我々はどこから来たのか?我々は何者か?我々はどこへ行くのか?《深読み 千と千尋の神隠し》vol.37
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2019年12月XX日
途方もない考えに取り憑かれた男の夢の中
第一階層『千と千尋の神隠し』
国道21号の分かれ道
道路標識の中に書かれた3つの21…
国道21号、Route 21、そして最後は「中岡㉑」…
ここにも知恵が必要ね(笑)
舞台のモデルになった山梨県上野原市の甲州街道沿いには、「とちの木」はもちろん「中岡」という地名もない…
「中岡」は本来「甲府 大月」であり、「とちの木」は「コモアしおつ」だ…
つまり「中岡」も「とちの木」も架空の地名ということになる…
しかし、架空の地名だからといって、決して適当につけられた名前というわけではない…
一見どうでもいいことのように思えるが、驚くべきことに宮崎駿監督は、絵コンテの段階で「中岡」と書くように指示している…
つまり、あそこに書かれる地名は「上岡」や「下岡」ではダメ…
どうしても「中岡」でなければならなかった…
「国道21号」は「嘘の甲州街道」で「神道」を表す…
「Route 21」は「Revelation 21」で「キリスト教」を表す…
となれば、「中岡㉑」が表すものは「仏教」…
賢い人は「中岡」と「21」にどのような意味があるかを考えるがよい…
地名は人間を指している…
そして数字は「5」と「16」の和である…
人間を指す「中岡」とは、この少年のこと…
漫画『はだしのゲン』の主人公、中岡 元…
そして、足して「21」になる「5」と「16」とは…
浄土真宗中興の祖 蓮如(れんにょ)の説法をまとめた書「御文(おふみ)/御文章(ごぶんしょう)」の「五帖目 第十六通」…
仏教の死生観を端的に言い表した名文として名高い『白骨(はっこつ)』のこと…
中岡ゲンには、友子という名の最愛の妹がいた…
しかし、幼くして友子は亡くなり、悲しみに打ちひしがれたゲンは、火葬の際に『白骨』を唱誦する…
全文が引用される、とても印象的なシーンだ…
現代語訳すると、こんな感じになる…
浮雲のような人の世の有様を つくづく考えてみると
本当に儚いものは 初めから終わりまで
幻のような この世の一生である
今だ一度も 万年の寿命を受けることができた
という話を聞いたことはない
一生は過ぎやすい
今の時にどれだけ 百年の身を保つ者があるだろうか
自分が先になるか 他の人が先になるか
今日かも知れず 明日かも知れず
人々が前後して死んで行く様は
草木の根元に落ちる雫や 葉先から落ちる露よりも
数多い事だと言える
だから 朝には血色の良い 若さのみなぎる顔も
夕べには ただ一塊の白骨となる身である
いったん無常の風が吹いてくると
二つの眼はたちまちに閉じ
一つの息も永遠に絶えてしまうから
若さのみなぎっていた顔も 虚しく色艶を失い
モモやスモモのような美貌も消え失せてしまう
その時には 親類縁者が皆集まって
どんなに嘆き悲しんでみたところで
最早どうにもならない
いたずらに悲しんでもいられないからというので
野辺に送って 夜半の煙としてしまうと
ただ 白骨が残るだけである
哀れというだけでは
到底その意を尽くすことはできない
だから 人間の儚いことは
老人でも 若者でも 死ぬ時の後先は決まっていないのだから
どんな人も早く「後生の一大事」を心にかけて
阿弥陀仏を 深く 頼みにして
念仏を申さなければならないものなのである
あなかしこ あなかしこ
まるでジャックの最期のようだわ…
おそらく宮崎駿は、映画『TITANIC(タイタニック)』を観て、『はだしのゲン』を想起した…
なぜなら、レオナルド・ディカプリオ演じるジャック・ドーソンは、中岡ゲンにそっくりだから…
中岡ゲンは、原爆で死んだ父の影響で、絵の好きな少年だった…
天涯孤独の身となったゲンは、地元広島の中学を出た後、絵で未来を切り拓こうと上京する…
そして、未完の第二部では…
もっと広い世界が見たくなり、芸術の都フランス・パリで画家の修業をするため、貨物船に乗り込んで海を渡る…
ジャックもゲンも、十代後半にパリで修業した画家の卵…
そして、同じように「運命の人」と出会い、生涯でたった一度きりの恋に落ちた…
『タイタニック』と『はだしのゲン』には、同じようなシーンが登場する…
中岡ゲンの「運命の人」である光子は、まだ出会って間もない頃、ゲンが大切にしているスケッチブックを見た…
