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伊達政宗の母と「白萩」

【スキ御礼】伊達政宗がお取り寄せした「白萩」


あきる野市大悲願寺では、政宗が書簡を送った当時の住職海誉かいよ上人の弟子の秀雄しゅうゆうが政宗の末弟だとされている。
しかし、伊達氏の系図には、政宗の兄弟は、政宗、小次郎の二人の名と早世した女二人の記録しかない。
政宗と母と弟との関係は、不明確だ。
政宗の母である義姫は、政宗よりも弟の小次郎を愛し、政宗を毒殺しようとして、それに激怒した政宗が弟の小次郎を殺害したとの記録がある。
一方で、大悲願寺の記録では、秀雄が政宗の末弟とされていて、異母のご落胤であるとか、小次郎本人であるとかの説がある。

ここでは、政宗が大悲願寺に送った白萩文書の内容から、政宗の母と弟の関係を想像してみようと思う。

政宗がこの白萩文書を送ったのは、推定で元和9年(1623年)とされる。(あきる野市HP、境内の案内板)。文献によっては前年の元和8年(1622年)ともされている。
二つの場合で想像してみる。

前年の元和8年とする場合。
白萩文書の日付は元和8年8月22日(旧暦、以下同じ。)となる。
この日、政宗は江戸にいた。大悲願寺の訪問後、江戸で8月22日に文書を書いていることになる。
この月、母の義姫は、生家の山形の最上家がお家取り潰しになったことで、仙台に迎えられている。
政宗はこの後10月に江戸を発ち、仙台で母の義姫と28年ぶりの再会を果たしている。
寺の教育委員会の案内板には「政宗は川狩りを好んだ」「たまたま政宗の末弟秀雄が上人の弟子として在山したという」との記載がある。
母に会うとなれば、弟の安否の話にも当然に話が及ぶはずである。
 高齢の母を仙台に迎えることになり、兄の政宗としては、そのことを弟に伝えるために大悲願寺に行ったのではなかろうか。
 案内板の記載が誤りというのではなく、弟の存在が公にされないためにも、表向きには「川狩り」をしに行って、「たまたま」逢ったことにしておきたかったのではないだろうか。
 白萩を仙台に送れ、というのは、母に贈ってやれ、という意味なのではなかろうか。
それならば、そのことをその場では言わずに、わざわざ江戸に帰ってから文書で伝えたのも納得がいく。

翌年の元和9年とする場合。
白萩文書の日付となる元和9年の8月21日(旧歴、以下同じ)、政宗は京都にいた。
萩の花咲く頃が8月頃なので、大悲願寺を訪れたのはこの年ではなく、1年以上前になる。年表によれば過去10年で政宗が8月に江戸にいて、大悲願寺を訪れる日程が組めそうなのは、前年の元和8年(1622年)しかない。
政宗は白萩を見てから1年後に思い立って文書を書いて送ったことになる。

政宗の母、義姫は前年の8月に山形から仙台に迎え入れられ、この年の7月16日に亡くなり、葬儀は8月5日に仙台で行われている。
政宗は8月に入ってから訃報を京都で知ったのだという。

すると、政宗は、母の義姫の死を知ってから3週間以内に、弟のいる大悲願寺に萩を所望する書簡を出したことになる。
政宗自身は、前年に母との再会を果たしているが、弟を母に会わせることはできなかった。
ただ、母には弟が大悲願寺で健在であることや、訪れたときには境内の白萩が美しかったことを伝えてあるのだろう。
弟には、せめて萩の一株でも母に供えておくれ、という気持ちを伝えたかったということになるだろう。

元和の頃は、豊臣家は滅亡し戦国の世も終わって平和な時代になった。
仙台藩の藩主、伊達政宗55歳。
現代で言えば、がむしゃらに働いた30代40代を過ぎて、社会での地位も安定してきたところ。
息子として兄として、親族や家族を顧みる環境にもなっている。

政宗が白萩文書を送った年の推定が元和8年か9年か、そのどちらであっても、白萩を仙台に送れ、という動機には、単なる趣味道楽ではなく、母の義姫の存在があったと考えたくなる。

そして、大悲願寺住職の弟子で政宗の末弟とされる秀雄とは、ご落胤ではなく、母を同じくする小次郎と同一人物であると考えたくなるのである。

最後に、政宗が母と再会した時の贈答歌をご紹介する。

年月久しうへだたりける母にあひて
あひあひて心のほどやたらちねのゆくすゑひさし千とせふるとも
(久し振りにお会いできて本当にうれしい。母君が千年も、いつまでも元気でおられることを、心から願わずにいられない。)

母の返し
双葉よりうゑし小松の小だかくも枝をかさねていく千世のやど
(双葉の頃から手塩にかけて世話した松が、大きく育って立派な枝を重ねている。いつまでもそうあってほしいものだ。)

伊達宗弘『武将歌人、伊達政宗』ぎょうせい 2001年


☆伊達政宗の弟、「小次郎」について、株式会社歴史と文化の研究所(渡邊大門)  さんが、記事にされています。参考にさせていただきました。ご紹介します。


(岡田 耕)

*参考文献(引用のほか)
佐藤憲一『伊達政宗の素顔 筆まめ戦国大名の生涯』吉川弘文館 2020年

写真/岡田 耕
   (大悲願寺 2022年10月2日撮影)


ありがとうございました。


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