歳時記を旅する37〔凧〕前*右の肩落してのぼる武将凧
土生 重次
(昭和五十六年作、『歴巡』)
「凧」は、「たこ」か「いかのぼり」か。
「物の名も蛸や故郷のいかのぼり」。
延宝三年(一六七五年)、京都の俳人伊藤信徳が江戸に下って、松尾芭蕉・山口素堂と三人で三百韵を試みたときの発句である。
この頃、「いかのぼり」「いか」と呼ばれていた中国名の「紙鳶」が、江戸では上方王朝に対抗していかのぼりを「タコ」と呼びはじめたらしい。
和凧の基本形である角凧は、徳川中期(正徳・享保)から始まり、後期(寛政・化政)に確立した。
江戸文化を代表する浮世絵(錦絵)がそのまま凧絵になり、武者絵は歌舞伎上の人物が好んで描かれた。
絵柄は「暫」「景清」などの団十郎の歌舞伎十八番物、「義経」「弁慶」などの源平合戦もの、「水滸伝」「三国志」的な伝奇ものが選ばれていたという。
句は、傾いた凧絵が、さながら見得を切る役者のよう。
(岡田 耕)
(俳句雑誌『風友』令和五年四月号「ー風の軌跡ー重次俳句の系譜」)
*参考文献
日本凧の会ほか編著『日本の凧大全集』徳間書店
写真/岡田 耕
(相模原市 相模の大凧センター)
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