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アドラーをじっくり読む

今回はアドラー心理学に関する書籍の感想です。

岸見一郎 アドラーをじっくり読む 中公新書クラレ 2017

以下取り上げるのは私が印象に残ったものをまとめる形です。

目次
1.誤解されるアドラー心理学
2.何についての知が問題なのか
3.謙虚であること

1.誤解されるアドラー心理学
私はアドラーの世界にどっぷり浸かっています。これは非常に心地よいものです。ある意味でぬるま湯に使っているようなものかもしれません。

何故なら自分にとって解決不可能だった人間模様を実に単純明快に説明しうるからです。

自分はこれまで多く経験を通じ学びを深めてまいりました。人間模様の裏表。喜んだり悲しんだり喜怒哀楽を繰り返し、現在やっと大人の仲間入りが出来たかな?という情けないかな49歳の事実です。


何故そのように感じているか。

それはアドラーを通じ、メタ認知が向上してきたからだと感じています。

それまでは多くの人間関係(直接自分自身に関係、もしくは周囲自身に関連するもの)や周囲の人間模様(自身に直接は関係ないが気になるもの)の考察は、経験の知によってのみでしか解決の糸口が見出せず、時には感情的になり、時には悲観的になり、嫌な気持ちを随分と長く引きずっていたものです。


アドラーブームに乗り、いくつかの書籍に出逢い感銘を受けました。個人心理学、勇気付けの心理学、使用の心理学などと称されるこのアドラー心理学ですが、更に自身において気づきがあり本書を手にすることにした。


その気づきとは「誤解されるアドラー心理学」と目次に記したように、何より自身の浅はかな解釈を一新させたいという気持ちの表れからであります。

この書籍では、岸見一郎氏が熟読された書籍、翻訳や著作活動を通じて得られた事実・解釈や知見を元に構成されています。

まず前書きでは、「そもそもなぜアドラー心理学は誤解されやすいのか?」と言うことをテーマに書き始めています。

「アドラー心理学はその基本的な思想が急進的であるがゆえに、誤解を受けやすい宿命を背負っています」
岸見氏はこのように語ります。

アドラー心理学では自由意志が尊重されます。この自由意志をめぐる論争が以下に解説されています。

誤解1 「個人に責任を負わせる自己責任論である」
→これは実に苦しい解釈です。人は何かの悩みや苦しみを持っている時、当たり前のように自分の責任にはしたくありません。実際そうであったとしても・・・しかしアドラーは「自分の行為について、その選択の責任は自分にある」と言っています。

確かに、自分でした選択には自分で責任を持つのは当たり前です。しかし、そのことで窮地に陥っている人を責めたり、救済しないと言うのは間違いです。仮に自由意志で選択した結果、自分自身にリスクが伴うことを学習してしまった人は、様々な選択を回避するような行動をとるだろうと岸見氏は述べます。

アドラー心理学は個人を責める心理学ではないのです。


誤解2 「誰でも何でも成し遂げられるなんて大嘘」
→アドラーは「誰でも何でも成し遂げることができる」と述べたと岸見氏は示します。しかし現実には成し遂げられない事も多々あります。このような批判にアドラーは以下のような考えには警鐘を鳴らしていると岸見氏は解説しています。

「才能や遺伝などを持ち出し、自分はできないという思い込みが生涯にわたる固定概念になってしまう可能性」

これはまさに同感です。人はいわゆる言い訳があったほうが自分自身が楽になれるのですから。

何かに向かって挑戦することは非常に勇気がいることです。自身で努力するだけではなく、周囲の人に頼ったり、関係性を構築したり、広い意味で全て努力した結果、「何でも成し遂げられる」んだと思います。

