「ドストエフスキー 地下室の手記② 私以外私じゃないの」『深読み LIFE OF PI(ライフ・オブ・パイ)& 読みたいことを、書けばいい。』
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2019年9月19日 夜
スナックふかよみ
そう…
「underground」や「地下室」と誤訳された「подполья」とは…
神の世界、つまり「天国」のことなの。
神の世界、天国…
たしかに人間の住む世界を「部屋」に例えると、天国とは「部屋の住人からは見えない、隠されたスペース」ですが…
じゃあ「подполья」に籠っている「世捨て人」って誰?
ドストエフスキーが「この世に存在するべきだけど架空の人物」だと言った「手記の筆者」って、いったい誰のことなの?
それは第1部の第1章を見ればわかるわ。
ねえ、深読み名探偵さん?
ですね。
『地下室の手記』第1部の第1章は、こんな書き出しで始まる…
わたしは病的な人間だ……わたしは意地悪な人間だ。わたしは人好きのしない人間だ。
いきなり(笑)
「わたし」は性格が悪いってわけね。
だけどそんなの、ほとんどの人が当てはまるんじゃない?
うふふ。確かに(笑)
「わたし」の職業は「公僕」だった。
しかも、こんなタイプの…
わたしの陣取っていたテーブルの傍へ、人民どもがいろんな問い合わせなどに寄ってくると、わたしはがみがみと、噛みつかないばかりにどなりつけて、うまくだれかを取っちめた時なぞは、抑え切れないほどの満足を感じたものだ。しかも、それは大ていうまくいった。彼らはおおむね臆病な連中ばかりだった。いわずと知れた請願人気質というやつである。
え? これはちょっと性格悪すぎるわ。
公僕でありながら、最悪ですね。
人の風上にも置けないゲスの極み野郎です。
そして「わたし」は、こんなふうに自分を正当化する…
わたしは意地の悪い役人だった。人に乱暴に当たって、それをもって快としていた。なにしろ、わたしは賄賂を取らなかったのだから、せめてそれくらいの報酬は受けてしかるべきだったのである(これは悪い洒落だが、わたしはこれを消さないことにする。)
役人として賄賂は受けとらなかったけど、人には乱暴に当たった?
そしてそれは当然のこと?
支離滅裂すぎる…
そして「わたし」は、ある軍人について語る。
その軍人はやたらと「軍刀」をアピールする男で、「わたし」はそれが目障りで仕方なかった…
が、ダンディ連の中には一人我慢のならない将校がいた。こいつはいっかな降参しようとしないで、虫唾むしずが走るほど軍刀をがちゃがちゃ鳴らす癖があった。わたしはこの軍刀のことで、やつと一年半ばかり戦争をつづけたが、とうとう勝利はこっちのものになった。やっこさん、がちゃがちゃをやめてしまった。
なぜ「わたし」は、軍刀の音にそこまで嫌悪感を抱き、やめさせることに執着し続けたのかしら?
まるで軍靴の音に過剰反応する人みたいね。
刀とは何の関係もない立場なのに、まったくもって意味不明としか言いようがありません。
「わたし」は自分のことを病的な人間だと冗談めかして言ってましたが、本当に病気だと思います。
だけど「わたし」は、一連の意地悪行為は「嘘」だと語る。
本当は正反対の人間であると…
ただの悪ふざけをしただけなので、本当のところ、一度も意地悪になれたためしがない。それどころか、まるで反対の要素が、自分の内部にあまるほど充満しているのを、ひっきりなしにかんじた。そいつが、その正反対な要素が、わたしの体の中でうようよしているのだ。これが生涯、わたしの内部でうようよしながら、どうかして外へ出ようとしていたのは、自分でもちゃんとわかっていたけれど、わたしはそいつを出さないように抑えていた。わざと外へ出さないようにしていたのだ。それが恥ずかしくて、顔から火が出るほど苦しんだ。体じゅう痙攣で慄えるほどの苦しみだった。
なんで「正しいこと」をストレートに表に出しちゃいけないの?
別に恥ずかしいことでも苦しむことでもないでしょ?
