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男性性被害者としての屈辱的な15年

(※性被害等具体的表現があるためフラッシュバックがあるかと思います。気をつけてください。※)

※完成してからのつもりでしたが、PTSDや鬱で体が言うことを聞かなくなったため、未完成の誤字脱字ばかり、殴り書きに近い状態で公開させていただきます。内容を一刻も早く周りの人たちへ知らせないといけないため。そして現在読み返せてなくて、訂正もとてもじゃないですができてないです🙇だから稚拙な文になる事をお許しください。


未就学児だった私は同性の男に泣き叫びながら脅され何度も肛門を犯され、汚れた肛門を舐めさせられ、悪臭の中男性器を咥えさせられた。そして尿か性液かわからない頃に性器から出る物体を体から浴びさせられる。それを何度も行われたからとてつもない痛み・臭い・そして何より加害者の顔がこびりついている。そして何より被害を耐え続けなければ少し前に死にかけた母の身が危ないと未就学児ながらに思っていた。だからこそ20年経った今でもとてつもない恐怖と殺意が消えない。現場は家から30メートル先。集合住宅の同フロアお互いにどうとでもなってしまう。

未就学児への性暴行がこのような形で肯定されてはいけない。そしてそれが許される限り私に生活ができない。


※現在、加害者達からの犯行を認めた上での悪質な対応、さらに性被害の後遺症で購入したマンションでの生活が困難をいい事に自分の祖母からの2000万のピンハネなどまだまだ問題が山積みです。

預けられるまでの経緯(母の自殺未遂)

辛すぎて記憶が飛び飛びながらも今でも忘れはしない。

母が急に女で一人となり、離婚調停に関する対応に追われており、疲れ果てていた。それも内容が内容なだけに(父が急に半年以上行方不明となり、その後匿名の通告不倫・隠し子発覚。それと同じく姑の嫌がらせ。)私は母方の祖母に預けられ、地元のお祭りに一緒に行った。そんな母を喜ばせるために祖母と一緒に母へサンタのスノードームを買った。まるで私がサンタになったかのような気分でその重い扉を開いてしまった。
母は大量の睡眠剤などを焼酎瓶1本で飲み倒し倒れていた。女手一人になることを悟ったであろう日から、私に辛さ、弱さを悟らせまいと強くしていた母の見たいことのない姿でずっと「助けて苦しい」「ごめんね」と繰り返していた。ある意味それも私の中ではトラウマとなっているのかもしれないです。祖母は急いで119に電話をして、私はこのままでは母が死んでしまうと思い、一人玄関を飛び出した。近所の人たちに「ママが死んじゃう」と泣き叫びながら助けを求めて回った。皮肉にも真っ先に助けを求めた走ったのは、のちに十年以上吐き気と嫌悪、恐怖を覚える場所に安全を求めていた。もともと加害者の母と私の母話を聞くと加害者の父親が勤務している病院に緊急搬送されたようだ。その日は祖母のところに泊まりテレビの明かりでおじいちゃんの姿を見て心細い気持ちを閉じ込めて寝ようとした。そんな時に一言かけられた「いつかお母さんを支えてあげれるようになるんだよ」そしてその後のことを覚えていないがそれをきっかけに加害者の家に預けられるようになった。本来であれば恩人。私もそれをよくわかっている。しかし感謝ができない。なぜならされてきたことが常軌を逸しているから。

性被害の全貌(※閲覧注意)

 母の一件があった後、私は加害者達の家に預けられることとなった。母としても加害者の母親は保母の資格を持っており、父親は小児科医。何より仲がいいし目と鼻の先だから自分の子供を預けるには十分過ぎるほど信用に足りる。最初は加害者は医者の息子で将来を有望視されていたのかは知らず塾等でいなかった。加害者の母親と私の二人で過ごしていた。子供ながらに部屋が綺麗で加害者の部屋を見て「ダースベーダーの首フィギュアかっこいいなあ」くらいにしか思っていなかった。また預けられた帰りに加害者の母親からチョコの[小枝]を貰ったりいい記憶しかなかった。
しかし徐々に塾などで忙しいはずの加害者だけが部屋に残り、母親はどこかへ消えていった。未就学児の自分を相手に加害者は最初は軽いキスを何度も求められ、そこから下を入れられ、子供ながらに違和感を感じ「やめて」と言っても聞く耳を持ってもらえず、次に預けられた際は裸にさせられ、あらゆるところを触られた。
そして要求はエスカレートしていき、当たり前のように預けられ、二人っきりになるとキスから行為を始められる。そして相手も当たり前のように私が嫌がっていてもこなし、加害者から「今回はちんちん舐めて」と言われ未就学でもちろん知識などないながらに『汚いところ』という認識があり避けていたが、近所の憧れのお兄さんという認識を持っており、もちろん良し悪しや逃げ道を教えてくれる大人なんていなかったから従うしかなかった。子供ながらに唾液の匂いなどが特に臭く苦しかった。そして今度加害者が移行したのは肛門での行為であった。知識がないありとあらゆるものの匂いがこびりつく。肛門に指などを入れられるにしてもそもそも知識がない。だから唾液などをおそらく使われていたと思うが唾液も匂いが耐えられないのにそれを入れられる。そして校門を舐めさせられたりなども毎回しっかり洗ってあるのかすらも危うい、非常に苦しい最初は指を入れられ、そこから男性器を使った行為まで。預けられる回数が増える度にエスカレートしていく。子供ながらに裸で肛門を開かされて遊ばれるためだけに押し付けられる床の冷たさも息苦しさ。そして押さえつけているからこそ見えず、急にくる痛さも…私も理解ができていなかったながらに痛さ、気持ち悪さ、匂いに耐えられなくなり私は泣き出した。しかし逃げられないため加害者の親に助けを出せる唯一の方法と思って裸でいた。しかし帰ってきた加害者の母親の前で今思い返すと妙に饒舌だったのも思い出す。なにか私が突然脱ぎ始めたかのような説明をされた。その時私は尿も漏らしていたかもしれない。脱がされたにもかかわらず。誰も助けてはくれなかった。そしてそこから15年近く手を差し伸べてくれやはしない。