全てやり尽さないうちに、才能や遺伝の話しを持ち出しては言い訳をする。この事はあまり好ましいことではありません。

アドラー心理学は何でも成し遂げられるはずがないと思うことではありません。


誤解3 「人生は思いのままになるというポジティブ思考」
→人はなかなかポジティブにはなれません。アドラー心理学では多くの勇気が与えられます。かといって、人生が思いのままになるかと言うとそうではないのは現実的にも承知の事実です。ではどのように捉えていくのか。そこが重要です。

岸見氏は言います。「アドラーが否定したのはトラウマの存在ではなく、トラウマによって支配されること」。

つまり、私たちはいくら過去に辛い経験をしたとしても生きていかなくてはなりません。これは、医療従事者ならば患者さんから常に学べるはずです。自分のことになると他人事のように自分を扱う人がいますが、そうではなく、トラウマを理由に取り組まなくてはならない自分の人生の課題を回避してはいけないということなのです。

アドラー心理学はトラウマによる精神支配ではないのです。


誤解4 「理想論であって実践的でない」
→アドラーの思想は急進的であると岸見氏は言います。急進的であるがゆえ、理想論であり実践的ではないと批判される事も多いと言います。

急進的とは、目的や理想などを急いで実現させようとするさま。

アドラーの理論を学ぶといかにもすぐに実行され、すぐ変化が起こり、すぐに効果があるように感じられます。何故なら理論と解釈が明確であり、簡単に一歩踏み出せるような気にさせてくれるからです。しかし、なかなかそう上手くはいきません。真に実践的であるということは厳しさが必要だということです。

アドラー心理学は急進的アプローチのようでいて定着するには時間がかかるのです。


誤解5 「常識の繰り言に過ぎない」
→こんな私でも初めてアドラーを知った時は鳥肌がったような感覚を覚えました。医療従事者は原因論が全て。病気や障害を理解するとき、原因をしっかりと認識しなければなりません。原因が不明であっては治療方針も立ちません。そういう世界です。

原因論から180度の視野転換。目的論の示唆は本当に衝撃的でした。

理学療法の世界でも大いに役立てると確信しました。しかし一部の人達からは、これはコモンセンス(常識・良識)だなどとされ、新しいことではないと揶揄されたこともあったようです。

アドラー心理学は言葉の難しさがない分コモンセンスなのかもしれないと言うことです。

そして最後に岸見氏は、アドラー心理学が誤解されないようにするには以下の3つであると示しています。

①対話形式
カウンセリングの場面でも治療者が自分の解釈を一方的に押し付けたりすることはありません。必ず治療者と患者との対話の中で確認を取りながら話を進めます。
と示し、このようなアドラー心理学の本には意味があるとしてます。

②悩み相談
アドラー心理学は非常にシンプルなものですから理解はたやすいのですが、実際の日常場面でどうすればいいかは、時間をかけて学んでいくしかありません。
と示し、悩み相談事例になっているような本は実践的に理解するための一助になるとしています。

③アドラーの原著に立ち還る
この事がつまりアドラーを正しく理解する鍵であると岸見氏は言います。
前書きが長くなりましたが、この本はアドラーが生涯に渡り刊行した主著15冊、そのうち12冊が翻訳されているようですが、この中から代表作を選りすぐり解説を加えている本です。アドラー好きにはたまらない1冊であると思います。

この絵は私が書きました 笑


2.何についての知が問題なのか
目次1の部分が非常に長くなりました。それには理由があります。冒頭にも示しましたが、自身の浅はかな理解を一新するべく備忘録としてまとめました。多くの方とも共感できたら幸いです。

さて、以後の項では私自身が本書で一番気になった点についてまとめていきます。

本書の第4章では、「汝自身を知れ・人間知の心理学」 と称して記されています。アドラー心理学の書籍をいくつか読み比べていても、自分自身をよく知ることの重要性は理解できます。しかし本書では、何についての知が問題なのか、一体何を知れば、自分や、あるいは他の人を知ったことになるのだろうか?という実に明確な疑問を投げかけてくれています。