「正しいこと」を表に出せず、偽りの自分を演じなければならなかった「わたし」は、こんなふうに寂しくつぶやく…
わたしは単に意地悪な人間ばかりでなく、結局なにものにもなれなかった。悪人にも、善人にも、卑劣漢にも、正直者にも、英雄にも、虫けらにもなれなかった。
うーむ…
やっぱりホントは、意外といい人なのかも。
だけど最後は大暴れする。
世の尊敬を受けている、鬢髪に霜をおいた、芳香馥郁たる老人どもにいってやる! 世間のやつら一同に、面とむかっていってやる! わたしはこういう権利をもっているのだ。なぜなら、わたし自身、六十まで生き延びるからだ。七十までも生き通すからだ! 八十までも生きつづけるからだ!
なにこの歪んだ長生きへの執着心!?
やっぱり「わたし」はヤバい人だわ。
いったい「わたし」とは誰なんだろう?
見当もつきません…
そんなの決まってるでしょ!
え?
「わたし」以外「わたし」じゃないの!
は?
さあ!踊るわよ!
アンタはトラッキーね!
岡江ッチはティガーやって頂戴!
いや… でも… 私、あのダンスは…
大丈夫。僕に合わせて踊ればいい。
ちょっとォ! なんでアタシが外れるわけ?
どう考えても人選ミスでしょ!
仕方ないわね…
じゃあ傑哉、アンタはセンターのピンクうさぎをやって頂戴。
ジャビット君の妹、ビッキーちゃんね。
サンキュー良ちゃん!恩に着るわ!
あらあら。
いったい何が始まるのかしら?
それじゃあ行くわよ!
『私以外私じゃないの2』、ミュージック・スタート!
うふふ。おもしろい(笑)
いゃあ、トラとウサギのダンスですか…
われわれも参加したかった。
やれば出来るじゃない。バッチリだったわよ、大林少年君。
そ、そうでしたか?
ふぅ… いい汗かいた。
やっぱり定期的に体を動かしたほうがいいかもしれない。
心なしか、頭がスッキリしたような気がする。
身体を動かすことは大事ね。
あたしもモノゴトを深く考える時は、合い間にストレッチしたりウォーキングしたりするのよ。
じゃあ運動して頭が冴えたところで、「わたし」の正体を解き明かしてもらおうかしら。
今度は出来るわよね、大林少年君?
は、はい…
なんだか出来るような気がしてきました。
では、第1章の「オチ部分」を見ていこう。
まず「わたし」は「自分の小さな片隅」に引き籠った理由を語る…
去年遠い親戚の一人が六千ルーブリの金を遺言して死んでくれたので、わたしはすぐに辞表を提出して、自分の小さな片隅に閉じこもってしまった。わたしは前からこの一隅に住んでいたのだが、今度はそこに閉じこもってしまったのだ。わたしの部屋は汚いやくざなもので、町はずれにあるのだ。女中は田舎出の婆さんで、馬鹿なために意地が悪く、おまけにいつもいやな臭いをぷんぷんさせている。
自力ではなくタナボタで今の身分になったわけですね。
そして前から住んでいた「自分の小さな片隅」に閉じこもるようになった。
女中は田舎出の婆さんで、教養もなく、あまり好きではない。
うーむ…
まだわかりません…
最後に「わたし」は、住んでいる「町の名前」を口に出す。
散々文句を並べながら、その町から出て行かないと宣言するんだ。
はたして、その理由とは…
わたしは、ペテルブルグの気候が健康に好くないし、わたし風情の貧弱な資力でペテルブルグ住いをするのは非常に骨が折れると、人から注意を受けるのだが、そんなことは自分で百も承知している。それをもっともらしく忠告する、経験と知恵の塊りみたいな連中よりも、ずっとよく心得ている。が、それでも、わたしはペテルブルグに踏みとどまっているのだ。ペテルブルグを出て行きはしない! わたしが出て行かないわけは……ええ! わたしが出て行こうと行くまいと、そんなことはまったくどうでもいいではないか。
ここペテルブルグだったの?
ドストエフスキーが住んでいた町でしょ?