また、母が信頼を置いていたために黙っているしかなかった。

(母が自殺未遂した後に弁護士に送っていた内容、それほどに信頼していた。)

(申し訳ないがあの時加害者が性器から出したもの、舐めらされたりしたものが尿なのか性液なのかはわからない。)

預けられたことへの終わり

私は母に告げ口を禁止されていたが「お尻の穴に指を入れられている」などは母に言えていたようだ。(体感ではもっと言ってきたつもりだが。)

母曰くずっと言っていたのが「あの子が来ると必ず保育園の連絡帳がなくなる。そしてその子が必ず見つけてくる。」と、ずっと不信感を抱いておりさらなる決め手に私が「お尻の穴に指を入れられている」などと伝えたことで


母親の顔色が曇っていくことがわかり言えなかった部分、口止めされていて気持ちが悪かった部分もある。未就学ならが被害を受けていた時から母を守らなくてはという気持ちが強かった。

(弁護士とのやりとりにてわかるように未就学の段階で自分でどうにかしようとしていた。)


その後


自分

なんとなく自分のされたことが理解できるようになった頃には事件現場である家を通ることが苦痛だった。しかし、マンションのシステム上どうしても通らなければならない。そのため私は子供ながらに外の世界に出るために通らなければならない敵のアジトのように感じていた。しかし思春期に差し掛かるあたり(小6)思春期がくるとともにそんな頭のおかしいことを、性的なことをされた気持ち悪さから外に出れなくなり、毎日戦地に赴くような気持ちで動き、加害者達と乗り合わせたりした際は最悪であった。またエレベーターを降りても外に出ても、近くのスーパーに出向いても会ってしまう。

実家から加害者宅(事件現場まで)

自殺未遂。

自分の体が受け入れなくなった。ずっと頭の中でムズムズしていた。
そんな時に中学が始まり、皆が性へ目覚めていく中母や精神科に言っても理解してくれなかった。さらに事件現場は玄関先の家。30メートルの距離でエレベーターを乗るのも非常用階段を使うにしても必ず前を通らないといけない。「誰も理解してくれないのか…」「この体でみんなと同じように生きていける気がしない…」と。その時から眠れなくなってしまった。精神科にて睡眠剤を貰い、しばらく考えたのちに「死のう」と思い薬をまとめて全て飲んだ。

一人の若い人間が死のうとしてもこうも何も変わらないものかと。絶望したと同時にその程度なんだなってカッコつけるわけでもなく13の時に悟った。生きてしまったことへものすごく悲しかったし、「死にぞこない」とも呼ばれた。そしてそう呼ばれ続けるに等しい苦しい数年を歩まなくてはいけなかった。

外に出ることへの恐怖から部屋から出ることもなく、何かあれば真夜中に出歩き歯を磨くことも体を洗うともになくなる中学を過ごした。当時本当に歯を磨くことができず歯の神経は16の頃には神経は10本以上ない状態であった。ただ加害者達を擁護するわけではなく、全てが加害者達が悪いわけではない。自分のチックという体の病気や学校というところでの生活の難しさはまた別で感じてはいた。しかし先ほど述べたように外に出ることが何より怖かった。


学校へはもともといじめに遭いやすく、チックというものもあったため行けるタイミングが少なかったが、朝の活動的な時間に加害者達に会うのが本当に恐ろしかった。そのため小学校6年の中学では市の特別指導教室(不登校児のフリースクール)を活用して中学を過ごしていた。


救いだったのが高校の時は加害者達と会うことも少なく、比較的に体調面は悪くなかった。そのため高校時代の人間関係に今でも救われている。


精神科

小学校の頃から高校入るまで精神科(思春期外来)病院で話していた。私にとって性被害というものは消化できないものだったから。5年間ほどずっと行ってきたが当時の女性医者はあまり熱心には聞いてくれなかった。ずっと暖簾に腕押しだった。性被害の告白から症状を言っても「一旦その話は置いておいて、お腹痛いのはどう?」などだ。横における話ではなどではない。そんな中最後言われた。「素敵な景色をみたりしたらきっと良くなるよ!」実際素敵な景色を見れたがよくはならなかった。なぜなら事件現場が目の前で、それだけ悪質な行動をされたのだから気が休まるわけがない。たまにそういうことを言われるのだが、きっと綺麗な景色しか見てこなかったから理解ができないのだろうか。加害者とエレベーターで乗り合わせてしまったら二人っきり、密室があるのだから。そんななのによくなってなんの価値がある。相手は常軌を逸しているなんてものじゃない。異常者なのだから。


※この話に嘘がなく、私には嘘をつく症状の病気や精神状態ではないことは病院にてずっと証明されています。

母 

10年以上何度も助けを求めたが、無理解だった。今となっては私側になって怒り、それと同じように自責から苦しんでいる。しかしそこまでくるまでに全くもっての無理解だった。

