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かぁさんは、夜なべして

いつも中盤になって
何故こんなコトを始めてしまったのだろう
と思う。

わたしは今、
息子のエプロンと三角巾をつくっている。

来週、保育園で何か料理?をするらしく、
「一人で脱ぎ着できるエプロンと三角巾」を用意してください。
とのこと。

4歳の息子はリボン結びなどはできないし、
当然、背中のボタンや三角巾を結ぶことも先生に手伝ってもらわないとできないだろう。
「一人で脱ぎ着できる」??
と思いネット検索すると、首にかける紐がゴムやマジックテープになっているエプロンや、結ばずにゴムの付いている三角巾がチラホラ出てきた。

ナルホドねー
みんなよく考えるねー

サイズ展開されたフリーの型紙もあれば、
既製品も販売もされていた。

使用日まで後1週間…
今ならネットで頼んでも届くよね。

そんな事を思いつつ、考えていたのは押入れにしまってある布達のこと。
息子が生まれる前や保育園入園前の準備の為に
変なテンションになって買ったものだ。

通勤途中にそれを調べていたわたしは、
型紙の乗っているホームページのアドレスをPCのメール宛に送っていた。

で、今に至る。


ポチっとした方が早いよな〜
コレ作るのに何時間かかるかな〜
そんな自分とのやりとりは何度もしたし、
自分の労働コスト&ブサイクな出来上がりと、
ボタン一つで家まで届けてもらえる二千円ちょっとの代物を天秤にかけなくても答え解っている。

始める前に、夫に「買えばいいじゃん!」と言われたけれど、
そう言われると「いや、作るから」と天邪鬼になってしまう自分でも不可解だ。


別に裁縫が得意でもないし、
縫った線はガタガタだし、
特別オシャレでもない。
まぁ、何となく自分の子どもが使える程度のものは出来る、というだけ。

必要な布も、材料も全てある。
そういった状況になると何故作り出してしまうのか。
そんな事が過去にチラホラある。

最近では、息子のスモックにつけるアップリケが市販では気に入ったものが見つからず、ドラ◯もんのアップリケをわざわざ布で作ってデカデカと付けたし、
娘の入園の際には、家にあるもので間に合わせで用意したお昼寝布団用の真っ白なシーツと真っ白なバスタオルに対する夫の「無地って寂しくない?」の一言で、これまた余り布や頂き物のタオルを駆使し、大きな◯ッフィーちゃんを作って縫い付けてやった。

裁縫が好きなわけでもない。
なのに、わたしは何故自分で作ろうとするのか?

節約?…そーゆー訳ではないし、、、
布が勿体無いから?…それはあるけど。
義務感?…いや、買えばいいじゃんって私も思うんだけど…

作らなくてはいけないという何か呪縛があるようで不思議でたまらない。


わたしの母も、わたしが幼い頃は色々なものを作っていた。
レッスンバッグや小物、家のカーテンやクッションカバー、わたしが入園式に着るよそ行きのワンピースなどまで。

母がそれを好きだったのかはわからないが、
裁縫は人並み以上には得意だったのだと思う。
そして、そういう時代だったのかもしれないが、あの頃は入園・入学に必要なレッスンバッグや靴袋、巾着などを市販のもので済ませるという感覚がなかった。

そんな時代から30年近くたったというのに、
わたしは子どもが生まれ保育園に入園するとなった時、
「作る」以外の選択肢を持っていなかった。
(あの時も夫に「買えばいいじゃん」といわれたっけ…)


これは幼少期の刷り込みなのか?
少なくとも、私は母に作ってもらって嬉しかったし、なんだか誇らしい気持ちだった思いはまだ残っている。

そうか、そんな思い出に動かされて
わたしは夜なべをしているのか。

別に裁縫が好きでも、得意でもないし、労働力と比較すると全然安上がりになんて出来ていなのだけど…

でも、少なくとも、息子がお気に入りのキャクターのついたスモックで毎日登園する姿を見たり、
娘が、お手製◯ッフィーのお昼寝布団を「これ、あっち(わたし)の〜♡」と愛着を持ってくれているのは嬉しい。

息子はこのエプロンをどう思うのだろう。
別に喜んでもらえる事を期待しているわけではないけれど。
「恐竜柄が良かった」と言われないことをただ祈るのみだ。

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