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#24 自分のパニック障害について振り返るよ

昨年の夏にパニック障害を発症して、療養歴半年になります。そろそろ再就職に向けて動き出そうと思っているので、振り返りを兼ねて自分の病気のことなど、思いついたままを残したいと思います。たぶんまとまらない文章になると思いますが、よろしければお付き合いください。

最初に書き始めたのが2月上旬でした。先日アップした#22『春はつらいよ』を読んでくださった同じような境遇の方がいらして、フォローもしてくださり本当にありがとうございます。保存したままだったこれを世に放つことにします。

パニック障害の症状が出た当時を振り返る

一番大きな症状が出てから半年たちましたが、思い返すと昨年の春ごろから少しづつ症状が出ていました。私の仕事は事務職だったので、年度末から年度初めは仕事が忙しい期間です。毎年のことなのでやることは変わらないのですが、いつにも増して疲れがとれない日が続きました。もう40代だし年齢的にも体にガタがきやすいので年齢のせいだろう、仕事が落ち着くゴールデンウィークにゆっくり休めば大丈夫だろうという感じでした。

しかし、ゴールデンウィークを過ぎても疲れがとれず、日々の仕事にも身が入りません。集中力も欠き、就業時間中に仕事を終えられず、繁忙期でもないのに残業が続きます。無駄な残業をしないように気を付けていましたが、改善はほとんどみられませんでした。

いよいよ仕事中に話しかけられるのも苦痛になってきて、とにかくイライラしていたし、上司の小言にキレそうになることもしょっちゅうありました。自分に対するものもそうでしたが、同僚が小言をいわれているのを見ると発狂したくなってそれをグッと堪えるのが辛かったです。

夏が近づくにつれていよいよ体に異変が出ます。まずは「汗」です。暑くもないのに朝から大量の汗が出て、更年期が始まったかなと思ったのですが、婦人科の定期健診でもそんな所見はなかったの不思議でした。あまりの汗の多さに、職場で向かいの席の大先輩から「ちょっと汗出すぎじゃない?病院で調べてもらったら?」と心配されるほどでした。同じころ胸のあたりがチクチクし始めます。しだいに動悸がするようになり、更に呼吸もままならなくなります。

そんな日が少しづつ増えてきて、自分の体がどうなってしまうのだろうと不安になってきた頃、とうとう一番大きな症状が出ます。通勤中に過呼吸になり動けなくなりました。なんでこんなことになったのか訳が分からず、涙も止まりません。職場の人に助けを求めて自宅まで送ってもらい、その後職場に行くことなく退職することになったわけです。

自宅療養中何してた?

自宅だけで活発に過ごしていました。家事を手伝ったり、運動不足にならないようにYouTubeで体を動かす系のチャンネルを見ながら運動したり、かなりいきいきしていました。本当に病気ですか?っていうくらい。

ただそれは家の中でのはなし。敷地外には出られないんです。外出して呼吸がおかしくならないかという不安もあったけど、それと同じくらい世間の目が怖くて出たくないんです。被害妄想と言えばいいのか、自分が他人にどう映るのかとにかく怖かった。月に一度の通院も苦痛でしたが、できる限り人が少ないであろう時間帯を見計らって行っていました。

療養から3か月くらい経って、世の中の外出制限も緩和されたタイミングで思い切って2泊3日の旅に出ました。荒療治な気もしましたが、外出したい気持ちが出てきたので、少しは前に向き始めているかもしれないと思って。
私のことを知らない土地なら気も楽だし、ひとりの時間も欲しくなったし、何か理由でもなければ行動に移せないから。

旅行に行って、他人と久しぶりに会話したり、街をぶらぶらする時間が結構楽しかったです。旅行が趣味だったけどいろんな理由で行けなかったので、私がようやく自分らしくなるきっかけになったような気もしています。

旅行から帰ってからは、近所のスーパーなどに買い物に行くこともできるようになりました。これなら年が明けたら就職活動始めてもいいか主治医に相談しようかなと思っていました。

順調すぎて何かをやりたいと前のめりになっていましたが、そううまい話はないわけです。

年明けに引きこもりになる

年明け早々に祖母が他界して、葬儀やその他諸々の対応をする両親を手伝っていました。ようやくひと段落した時に、久々に多くの他人とかかわったことで疲れが出たのか、無気力になってしまい、動きたくなくなりました。生活リズムも狂ったし、食事とお風呂とトイレ以外は部屋から全く出なくなりました。普通のリズムに戻るまでに10日ほどかかったと思います。

元に戻ったからと言って、気持ちも元に戻ったわけではありません。
この程度で動きたくなくなっているようでは社会復帰なんてまだ無理だなと痛感しました。それでも外で用を足さなければならないことが続いたので、必要に迫られた外出はしていましたが、年が明ける前の「前のめり感」は一切なくなりました。

一歩進んで二歩下がる ってやつです

昨年末、年内最後の定期通院の時に主治医に「年明け2月か3月くらいから就職活動を始めたいけどどうでしょう」とお尋ねしたところ、無理のない範囲で社会復帰の準備をするならOKだけど本格的な就活は時期尚早という回答でした。

祖母の他界は偶然としても、精神疾患は調子のいい時ほど危険だっていうことを主治医は言いたかったのでしょうね。

半年で分かったこと

精神疾患の場合、頭を使ったり考えごとをせず、リラックスした時間を過ごすように医者から指導されます。本当にダメな時は指導されるまでもなく「何もできない」「何もする気が起こらない」状態なので、その時は無理をせず休むようにしていますが、病気の症状が落ち着いてくると、時間を持て余す感覚がおとずれます。

この感覚って前に向かう(一歩踏み出す)きっかけじゃないかと個人的には思っています。私は昨年の10月頃からその感覚を意識するようになって、見逃したくなかったんですね。

だから、荒療治とは思いながらも趣味の旅行をきっかけに前進しようとしました。ところが、祖母の他界でまだまだ道半ばと思い知ります。

一連の経験で無理しても何もいいことはないと学びました

祖母の葬儀の時は、喪主の父や親せきの対応で忙しくなる母を助けなければとひとりで背負って、その時は気を張っているから頑張れてしまうけど、その後のダメージは大きかった。

頑張らなくてはいけない場面はこの先も訪れると思います。よく「頑張らないでいい」って言うけど、生きていく以上頑張らないことは不可能で、どうしたらいいの?ってモヤモヤするんです。

これから病気とどう付き合うか考えてみた

本当に個人的な見解ですが、精神疾患は完治しないと思っていて、恐らく腰痛持ちや頭痛持ちのように生涯付き合っていく病気だと考えています。どう付き合っていくのかという部分は、

「傾向を知る」「頑張らない」「無理しない」

というありがちなところに今のところはたどり着いています。答えは一生見つからないし、その時々でうまくやり過ごしていくのだろうなと想像しています。

いま現在も調子はいまいちなので、決して抗うことなく、流れに身を任せたいと思います。

やっぱり纏まらなかったけど、これが私の現在地ということで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。


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