ロシア帝国の首都サンクトペテルブルグ。
なぜ「わたし」は「出て行かないわけ」を、言おうとして止めたのでしょうか…
「どうでもいいこと」とか言いながら、本当は言いたくてたまらない感じがします…
すごくあやしい…
そう。「わたし」は「その理由」を言いたくてウズウズしてるんだ。
そして「自分の名前」も…
「わたし」には、ペテルブルグから出て行けない理由がある…
そこに踏みとどまらなければいけない理由がある…
だけど、それを口には出来ない…
そして「自分の名前」も…
なんだろう?
もしかして…
もう言っちゃってるんじゃない?
え?
ほら、推理小説なんかでもさ…
犯人が答えを先に言っちゃってることが多いじゃない…
「実はあの何気ない言葉の中に犯人の正体を示す秘密が隠されていた!」みたいな。
確かに、そうですね…
必ずと言っていいほど最初のほうで答えが密かに提示され、あとからそれに気付かされるんです…
でも「わたし」の「答え」になるような言葉なんてあった?
ぜんぜん人名っぽい単語なんて出て来なかったけど。
人名っぽい単語?
あっ!
ありましたよ!
え? 何?
ペ、ペテルブルグです!
ペテルブルグとは「ペテロの町・城塞」という意味です!
つまり「わたし」の名前は「ペテロ」ってこと?
そう。「ペテロ」が「わたし」の名前。
「ペテロ」は「ペテルブルグ」から出て行くことは出来ない。
なぜなら、「ペテロ」がいなくなったら、そこはもう「ペテルブルグ(ペテロの町)」ではなくなってしまうから…
笑っちゃうほど簡単な理由よね(笑)
サンクトペテルブルグのペテロって、使徒ペトロのことでしょ?
その通り。「わたし」の正体は「使徒ペトロ」だったんだ。
だから「わたし」は、ずっと「使徒ペトロ」として自己紹介をしていたんだよ。
例えば、これは…
わたしの陣取っていたテーブルの傍へ、人民どもがいろんな問い合わせなどに寄ってくると、わたしはがみがみと、噛みつかないばかりにどなりつけて、うまくだれかを取っちめた時なぞは、抑え切れないほどの満足を感じたものだ。しかも、それは大ていうまくいった。彼らはおおむね臆病な連中ばかりだった。いわずと知れた請願人気質というやつである。
問い合わせをする人々!テーブルでの恫喝!
これですね!
『最後の晩餐』レオナルド・ダ・ヴィンチ
まあ… 何が「彼らはおおむね臆病な連中ばかりだった」よ…
自分のほうこそ臆病者チキンだったのに…
この絵でペトロは、興奮のあまり、イエスと最も愛された弟子ヨハネに迫っている。
ヨハネの隣の席に座っていた「裏切り者ユダ」にぶつかっても全く気にもしていない。
これについても「わたし」は説明していたよね…
わたしは意地の悪い役人だった。人に乱暴に当たって、それをもって快としていた。なにしろ、わたしは賄賂を取らなかったのだから
なんてこった…
そして「わたし」は「刀」をトラウマのように語っていた…
これは、イエスを逮捕しに来た兵士の片耳をペトロが切り落としてしまい、イエスから「剣をとる者は皆、剣で滅びる」と注意されたからだね。
『ユダの接吻』
「アンヌ・ド・ブルターニュの大いなる時祷書」より
うまい…
さすが文豪ドストエフスキー…
そして「わたし」は、なぜか「正しいこと」を言えない自分と葛藤していた。
そいつが、その正反対な要素が、わたしの体の中でうようよしているのだ。これが生涯、わたしの内部でうようよしながら、どうかして外へ出ようとしていたのは、自分でもちゃんとわかっていたけれど、わたしはそいつを出さないように抑えていた。わざと外へ出さないようにしていたのだ。それが恥ずかしくて、顔から火が出るほど苦しんだ。体じゅう痙攣で慄えるほどの苦しみだった。
これは福音書に描かれる、ペトロの一連の「意地悪で寒い発言」のことを指している。
ペトロは弟子のリーダー格でありながら、毎回かなり寒い発言を繰り返すんだ。
極めて自己中な発言だったり、イエスの言うことを全く理解していない見当はずれな発言だったり…
極めつけは、師イエスが大祭司の館へ連行された時ね。
弟子団のリーダーとして様子を見に行ったくせに、女中から「あなたはイエスと一緒にいた人ですよね?」と聞かれて、すかさず「そんな人、知りません!」って否定してしまった。
そして、それを恥じて号泣したの…
『ペトロの否認』
ヘラルト・ファン・ホントホルスト
福音書でペトロがかなり痛い人に描かれてるのは「たとえ弱い人間でも悔い改めることで救われる」ってことを言いたいからでしょ?
