この杯をわたしから過ぎ去らせてください」!
『ゲツセマネの祈り』
ジョルジョ・ヴァザーリ
悩んだ末カップを口にした男は、過去を回想し始める。
水辺を散歩して過ごした日々のことを…
そして、接吻をする…
するとアングルが「引き」に変わり…
二人の前を黄色いタクシーが通過する…
それはどうでもよくない?
イエスの物語に黄色いタクシーなんて関係ないでしょ。
「黄色」はユダの色…
たぶん、この絵の再現だと思う。
『ユダの接吻』
ジョット・ディ・ボンドーネ
まっ…
そしてスタジオで歌うガブリエルは…
満を持して「あのポーズ」をとる…
やるわね…
男が部屋に戻ると、女は姿を消していた…
ベッドは、もぬけの殻…
男は呆然と立ち尽くす…
墓からイエスの遺体が消えていることに呆然としたペトロですね!
『ヨハネによる福音書』
20:6 シモン・ペテロも続いてきて、墓の中にはいった。彼は亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、20:7 イエスの頭に巻いてあった布は亜麻布のそばにはなくて、はなれた別の場所にくるめてあった。
その夜、男は明け方まで、女のことを想い、グラスを傾けた…
暖炉の中で揺れる炎を見つめながら…
イエスの物語なら「赤ワイン」なのに、透明なお酒?
そこ重要(笑)
え?
しかもやたらと炎と重ね合わせたりしてたわ…
何なのアレ?
すべてに意味がある。
深読み十原則、その4「目に映るすべてのものはメッセージ」だ。
透明な液体越しに、炎が見える…
ハッ!
この直後に男は、女と再会する…
これはペトロとイエスの再会シーンの再現…
つまり「透明な液体」と「炎」は、これを意味していたんだね…
『ヨハネによる福音書』
21:9 彼らが陸に上って見ると、炭火がおこしてあって、その上に魚がのせてあり、またそこにパンがあった。21:10 イエスは彼らに言われた、「今とった魚を少し持ってきなさい」
『夜明けにガリラヤ湖畔で焚き火をするイエス』
「透明な液体越しに炎を見る」の構図は、船に乗っていたペトロからの視点だったんですね!
何なのよコレ…
そして夜が明け、男の前に女が姿を現す…
女は男を見て「やれやれ」と頭を抱えた…
どうして? 裸だったから?
ふふふ。その通り。
本当なら、慌てて上着を羽織らなきゃいけなかったの(笑)
21:7 イエスの愛しておられた弟子が、ペテロに「あれは主だ」と言った。シモン・ペテロは主であると聞いて、裸になっていたため、上着をまとって海にとびこんだ。
うまい!
そして男は女を抱きしめた。
最後は引きのショットになって終わる…
グスン… よかった…
男が愛を信じ続けた結果ね…
ふふふ。あなたの目って、節穴?
ハァ!?
よく見て頂戴。
男の表情は、嘘をついてる表情…
実はあの男、女のことを心から愛してないの…
ええっ?
そして女は、それに気付いている…
ど、どうゆうこと?
男が力強く「愛してるよ」とアピールをしても、女はまったく冷静なんだ…
手をぶらんとさせたまま、抱きしめ返そうともしない…
ホントだ…
ラブラブのハッピーエンドじゃないわね…
これはもしや『ヨハネによる福音書』最終章の再現では…
その通り。
復活したイエスは、最後にペトロにこう言った。
「ペトロよ、わたしを愛するか?」
ペトロは答えた。
「わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっているはずです」
イエスは同じ質問を繰り返した。ペトロも同じことを答えた。
さらにイエスはもう一度同じ質問をした。ペトロもまた同じことを答えた。
かつてペトロは「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」の予言通り、師イエスを裏切って逃げました…
だからイエスは、ペトロの「愛しています」を信用していない…
そう。
「わたしがあなたを愛していることは、あなたも知っているはずです」と三度も言い張ったペトロに対し、イエスは再び予言をする…
いつか遠い場所で再び裏切り、その時は死ぬことになるだろうと…
ローマの件ね…
だから『Comme d'habitude』も、こんな終わり方をするの。
Comme d'habitude
Meme la nuit
Je vais jouer à faire semblant
いつものように
夜が来たらこんなふりをする
Comme d'habitude
Tu te coucheras
いつものように
愛し合うふり
Comme d'habitude
On s'embrassera
いつものように
口づけするふり
Comme d'habitude
いつものように
やっぱりハッピーエンドじゃないのね…
男の愛は本物ではない…
愛してる「ふり」なだけ…
『ヨハネによる福音書』のペトロそのもの。歌詞で見事に再現されている。
だからガブリエルは最後に祈ったんだと思う…
この先に更なる試練が待ち受けている、この歌の主人公の未来に幸あれと…
祈りたくなるような結末だもんね…
まさか『マイ・ウェイ』の原曲が、こんな内容だったとは…
そしてデヴィッド・ボウイ『Even a Fool Learns to Love』の原曲でもある…
では次に、デヴィッド・ボウイが『Comme d'habitude』を、どのように英訳したのかを見ていこう。
後に開花する天才の片鱗が窺える、実に興味深い「翻訳」なんだ…
ちょっと待って。
最後にもう一度『Comme d'habitude』を聴きたくない?
そうね。聴きたいかも。何が歌われているのかもわかったし。
いいでしょ?
ええ、もちろん。
名曲は何度聴いてもいいものですからね…
では、どうぞ…
つづく
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