加害者達をめぐり母から警察を呼ばれる。

2020.11.2? 加害者の母親が自分の祖母が半年前に亡くなったことを聞き線香を持ってきた。玄関先インターフォンがなった。玄関先からだとドアから見るようになっている。加害者の母親が立っていた。私はすぐに母にバトンタッチした。その時私の顔色は曇っていた。母は事情を知っていたが問題視していなかったため普通に「〇〇ちゃ〜ん!!(加害者母の名)」を嬉しそうに開けていた。 しかし私はその間恐怖でずっとウロウロしていた。母はもらった線香を嬉しそうにどこかにおいたが私は隠れてそれを割って捨てた。
2020.11.26 私が19歳になってすぐ。
それからしばらくして加害者の母親が野菜を持ってくる。
またもインターフォンがなり私はすぐに母に変わり、PTSDでふらふらの状態で帰ってもらったら2度とピンポンをさせないように母親に強気に話す準備をしていた。母はもらった野菜を嬉しそうに玄関に置いたが私は限界だった。(自分の子供がこいつが預かってこいつのガキに好き勝手犯されたんだぞ?)(こんな気持ち悪い奴が置いてったものを嬉しそうにおくなよ…捨てろよ。)そう思っておりその気持ちを気を遣いながらも母に話をした。そしたらぽか〜んとした顔で「じゃあじいちゃんにあげる〜」いや捨ててくれ。気持ち悪いから家においかないでくれ。ただただ頭の中がそれでいっぱいになりパニックになりながら「野菜を今すぐ捨ててくれ」と言ったところ母が怒った「食べ物に罪ないでしょ!」「今度おいてくるから」と。気持ちが悪く反吐が出るかと思った。加害者が置いてきたものだからもしかしたら変な薬が入っていて変なことをされるかもしれない。現実的ではない考えかもしれないが私はその現実的ではないことをその人たちからされたからとにかく必死で拒んだ。なんなら加害者たちとこんなに仲良くしている母すらものすごい拒絶。今まで何を言っても理解してくれなくて、それでも耐えてきた。でも今回ばかりは耐えられなかった。もらった野菜を投げた。グシャグシャになった。それを見て母親は家からすぐの警察に行った。「息子が暴れてます」とでも言ったのだろう。



玄関が開いて母が2,3人の警察を連れて入ってきた「こんばんわー」と入ってきて別室の母親に一人、私に2人の警察がついて話を聞いてきた毅然とした態度でいた。警察にも舐められないように、すぐに動画を回して。ふざけた対応されたことがあるから。本来警察大っ嫌いだ。心の中ではすごく心細く訳がわからなかった。何も悪いことしてない。性被害にあって気持ち悪い人たちのものが近くにあるのが気持ち悪いと思っただけったのにと。2,30分話をした。きかれたことはしっかり答えようと。途中から入ってくる警察にも「落ち着いて喋れてますね」なんて言っていただけたくらい冷静に反していた。そして性被害のことをも伝えた時に「母親に確認とってきます」とおまわりさんが母へ行ったそしてしばらくして帰ってきた答えが
「お母さんは性被害のこと知らなかったって」
その時溜め込んできた涙が止まらなかった。ずっとずっと辛くてずっと母親に入ってきたつもりだった。母親のことを信頼できない時もわかってくれると思って行ってきた10年間を一瞬で否定された気分だった。知らない訳がない。もう疲れてしまった、疲れてしまっていたあの時の自分はもう。誰にも話す気力も無くなってクタクタだった。その時おまわりさんが「大変だったね、性被害。その野菜は食べたくないよね。」と。寄り添ってもらえた。初めてだった大人の人が寄り添ってくれたことが。10年間自分の言葉で伝えてきて初めて反応してもらえた気がした。カウンセリングで話す対応と違う。もちろん司法じゃどうこうできないなんて考えていなかったし本来警察からの2時被害というものが激しい中。おまわりさんから「子は親を選べないもんな」と言われた時にここにきてやって理解されたとうれしっかった。でも母の気分は治らず、加害者が30メートルにいる場所で暮らすのは難しいという話になり私は違う場所での生活が妥当なのではないかという話になった。

深夜3時に19の僕は自転車で寝どころを求め自転車を走らせた。


性被害をめぐり引越し。

しばらくネットカフェで寝泊まりして過ごした。背中が痛くて、違う場所見つけなければならないためこのままでは流石によくないため仕方なく自分があまり好きではなかったが父方を頼る。

性被害をめぐったことを言ってもあまり理解を示さないため、父方が嫌いな母との喧嘩だと話すとあっさり話が通った。

※音声を元にしているため単語を間違えていたらすみません。

加害者父親との話し合い

2021.3()
性被害による理不尽な引っ越し、PTSDにおける治療などで私が怯えながら精神科にいかなければならないのに加害者たちはのほほんと暮らしている。それに腹が立っていた精神科の帰り道にふと思った(怖いけど、もし帰り道に加害者の親を見つけたら声をかけよう)と、そう思い立った瞬間その帰り道に加害者の父親は少しくたびれたようにコンビニの袋に菓子パンを入れて家まで歩いてた。これは何か運命のイタズラだと思い、正直吐き気やめまえ、体の全てが拒否をしていたが無理やり声をかけた。すぐに返事は帰ってきた少しうれしそうに「あ、恭ちゃん〜」との感じだった。私はすぐに「ちょっとご相談したいことあるので少しお時間いいですか?」と投げかけた。すんなりと了承してマンションの同じフロアに移動する。「私は性被害にあって、それが…」少し間ができてしまった。自分の頭の中では(自分の子供がそうやって言われたら否定するよな…)などと考えていた。「あ、あなたの息子さんです。」そういうと少し驚いた顔をしたが間髪入れられないように私が話をした。「あなたの自宅に預けられている間に性被害にあって今も苦しんでます。」そうすると「SMS?だっけ、小説とか書いてみたら?同じ被害者の人とあってみたら〜」と少し真面目な面持ちで伝えてきた。そこから「病院とかいってるの?ほら俺メンタルクリニックの先生じゃないからさ〜」そこから何歳ごろかと経緯を話したら驚くほどすぐにあっさりと自分の子供が「やったと思うわ、いややってたわ。うん。やったわ!」と受け入れた。