ダメ人間ペトロをトップに置くことで、教会の敷居を低くするという戦略。
その通り。だから「わたし」は愚痴をこぼしたんだ。
福音書の中では何とも微妙な人間として描かれているから。
わたしは単に意地悪な人間ばかりでなく、結局なにものにもなれなかった。悪人にも、善人にも、卑劣漢にも、正直者にも、英雄にも、虫けらにもなれなかった。
ペトロは「長生きへの執着心」もあったのですか?
かなりの悪あがきでしたが…
わたしはこういう権利をもっているのだ。なぜなら、わたし自身、六十まで生き延びるからだ。七十までも生き通すからだ! 八十までも生きつづけるからだ!
ペトロは、イエスから「老後の姿」を告げられた。
『ヨハネによる福音書』
21:18 しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう。
これは「どうあがいても処刑から逃れられない」という意味の預言だったので、ペトロは不安になってしまう。
そしてペトロは、誰かと比べることで安心しようと思ったのか、他の弟子の寿命についてイエスに尋ねた。
だけどイエスに厳しく釘を刺されるんだ…
21:20 ペテロはふり返ると、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのを見た。この弟子は、あの夕食のときイエスの胸近くに寄りかかって、「主よ、あなたを裏切る者は、だれなのですか」と尋ねた人である。21:21 ペテロはこの弟子を見て、イエスに言った、「主よ、この人はどうなのですか」21:22 イエスは彼に言われた、「たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるか。あなたは、わたしに従ってきなさい」
晩年、ローマに住んでいた時に処刑されそうになって、弱虫ペトロは逃げたのよね。
だけど街道の途中に現れたイエスから「あなたが逃げるなら、わたしがもう一度十字架に掛かろう」と言われて、ローマで死ぬ運命を受け入れた…
『主よ、どこへ行かれるのですか?』
アンニーバレ・カラッチ
ローマへ戻ったペトロは「逆さ十字」で処刑され、墓地に埋葬された。
そして後年、初代教皇として称えられるようになり、墓地だった場所にサン・ピエトロ大聖堂が建てられたというわけ…
ん? ちょっと待ってください…
「わたし」は、こんなことを語っていましたよね?
わたしはすぐに辞表を提出して、自分の小さな片隅に閉じこもってしまった。わたしは前からこの一隅に住んでいたのだが、今度はそこに閉じこもってしまったのだ。
この「前から住んでいたけど、その後ずっと閉じこもることになった小さな片隅」って…
ローマの片隅にある「バチカン」のことじゃ…
その通り。バチカンは教会の総本山。
イエスはペトロにこう言った。
「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」
「ペテルブルグ」とは「ペトロの城塞の町」、つまり「バチカン」のことだったんだ。
そして教会とは、天国を模したものであり、その玄関口でもある…
ペトロはイエスから「天国の城門の鍵」も受け取っていたから…
『聖ペトロ』
ピーテル・パウル・ルーベンス
「わたし」が住んでいた町「ペテルブルグ」とは「バチカン」のこと…
「わたし」が籠ることになった「подполья」とは、「地下室」ではなく「天国」のこと…
そして「わたし」の名は「ペトロ」…
こういうことだったのね。
じゃあペトロって架空の人物なの?
え? 実在の人物だと思いますが…
それって矛盾してると思わない?
ドストエフスキーは序文で「手記の筆者」のことを「この世に存在するべきだけど架空の人物」って言ってたじゃないの。
あ、そうだった…
「わたし」は実在の人物ペトロだけど、「手記の筆者」は架空の人物…
どうなってるの、これ…
別に悩む必要はない。
「わたし」以外「わたし」じゃない、というだけのこと…
は?
「手記の筆者」は「わたし」じゃないんだ。
つまり「わたし」と「手記の筆者」は別人なんだよ。
だからドストエフスキーは、あんな序文を用意したんだ。
べ、別人!?
つづく
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