そして、その絵に衝撃を受ける…
スケッチブックの中の絵は、ゲンが光子を夢想して描いたものばかりだった…
ジェームズ・キャメロンと同じように画家でもある宮崎駿は、ジャックのスケッチブックの秘密を見抜いた…
ジャックが描いていた女性も、すべて「運命の人」ローズの姿…
あのスケッチブックは、ローズの未来を描いたものだった…
だからローズの「You see people(あなたには人々が見えている)」に対し、ジャックはこう答えた…
「I see you(僕には君が見えている)」
そして、ゲンの絵に感動した光子は…
自分をモデルにして絵を描いてほしいと言い…
長椅子のような岩の上でポーズをとり…
その姿をゲンは描く…
まったく同じシチュエーション…
ジャックがローズの絵を描くシーンを見て、宮崎駿は、ゲンが光子の絵を描くシーンを想起した…
そして、光子の「光背(後光)」と「川に流れるモミジの葉」も…
『はだしのゲン』の作者 中沢啓治は、まるで光子を神仏や聖人のように描いていた…
だから彼女の背後には、いつも光背(後光)が輝く…
そして中沢啓治が「川に流れるモミジ」で伝えようとしたのは…
もちろん広島名物の「もみじ饅頭」ではない…
それは、若い二人に「悲劇的な別れが来る」という残酷な未来…
神仏に重ねられる光子は、この直後、ゲンにとって永遠に手の届かない存在となってしまう…
あの「流れる手のひら」も「流れるモミジ」のようだったな…
ゲンが光子の絵を描く場面の「川に流れるモミジ」が意味するものは…
小倉百人一首の中の、あの歌…
ちはやぶる 神代もきかず 竜田川
からくれなゐに 水くくるとは
『百人一首 在原業平朝臣』
歌川国芳
『千早振る』は、若い頃に激しく燃えた恋を思い出して、在原業平が歌ったもの…
現人神である天皇の妃となり、永遠に手の届かない存在となってしまった恋人 藤原高子を想って…
『業平朝臣負二条局落行図』
月岡芳年
『千と千尋の神隠し』では、こうなった…
そして、ハクと千尋の永遠の別れの場面の風景は…
『はだしのゲン』の「白骨」の風景とよく似ている…
画面左下にある大きな岩と、その下にある草むら…
遠くに見える山々の稜線と、流れゆく雲(煙)…
ハクと千尋が別れた場所も、元々は「海辺」だった…
明らかに宮崎駿監督は「白骨」を意識してあの場所を描いている…
宮崎駿は余程この「白骨」が好きとみえる…
『The Wind Rises(風立ちぬ)』でも「白骨」は使われていた…
最後に堀越二郎・カプローニ伯爵・菜穂子の三人が交わす言葉は、まさに「白骨」の思想…
だから、この道路標識だったわけね…
どうしても「白骨」を落とし込みたかったから、「中岡」という地名と「21」という数字を描き込んだ…
それは「とちの木」という地名にも言える…
宮崎駿は「コモアしおつ」を「とちの木」に置き換えた…
ここにも重大な意味が隠されている…
甲州街道の行く先として道路標識によく書かれている「大月」の駄洒落「大うそ月」じゃないけど、「しおつ」という地名は大嘘…
本当に嘘ばっかり(笑)
その通りだレウコノエ…
「コモアしおつ」の「しおつ」は漢字で「四方津」と書く…
「四方津」とは「四方に船着き場・桟橋がある」という意味…
つまり「四方を海や河川に囲まれた場所」という意味だ…
しかし、実際には「コモアしおつ」の四方は山だらけ…
そもそも山梨県なのだから、そんな場所などあるはずがない…
だから「不思議の街」の四方を囲む海は、嘘の海だった…
最初は騙されて海があるのかと思ってたけれど、それは幻と消えた…
あるはずのない海も大嘘だが…
それ以前に宮崎駿は、もっと大きな嘘をついている…
山の上のニュータウンは、あんな風に崖っぷちにはなく…
国道からは「見えない」のだ…
うふふ…
だから「とちの木」なのね(笑)
「中岡」が「上岡」や「下岡」では意味をなさないように…
「とちの木」も「かしの木」や「もみの木」ではいけない…
あそこは「とちの木」でなければならないのだ…
まったく、とんでもない男だよ、宮崎駿という御仁は…
Hayao Miyazaki
やっと全ての材料が出そろった…
あとは、それを読み解く知恵が必要…
賢い者は「とちの木」にどのような意味があるかを考えるがよい…
「とち」は、数字を指している…
その数字は…
「十」と「千」である…
つづく
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