そこから饒舌になると「いや〜俺もなかなかくろうしてるけど恭ちゃんかなり苦労してきてるよね〜」「大変だよなぁ!うちのカミさんと恭ちゃんのお母さん仲良いもんね!」
まるでパズルのピースがハマったかのように「辻褄があうわ〜!あの時さ、うちの息子いじめられてたから!なんかさ、ほら家に呼んだ友達に家の中で殴られてたんだって!」「それなのにさ〜うちのカミさんはさ、『やり返せ!』なんていうからさ笑」「俺はさ、ほら忙しいじゃん?笑だからカミさんが寄り添ってあげればさ〜」などと責任転換を始めていた。仮にも小児科医だろ?話が最後の方になると「本当に申し訳なかった。」と薄毛かかった頭を下げられた(自分もちょい薄毛なので悪口とかではないっす笑)。本当に反省しているのかと思ったら「今度飲もうよ〜」などと言われ挙句の果てには「恭ちゃんはやっちゃだめだよ〜」などと言われたためこれでは終わらせてはいけない。そしてこんなことで私の生活の安心が確保されるわけではないので私が「しっかり今後を考えてください。」と伝えると「いや〜忙しいからなぁ〜」と。それではダメなので「真剣になってください。私は苦しんでるんです。償ってください。」と厳しく伝えると「わかった。今後についてしっかり対応する。」との返事がもらえたのでその場では解散した。

加害者母親との話し合い(私が加害者の親に泣きながら土下座。)

2022.2()
約1年立っても答えもない、それどころかいつも通り加害者の母親からはいつも通り甲高い声で呼ばれる始末。限界に近かった。そのため母に加害者の母親を呼んできてもらうことにした。

いつも通り甲高い声で、まるでこれからサプライズでもされるのかのような能天気に入ってきた「やっほ〜恭ちゃ〜ん!」風呂上がりのような雰囲気に青色のAndroid携帯を持っていた。

性被害について旦那から話を聞いているかと聞くと「え!?しらない。『恭ちゃんと話したよ』とだけは聞いた」旦那は隠していたようだ。

私が性被害にあったとこを伝えると「ちょっと待って気持ち悪くなった」

でもそんなところで私は言葉を止めなかった。

今まであなたの息子へされてきたこと。それによって私の人生にどんな影響を与えたか。

ずっと黙って聞いているだけだった。
私はいつしか泣きながら土下座をしていた。「引っ越しの有無だけでも聞かせてください。」それも自分の母親に見える場所で。なぜならもう性被害から楽になりたかったから。
でも残念自分。もっと辛い状況でもっとこいつらに追い込まれるよ。

「返事を出します。」とのいった。

加害者家族と対峙、大いに悪化。

2023.01.30

その時で父親は2年、母親は1年。返事を出すと言ってほったらかしっぱなし。

堪忍袋の尾が切れていたところにちょうど加害者、そしてその親がエレベーターに乗り込んできた。それも私を奥に追い込むような形で。その間に話をしてやろうと前回のように携帯の録音等を起動させていた。我々が降りるはずの1階下で降りたお爺さんがいた。同時にしれっとおりようとした。その時に私が声をかけた「おい、なんもなしかよ。こんなに苦しんでんのに。そろそろ返事くれてもいいんじゃねえの?」3人揃って鳩が豆鉄砲を食ったようを食らったような顔をしていた。そうすると父親が小さな身を出してきた「病院行けよ笑」思わず聞き返してしまった。懲りずすぐに「病院行ったら〜」と。ふざけた対応をされて思わずどういうつもりだよ…と心の声が漏れてしまった。病院に行っている。それも10年前からそのことを訴えてきた。それも知っているはずなのに医者である人間からそのように言われて頭に来た。


医者である人間が苦しめておきながら「病院に行けよ」そして小児科医がぺどを吐口なら許されるような考え。

その回答に「あんた自分の子供すぐに疑えたよな」と伝えると少し時間をあけて「あんたに合わせてやったんだよ。」

合わせてやったというが咄嗟に父親は上の文が出てきたのか。そして自分の子供が児童小児性愛者と思われる行動をしているのになぜ【合わせる】ことをするのか。

私はこの日を一生忘れないだろう。ここまで腹が立ったことは後にも先にもなかった。

私に襲いかかるような態度をしてきた。私より加害者、父親は20cmほど背が引く。びびるには無理がある、しかし私には加害者に無理やり行為をさせられた過去があるため、また親と一緒になってこちらにくるということが体がパニックになっており、より深くPTSDになってしまった。もちろん男性だからこそ男が、それも加害者たちよりも全てにおいて大きな存在が殴りかかってくるモーションなど何度か経験しているが、なぜだか体が一番恐れていたのは悔しいがそいつらだ。本当に体が怖い。

なお加害者は自分が招いたその一部始終をまるで安全なところにいるかの様な涼しい顔して私の全身を舐めるかの様に見ており、小さな体に似合わないロングコートに缶コーヒーを持っていた。そして缶コーヒーに呑気に口をつけていた。

華奢な加害者の母親が小さな旦那と加害者を手を引っ張って非常用階段で逃げていった。私に立つ向かうそぶりをしておきながら簡単に引っ張られていってた。

2023.03.23

加害者宅前に引越し業者が出入りし、段ボールが積み上がっている。

その様子を弁護士に報告すると「確認してきなさい。」と。断れず電話上でも強い口調で言われたため泣く泣く加害者宅へ赴くことへ。

「なんでしょうか?」今までのKpopスターを呼ぶような甲高い声のおばさんはもういない。気持ち悪かったからそれでいいんだけども。

話があってきた旨を伝えると

「ちょっとまってください」とリビングへ消えていった。まずその間私は事件現場にいるわけだから気が狂いそうだった。息も上がり頭がおかしくなりそうでしんどくて。

加害者母が加害者父を連れて登場。開口一番に言われた言葉は

「邪魔しないでもらえるかなぁ?」

弁護士から伝言を預かってきたことを伝えると加害者の母親は少し困惑した顔で父親を見つめていた。

結果私一人で行って舐められて終わり。

ここまでされて未就学児だった僕への犯行を認めた加害者の父親(小児科医)からの一言「邪魔しないでもらえるかな?」
弁護士から確認を求められて玄関先で一声かけただけでその言われよう。