その答えは、「なぜ」あることを言ったのか、または、したかという問いにおける「なぜ」を知ったとき、理解できてくると示しています。

これには神経症患者の例をあげ解説しています。神経症の人が自分の病気の原因は語れても、目的については真相を知りたくないのだとしています。

つまり、原因を明かすことは、周りの人からの同情も得られやすく仕方ないという感情が湧きやすいのです。

一方、立ち向かわなければならない人生の課題からの逃避を正当化する事が神経症の患者の目的であるとは認めたくないのです。

「なぜ」◯◯なのですか?という質問に対する「なぜ」を知り解釈できたら、少しづつ自分も相手も理解できてくるということでしょう。

岸見氏は言います。
「原因は、言動の真の原因にはなり得ない。なぜなら、同じ原因から同じ事が帰結するとは限らないからである」

私なりの解釈では、スポーツ選手が毎日同じ練習をして、同じ分だけの走り込みをしたり、同じ釜の飯を食べたりしても、全員がオリンピック選手にはなれないのと同じで、過去に遡り、自身の悩みの原因を明かしたところで過去には戻れないということです。同じ原因で悩んでいる人を集めて意見を聞いたとして、将来何をしたいかは十人十色である事は明白です。


3.謙虚であること
この本の感想は長文になりました。このnoteの最後のまとめは、やはり第4章の「汝自身を知れ」中の、「謙虚であること」からです。

アドラー心理学を知ると、急に自信が湧いてきます。過去の自分と決別したかのように、生まれ変わった自分自身を体験できます。

そして次に他者への貢献ということをしたくなってきます。もちろん共同体感覚を強烈に意識し、そして他者にできることを懸命に模索します。

しかし一方では、アドラーを同じように学んでも、自分を変えられない人がいます。勇気を持てない状態です。ずっと「なぜ」かと考えていました。少し勘違いしていた自分がそこにいたようです。

この本を読み深めて、自身の浅はかさをさらに知ることになりました。つまり、「汝自身を知る」ことができたのです。これは本当に良かったと感じます。これからのライフワークに大いに役立ちます。そして真の意味でライフスタイルになれたら最高です。

「治療者や教育者が注意しなくてはならないことは、アドラーが強調するように、謙虚であること」
と岸見氏は示します。

アドラーを学ぶと非常に強い他者貢献の意欲が掻き立てられます。これは医療従事者なら共通して思い浮かべることができるかも知れません。

そこで注意すべき点があります。「謙虚さの放任」です。医療の世界では生命が第一優先されます。これには早い判断と正しい判断を勇気を持ってする必要があります。謙虚さは二の次になります。

しかし、この本をじっくり読んで、急に自身が恥ずかしくなりました。まさに親切の押し売りをしようとしていたのです。それに気がつきました。

理学療法の世界では、一刻を争うような生命の危機に遭遇するのは極めて稀です。しかし、医療従事者である以上、向き合う患者さんには最新の知識と技術を提供したいと思うあまり、押し付け医療が展開されることもしばしばです。

悩みを抱えた患者さんとは、患者と療法士は共同作業で治療を展開すべきです。カウンセリングマインドも同じこと。治療者が自分が優秀であるということを誇示するために治療を行ってはいけないということです。

アドラーが強調する、謙虚であること。

本書は、少し考え違いをしていた浅はかな自分自身の良きアイシングとなりました。

この本や、岸見氏の著書は確かにとっつきにくい部分もあるかもしれません。図や絵がほとんどないですし。しかし、「汝自身を知れ」。あえて避けていたということがわかりました。これは完全にベイシックミステイクスです。

大好きなアドラー心理学。誤解のないように学びたい。そして広めたい。そのためには出来るだけ原点に帰る。基本を忠実に学ぶ必要があります。

最後にこの本を じっくり読んだ 感想の締めくくりとしてアドラーの言葉を借りて終わります。
謙虚さが大事です。謙虚さが全てです。

「人間の本性について知るためには、不遜であったり、傲慢であってはならない。そのためには謙虚さがなければならない」

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