少し愚痴らせてください。本当に腹が立つ。何が気持ち悪いか待ってだよ。待ってもくれねえで好き勝手やってきたくせによ。何が邪魔しないでもらえるかなぁだよ。こっちは記録に残してきたか、何十年の人生を犠牲にさせられたと思ってんだよ。邪魔してんの明確だろ。若い奴の人生を。それに何かあれば頼りない自分の旦那呼んだり。結局一人でなんもできねえくせに、全部被害者で未就学児相手に背負わせるんだな。

現在

私のことで言えば実家に帰ることがドクターストップがかかっている。そのため4年ほど一人くらいを行なっている。また都内の病院に週2回高い交通費・治療費・薬代を支払って足蹴なく通っている。

加害者の現在はわからないがおそらく来年(2025年)医師国家試験だろう。
加害者の父親は相変わらず不動の小児科医で、母親は引っ越している。

加害者達の異常性



ここからは推測になるが加害者は歪んだ思想・癖を持ったまま医師になる。

それも正当化され、反省することもなくむしろ絶好の環境下で。

加害者

当時小学校6年〜中学1年の間だと思う。未就学児を相手になぜそのような興奮対象としたのか。そしてなぜ流れるようにできたのか。アダルトビデオにおける影響なのか、はたまた肛門への行為へ慣れていたことから男性同士のビデオによるもののなのか。いや実際にされていたとしか思えないような慣れ。加害者の親がいうようにいじめの吐口で行われたとしてもその歳の子がどのように、どうやってその行為を覚えたのか。「保健体育でやるよ」という言葉の背景に加害者も被害者の背景があるのか。もしかしたら子供ができてから急に変わったという父親からされていたのか。考え出したらキリがない。また、電池の±も理解ができていなく、未就学の私が説明してあげていたほどだが、なぜもそう言った悪知恵があるのか。

加害者の父親


一度も否定をしていない。

きっと父親の威厳を見せたくなってしまったのかと思っていたが、あそこまで子供を売れてさらにあの必死さ何かが変。そして「恭ちゃんはやっちゃだめだよ〜」と簡単に言葉にしたがなぜ繰り返すことを理解しているのか。普通の人だったら繰り返す概念を持っていない。

またあの妙な饒舌。いじめられていた子供の話、そして自分の子供が性暴力を行なっていたのではないかという疑いを向けられているにも関わらずあのテンション感は性被害に関して無知だったのか、もしくは自分が子供に…という推測まで可能にしてしまう。

音声にもある通り小児科医である人間が自分の子供が児童小児性愛者の行動をしておいてと言われて、あっさり理解した上で子供の過去も話せる。そして百歩譲ったとして合わせたというが合わせられてしまうこと。そして問題認識が引くすぎる点。

それに何より小児科医であり、子供も医師を目指すことが安易に想像がつく人間がいじめでの吐口で未就学児に性的欲求をぶつけ暴行することが正当化できてしまうことが恐ろしい。
合わせただけだというのなら加害者はいじめられてはいなかったのか、おそらくいじめられていたであろう。ストレスの吐口に子供が使われることを認められるなら小児科医という仕事はストレスが一度でもかかれば子供に手を出していいということになるのだろうか。  鎮圧するかのような。辛いと言っている被害者に「病院に行けよ」と言えてしまうこと。自分が返事をすると言って自分の奥さんにも伝える言っておきながら隠したこと。「恭ちゃんと話したよ。」とだけだったと隠していた点。

 ※HPにて音声あります。

加害者の母親

「視界から消えて欲しかったからだ。」 吐き気と恐怖を必ず目に入れなければならない環境で日常を送ることなんて不可能だから。そして一度認めている。

何より恐ろしいことは追い込まれている未就学児に性的暴行を行っておきながら誰一人事実確認せず、児童と関わることも

事件のことを告発する前は私の母とすれ違う際は「⚪︎⚪︎リン〜!」などと話していた、私とすれ違う際も甲高い声で「恭ちゃ〜ん!!」などと言ったまるでKpopアイドルのライブ会場でしか聞かないような声で話しかけてきた。しかし今はすれ違うと睨みを効かされる(自分の子供に睨みきかせておくんだったな)

今は違う所に引っ越している。

あと私はどうやらこの人たちと運命のイタズラによく会うようだ。夜に父が不倫をした飲み屋の前を通ることがあり、加害者の母親に似た人が派手なドレスを着て立っていた。私たちがその現場でそういうことがあったにもかかわらず。また、その飲み屋というのは現在閉店しているが我々同じマンション内の住民が経営していたため大いに考えられるが、なぜそこで働くのか。理解に苦しむ。(まあどうでもいいが笑)


性被害者への鎮圧。(二次被害)


10年ぶりとなる父との会話。性被害者への怒鳴り。

怒鳴りたいのは私の方だ。伝えたいことが多すぎてまとまらないが私はお前のせいでこの被害に遭ったのだと。お前が飲み屋で金目当ての借金1000万作り自分の子供を置いて次の男を探してた女に家庭があるにも関わらず腰を振っていた間に、私は脅され逃げられない「ぱぱ〜」なんて助けも求められないどころか名前を出すだけで母の顔が曇るからと小さな口をグッと堪えてきた。それなのに…
個人的な言い方は抑えても、父が飲み屋で不倫をして子供を作ってしまったが故に初めった今回の一件。

私が父に8年ぶりくらいに会った際に

鳩が豆鉄砲を食ったよう顔だけを作り、続いて私に諭すように言ってきた。「俺はな、あの時子供作ってしまったけど今家庭がある。今がとても幸せだ。だから過去は振り返らない。振り返るとお前達を」

「金かよ。」

10年ぶりに電話越しに会話をした。

もしもしと電話すると不機嫌な声で「はい。」

あなたの息子にあたる人ですと伝えると
「しってます。」と
私があなたが好き勝手やったことで性被害に巻き込まれていて、弁護士を使うほどになってます。というと

「金か!?!?金なんだろ!?!?」

私は何かあった時にバックアップをお願いしますと言おうと思ったら
「結局金か(笑)ああそうなんだろ」と悟ったような、自分に浸っている声で伝えてきた。

自分の孫が性被害にあって生活できない事をいいことに2000万の儲けを試みる父方のおばあちゃん。


俺はこいつらのせいで先ほど述べたように生き地獄だった。外に出るにしても毎日そこをみて通らなきゃならない。それは毎日一人戦地に赴くような気持ちだった。夜にしか出歩けず。

加害者たちのよる悪質な言動などに苦しめられ、実家のマンションに住むことが難しいとわかると本来私名義になるマンションを「2000万引いた価格で売却を進める」と弁護士伝に送ってきた。自分の孫が、それも苦しみながら母と憎き弁護士が頑張って私が犯されながら紡いだマンションを、あの人たちからしたら「孫が性被害にあったおかげでマンション住めなくなって2000万くらい得できちゃう!」などと言った考えなんだろう。恐ろしい。これがおばあちゃんのすることなのか…
人の前ではいいおばあちゃんをするが、実際は自分のせいで人がくるしんで泣きじゃくりながら助けを求める電話をしても「眠いから寝るね。」と電話を切れてしまう人の心がない人間だ

そして家族より会社が大切な人。大切なフリをして他を横に置いている。
祖母から言われた衝撃的な一言は、私が性被害等に遭うことになった背景を知った時に言われた言葉である「会社のためには犠牲が必要なのよ。」


10年ぶりとなる弁護士との会話。性被害者への怒鳴り。

マンションが住みづらいこと、引越しを検討していた際にこちらを住むにあたり尽力してくださっていた弁護士に確認で電話を入れておこうとしたら「おじいちゃん地に来るような気持ちできなさい。」と言われ弁護士事務所へ。
2022年3月都内の事務所待っていると10年ぶりに遭うこととなった。話をペンで紙に書いていったいた。私は法律的にやり合うつもりは全くなく。ただただ加害者たちから離れたかった。しかし色々と聞かれ、ふらふらになって伝えていた時に急遽弁護士から「弁護士としてではなく、個人として言わしてもらうよ。」と始まった。室内に響き渡る強い口調で「そんなことで人生を変えてはいかん!!!」とお説教が始まった。饒舌に、まるで自分が講演を依頼されているかの如く「私はね、死ぬほど憎い人がいた。でもね、許している、神に許しを与えようと。私はね無宗教だけどもね。」私が言った「危害を加える人が近くで暮らしているんですよ」立て続けて言われた「私はね、死ぬほど憎い人と一緒になっても気にしない。許してるから。」続けてこう言われた。「君が更生するのなら無料で手を貸す。いい精神科を紹介するよ。」

まあ本当にいい精神科だったのだけ感謝です。

加害者達との言い争いがあってから二ヶ月ほどで引越しの準備をしていた。そんな加害者達の動きを報告したところ「あなたは相手方に(事件現場に赴いて)確認してきなさい。身の安全を確保することが大事だ。」「行きなさい。」などと高圧的な態度で言われた。信頼していたために行ってきたが結局はふざけた対応をされ終わった。後日弁護士と会うことになった際にヘラヘラしながら「実は〜君のお母さんに頼もうと思ってたんだよね笑」と言われた。どれだけの恐怖や殺意、体を壊したのか。本当に私がいかなければいけなかったり確認しなくてはいけないのであれば腹をくくる。しかし被害者を事件現場。それも現場に足を赴くことが難しいという症状の私に向かわせといて何を言っている。そこから

「次に動くためにまた話し合う必要がある。」「医者から「実家に住むことが難しい」となったら動く。」などと言って1年。結局医者から「戻ることができない。事件現場に戻りたいわけないじゃない。」と言われた途端に尻尾を巻いて逃げ、母によくわからない理由で怒鳴り、実際は弁護士の勘違いだったとわかれば「僕もボケたのかなぁ…」しらねえよ。やると言って、こちらが頼んだでもないのに1年半待たせて結果は「代理人にはなれません。」でも都合のいい案件では動きますよ。そして他の弁護士の顔色を伺ったような文を出した。

正直性被害における二次被害の中で一番傷ついたかもしれない。それだけに信用していた中で、仕事をしてくれると信じ高圧的な対応、言い方にも耐え、やるという言葉を信じた。結果はジェンダーを軽視しているだけのご高齢弁護士だった。


そんな人間に言いたい。だったらやると辛い人の上に無理やり立ってくるな。1年半無駄にした。加害者たちに有利になる行動ばかりで被害者をまるで異常者扱い。こんなふざけたことをあんたらがやるから同じ被害者の人たちが苦しんで命を断つんだ。ふざけるな、2度とふざけた真似はするな。(メールにて長文で送ったが「ごめんね、ごきげんよう。」だけだった。)

被害者を支える人たちの限界。

正直ここまで詳細に書くことになって一ヶ月以上ろくに寝れてない。おう吐が止まらず何度も叫んでしまっているし体が動かない。何度も目と鼻の先にいる加害者達に危害を加えそうで。でもそこまでして知ってもらわないと。それまで書き出さないときっと理解を募れない。

確かに性被害に関して理解を示してくれたのは警察が初めてかもしれないが、サポートしてくださているのは彼女だった。ずっと。付き合って4年経つがずっと性被害のことが悪化しすぎてPTSDなどに気を遣ってくれて過ごしてくれている。そんな彼女も体を壊すほどのストレスを抱えることとなってしまった。

恋人の手すらも恐怖で払ってしまうことが多々ある。

恋人とのスキンシップですら蘇り体が拒絶してしまうことばかりだ。

気持ちとしては何をしてくれてんだよ。そんな環境の中必死になってできた素敵な人との時間、潰してくれて。そして自分をずっと支えてくれている人もとてつもないストレスを感じながらそばにいてくれてる。

PTSDの悪化によってだいぶ生活が制限され、出口のないストレスでおかしくなっている。私もここまでのストレスを感じて生きた心地がしない。

加害者達は今頃すやすやと


私が限界を感じたのは中学の時が初めてで、自殺を試みた。

もしこれで全てがダメならどんな手を使ってでも勝つ。必ず殺す。

彼らにお灸を据えるにはそれしかない。


見てわかるように性被害における被害者への対応は軽視されている。



彼が父親と同じ小児科医になり、少なく見積もって1時間に5人を7時間、週5日見たらどうなるか。一ヶ月で700人、1年で8400人本当に好き勝手にできてしまう可能性を持たせる。

私の告発がしっかり届けばお灸を据えられるかもしれない。

お灸も添えられてない、それどころか周りが肯定する。馬鹿だ加害者は。だって近所の子供にそんなことしてしまう後先の考えられない。

性暴力について12歳の時から伝えてきており、まとめてあるように腫れ物、異常者、時には犯罪者のように扱われてきた。(今はそんな人たちいなくなりましたが。)

異常者扱いされることで誰かの未来を救えるのなら、こんなにいい話はないのかもしれない。

自分の限界


まずずっと加害者たちへの恐怖から明らかに理性では制御の効かない殺意。ここまでの理不尽を呑んできて尚且つ飲まされるのならば

そして自分の大切な人たちとの時間が奪われ苦しんでいく姿を見ているとこれ以上理性が聞く保証がない。

自分も被害ごとと向き合いたくなくて他のことで誤魔化すようになる。それでさまざまなものへ手を出して壊れていく自分と、伸び伸びしている加害者たちを見ているともうそろそろ限界。

PTSDには強い怒りという症状もある。いつしか加害者たちは弱い被害者像を当てにしているがおお間違い。加害者たちが強い怒りをもって行動している例を見ている。日本の元首相まで巻き込まれているのに。

PTSDロングコートの髪の長い女性・白髪の物凄く背の小さな中年男、ワイシャツ姿。あの恐怖から今でも足がすくんでしまうか、ものすごい殺意で確認しにいくことがほとんどだ。

もちろん加害者に関してもだ。しかし街中だと顔が似てて恐怖することはあるが加害者にぱっと見て身体が似ている人が少ないためなかなかパニックにはなりにくい。顔が異常にまで大きく、背が低い(159?)くらいだと感じた。しかしそれでも似ている人を見るとパニックになる。


加害者に似た人を見てパニックなり倒れてしまった。駅のミント色の床の

述べたように神経がなくなるほど歯が磨けていなかったりしたため虫歯の治療歯医者に行く間に加害者に遭遇してしまい私は歯医者で泣いてしまった。

大学にて性被害のことをまとめている間に泣き出して別室に行こうすることなど。


Change or Die

先ほどにも登場した三世第に渡ってお世話になるところだった弁護士は私に怒鳴りながらこう言った「そんなことで人生を狂わせるな!」
愛情だろうがなんだろうがおかしくなるかないんだよ。みんなおかしくなっているじゃないか。ボロボロにされて。そこまで行き着いてやっとでむちゃくちゃにされて 誰が救えんだよ。

私はこのまま全てを受けれたら被害者にあるにも関わらず弁護士、医者、血縁すべてに騙されて2000万以上損をさせられ自分の家を失う。しかもたかだか小児性愛者のために。たかだか意地悪な身内のために。そして相手は罪を認めて尻尾の出していて戦えるにも関わらず白旗を上げたら成功例としてどれだけの被害者が生まれる。そして5,6歳の自分が必死になって耐え、守ってきたものをこの歳になって手放すわけにもいかない。

異常者だとまで扱われた。私は異常者なのか…と思っていた。
しかし時代が変わり、現代において私の発言に聞く耳を持ってもらえ、慰められ、そして勇敢だと同じ被害者の人たちから、世界中まで誉めてまでもらえるようになった。私は一度も発言を変えていないにも関わらず。嬉しいというよりやっとか、私は間違っていなかったのだという少しの安堵を感じるようにしっかり安心できるためにはしっかり解決していかなければならないと強く思った。

てか性被害に負けたくない。




私が一番何もしたくない。てか本来何もしなくていいはずの人間。被害者の方に教えてもらって納得した例えをお借りします。『交通事故の被害者が瀕死寸前なのに交通整理しているようなもの』本当にその通りだと感じてます。もしこのまま自分が立ち止まってしまったら。それはある意味死を意味している。誰も問題提起しないで、誰もお灸を据えないどころか私側の弁護士までも加害者達に加担している。私が精神疾患で、病院で治せばいい。本当にそれでいいのか?心の殺人鬼が周りの援助を、被害者側の人間までもがしてしまったらやり続けるだろう。しっかり向き合わせなければならない。

それぞれ「忙しい」「そんなこと」などと言って頑張ってみないようにしているが必ずその蓋を開けなくてはならない。いや開けさせなくてはいけない。いつまでも被害者が腫れ物、臭いもの扱いして正当化する文化を消さなきゃこれから先心も身体も殺される人たちが増える。

ほぼ実名に近いような状況で、ここまでやらないと人が動いてくれないこと自分は知ってる。そしてここまでしても何も動かないかもしれないことも知ってる。なぜなら一度命をベットした結果を見てるからだ。


被害者の私が思ってること


被害を訴えてきてからずっと相手にされず、影では好き勝手言われていたのに、今下馬評価が覆っていく。そして時間が経てばより大きなものになるのだろうと感じているからこそ。過去の自分に「よく生きていてくれた」と言いたい。4年間迷惑しかかけてないが自慢のパートナーにも会えて。素敵な親友にも恵まれた。学校にろくに登校できたのなんて高校ぐらいだったけど素敵な部活も一緒に立ち上げて一緒に進めれた。そして憧れてた人と奇跡的にお付き合いできて4年間もずっと一緒にいる。

今度は自分はもっと違う舞台で輝くんだ!なんて意気込んでたけどずっと暗い部屋であいつらに怯えてギターだけ弾いてた。ギターすら弾けない真っ暗な環境に戻っちゃったけどまた必ず色んな人連れて輝かしいところにいく。ちゃんと今回の悪質な奴らを倒す。

まとめていて思いましたがこの話に出てくる人の中でまともな人っていましたか?笑そんな中10年真面目にやってきたんで今になって報われてます笑そしてこれに目を通している人がこう言ったことに問題認識してくださってるのできっとまともな方でしょう😭ありがたいです😭

一人で大きくなった気でいたけど、ずっと誰かに支えられてきたからこそ今回はしっかり



最後に

思うことが多すぎてまとまらない。

それを肯定する人たちも。無意識で肯定している人たちも。当事者を回避するというのならしっかり残るもので書きまとめ、向き合わせなければいけない人たちに向き合わせるために書きました。

性被害・虐待、凶悪犯罪など体験したものしかわからない。それもテレビや電車の一瞬などではなく継続的に、直接的にそうでないもの達は臆面もなく他人事で「何かあったら司法・行政がどうにかしてくれる。」などと信じてやまない。きっと恵まれていたのだろう。その人達の見る景色は。セーフティの引かれたところでしか見ないから想像もできない。それどころか

被害者が勇気を振り絞り声を上げてもセーフティの引かれた景色しか見てこなかった#恵まれた人たちが悟ったような面持ちをして「世の中そんなもんだよ。」「みんなそれぞれ持って生きてんだから。親に打たれたことあるし!」などと始まる始末…

今まで私は性被害という言葉一つでみんな理解してくれると思っていたから。しかし実状は無理解で二次被害(セカンドレイプ)の嵐。

私、というより被害者を追い込む縮図。
加害者の異常性と今後の危険性。そして周りの異常性を。


私が金目当てでやってるのではないかという意見についても、私は十年以上苦しめられておきながら加害者達と話した際にずっと言ってきました「お金等はマジで求めてないから私の近くから消えてくれ。」と。それも何回も

マジな話若くて知識もあるしこの時代で金なんていくらでも稼げるのに誰が好き好んでこの被害でっち上げて、それも本来命を救われたような人を晒しあげてするかよ笑 それにこの活動自体に相当額入れて、学業も他の大切な時間全て犠牲にして。これから実家も母が命懸けで守った家も捨てて。マジバカでしょ。こんな不利な状況で笑魂すり減らしていろんな人に裏切られ

それに加害者の母親だって俺らのこと助けようとして、本当に中よくて救いの手を差し伸べたくてやったんでしょ?俺だってあの未就学の頃母親が死ぬって時にあなたに救いの手を求めに行った。そしてその時手を引いてくれた。そんなことをしてくれた人たちに嘘ついて追い込むような真似は絶対にしない。命に賭けてもいい。

私は皆さんにお礼に舞われてないのが心苦しいがいじめられてた時に多くの人たちに助けられてきた。性被害にこそ子供の頃母などに全くの理解をされなかったが、いじめられた時なんて同じ住民の方から同じ学校の人まで、何まで親身になってくださった。そして今の自分がある。その人たちのことを知っていたつもりだった。ただより痛いほど知ったのは加害者の親のやりとりを探すために母親の昔の携帯を全て起動して全てのメールに目を通したから。今でこそ話さなくなった学校の友達のお母さん。みんな自分の身体を心配して、荷物・欠席の連絡まで全て対応してくださってた。これを読んでいるかわからないがこの場を借りて、私の学校の際に少しでも関わってくださった方々、ありがとうございました。おかげで今の自分があります。友達にも恵まれ、パートナーにも恵まれて。そしてネット上でも支えられており…

振り返るとずっと支えられてる人生ですね… 笑っちゃいけないんでしょうがさっきまで一人ででかくなった気でいました笑すみません笑

終わったら俺の奢りでお世話になった方一緒にお酒飲みましょ。
こっちもくだらん奴らのせいで1年半以上の禁酒食らってるので、上機嫌で全国酒飲み音頭歌ってると思います。笑

そう言った人たちの未来もここにある。私がここで折れてしまって加害者が味を占めて絶好の状態にしてなにになる。なんの音沙汰もなくのうのうと事件現場なんかに近寄りたくない。それは誰だって一緒だと思う。











※この話に嘘がなく、私には嘘をつく症状の病気や精神状態ではないことは病院にてずっと証明されています。


この全て本当の話ノンフィクションの物語に、何ひとつ嘘は入れたくない。
そして私だけじゃない性被害者達の物語でもあると思う。これから先、司法や行政が整ってないからして性被害者が数千万損をして、人生の大事な時間を犠牲にして泣き寝入りのバットエンドだけにはしてはいけない。

みてくださりありがとうございました。全て事実で、こいつらが懲りず臆面もなく自分達が正しいと思って生きています。

加害者達は世の中の甘さをまた知る。
被害者がここまでしなくてはいけない、一番話したくない性被害を関わる人全てに提示している現状。
医者・弁護士・経営者、本来何があっても頼っていい親から祖母たちにまで、性被害者である人間を群れになって弱いものいじめ。

ここまで読みにくい文を読んでいただき本当にありがとうございました🙇

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